11 湊斗の記憶⑤~美術室にて~
(やっちゃった……!)
三時限目の授業が終わるや否や、湊斗は教室を出て廊下を走っていた。そして階段をかけ上がると、『美術室』と書かれた部屋の扉を開けた。
室内はガヤガヤと騒がしく、どこのクラスかわからないが、片付けをする生徒が大勢いた。壁の隅には木製のイーゼルが重ねて立てかけられ、棚には人の頭部の石膏像や美術道具などが所せましと並べられている。
大きな机でグループごとに作業していた生徒たちのうち、幾人かは湊斗の存在に気づき、ちらりと視線を向ける者もいた。けれど湊斗はそれに構わず、教室の真ん中まで進む。目指していたのは、ある机だった。そこには折悪しく、まだ男子生徒が座っていたが、湊斗は思いきって声をかけた。
「ごめん、ちょっと机の中見てもいい? 多分、ここに忘れ物しちゃって――」
湊斗の言葉に、画用紙とにらめっこしていた生徒が面を上げる。その顔を見た湊斗は、
「あっ、この前の……!」
驚いて、思わず相手を指さしていた。
そこにいたのは、先日、陸上部への入部を断られたばかりの、山那という一年生だった。
彼は相変わらず鋭い目つきで湊斗を一瞥すると、
「どうぞ」
それだけ答えて、すっくと席を立った。
「え? あ、ああ……」
あまりに無愛想な相手の態度に、湊斗は戸惑いつつ、かろうじて返事をした。
(こいつ、本当に変人だな。うちの部に来なくて、逆に良かったかも……)
湊斗は内心でそんなことを思いながら、腰をかがめて中を確認しようとする。が、その前に、机の上の画用紙が目に入ってきた。
そこには、世にも奇妙なものが描かれていた。
何かの動物だろうか。えんぴつと絵の具で描かれたそれは、耳とおぼしき三角形が二つ並び、その下にいびつな形の顔があった。内側には、これまた逆三角形の目が二つと、鼻らしき直線がある。さらに、顔の下から伸びた長い線が、びろんと横に長い胴体へとつながっていた。
(うわ、ヘッタクソ……)
湊斗はそう感じた直後、とっさに自らの口元を手で押さえた。今思ったことが、うっかり外へもれてしまいそうな気がしたのだ。
動物の胴体には、黒いぶち模様が描かれている。棒のような四本足と、いやに短いしっぽを眺めたところで、湊斗はかろうじて動物の見当をつけた。
「これ、牛?」
「猫です」
間髪入れずに返ってきた後輩の声は、さっきよりいっそう低い。どうやら自分は失言したようだった。
「『わたしの好きなもの』っちゅう課題やったんです。おお、さすが山那画伯。ようこんなネコ描けるな」
そう言ったのは、近くの席からやって来た中井だった。湊斗の横から画用紙をのぞきこんで、大げさに肩をすくめた。
すると、さらにその奥から、
「そんな言い方はないよ、中井。この猫、やんちゃん家で飼ってるのん太だよね?」
どこかおっとりした声が加わった。湊斗が振り向くと、見知らぬ男子生徒が立っている。胸の名札には『大野』とあり、他の二人に比べるとやや童顔で、のんびりした雰囲気をまとっていた。
彼の言葉に、それまでぶすっとしていた後輩の表情がかすかに和らぎ、こくりと頷いてみせた。
「これがわかるんか。大したもんやな、ケンケン」
「別に、大したことじゃないよ。ねえ、やんちゃん」
中井からケンケンと呼ばれた男子生徒は、そう言ってほんわかと笑う。やんちゃんというのが、山那という後輩のあだ名らしい。
湊斗は彼らのやりとりを踏まえて、再び猫の絵に目を落とした。ひげがなく、やはり牛のように見えたが、よく観察すると角もないので、猫なのかもしれない。湊斗自身、とくに絵がうまい方ではないが、仮にできるだけ下手に描こうと努力しても、ここまでのものにはならないと思われた。
「ところで岡先輩、どうしはったんですか?」
中井の一言で、湊斗はようやくここに来た目的を思い出した。
「そうだ、ノート!」
湊斗は慌てて机の中に手をつっこみ、B5サイズのノートを取り出した。
「ぼくも、二限目にここで授業受けたんだよ。そしたら、うっかりノート置きっぱなしにしちゃってさ」
中井に説明しながら、湊斗は黒板の上の時計を見た。すると、十分しかない休み時間の半分がすでに過ぎていた。
「やばい、もう戻らなきゃ。また部活でな、中井。それと……」
そう言いかけた時、湊斗は画用紙の下部に『1年6組 16番 山那三景』と書かれているのに気がついた。
――こいつ、こんな名前なんだ。
湊斗は新しい単語を覚える時のようにそれを眺めた後、
「山那も、いきなり声かけてごめんね。それじゃ」
後輩たちに軽く会釈をし、その場を離れた。急ぎ足の湊斗の視界のすみに、ウッスと返事をする中井と、小さく頭を下げる山那三景の姿があった。




