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The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
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4 駐輪場で

 怒り心頭で自転車を走らせる陸だったが、社宅の建物が見える頃には、いくぶん冷静さを取り戻していた。

(そう言えば……山那のやつ、何であんな所にいたんだ?)

 古びた居酒屋や中華料理店、美容室などが並ぶ道路を眺め行く間に、そんな疑問が湧いてきた。

(あいつ、ケンケンたちと同中だよな)

 下校時、陸は健太たちと正門の前で別れた。帰る方向が違うからである。

 彼らと同じ中学出身の三景は、この辺りに自宅があるのだろうか。陸は地域の学区に詳しくないが、腑におちなかった。

 あるいは、近くに用事があって通りかかったのか。

(塾? それか友達の家……いや、ないな)

 陸は、浮かんだ考えをすぐ打ち消した。

(あんな奴に、友達なんかいてたまるかっての)

 習い事はどうだか知らないが、三景が誰にでも先刻のような対応をするならば、友人がいるとは思い難い。というより、陸が認めたくないのだった。

 そうする内に、陸は社宅の敷地に着いた。広く開放された出入口から、自宅のあるB棟手前の駐輪場へ進む。

 四つの棟を囲むフェンス沿いに、桜の木が数本植えられていた。少し前に満開を迎えた木々は葉桜となって、風に緑がそよぐ。昼時のせいか、敷地内に人影は見当たらない。

 各棟の間に設置された駐輪場は、古いが一応、屋根もついている。陸は適当な所に自転車を停めた。砂利道の向こう側には、A棟が見えた。普通なら通り過ぎるだけなのだが、この時は違っていた。

 A棟の芝生に、うずくまる黒い塊のようなものが見えたのだ。

「……っっ!」

 先ほど見たお供え物が頭の隅にあったせいか、陸は心臓が凍りつく錯覚に襲われた。踏み出した右足にも余計な力が入って、スニーカーの裏が地面を強く擦った。

 しかし、よく目をこらすと、黒い塊に思えたものは人の後ろ姿だった。相手も陸の不自然な足音が聞こえたらしく、どこか怯えた様子で振り返る。

 陸は初めて見る女性だった。母親と同じ位の年齢だろうか。水色のカットソーに黒いスカート。背中まである髪を一つに束ねただけの、質素で地味な雰囲気である。

「――ど、どうも……」

 何だ、人じゃないか。

 陸は恐怖が解けると共に、動揺していたことを隠そうと、ぎこちなく頭を下げた。

 女性も人がいたことに驚いたのか、時が止まったように動かなかった。だが、やがて取り繕うような笑みで立ち上がり、陸に会釈を返す。

「ビックリさせたらごめんなさい、ベランダの周りを掃除してて……」

 泥棒と怪しまれるのを案じてか、女性が口を開いた。その話を裏づけるように、手には小さな箒と、足元には殺虫スプレーの缶がある。彼女の後ろにはベランダの鉄柵があり、物干し竿に衣服がぶら下がっていた。

「あ、掃除ですか……」

 陸は女性がA棟の住人らしいと察して、表情を少し和らげる。

「……一階は、よく虫が入ってくるんです」

 女性は右手でベランダの柵を掴むと、小さく呟いた。鉄柵は白く塗装されているものの、あちこち錆びて色が剥がれ落ちている。

「虫?」

 陸はそう繰り返しながら、少し不思議に思った。まだ四月で、敷地にもようやく緑が芽吹き始めた程度である。虫たちが出てくるには早い気がした。

「ええ。蜘蛛が巣を張るから、取らないと……」

 俯きがちのまま、言葉を続ける女性。だがそれは、陸にはますます妙に聞こえた。

 蜘蛛は、夏に見かけるものではないだろうか。陸はここに住み始めてまだ一週間ほどだが、蜘蛛に遭遇したことはない。

 陸は改めて目の前の女性を見た。黒髪のところどころに、白いものが混じっている。目に届きそうな前髪の奥から、どこか張りつめた視線で覗かれているような感覚に襲われた。

(――ちょっと待て。ビビり過ぎだろ、おれ)

 相手は大人とはいえ、自分より小柄な、ただの女性なのに。

 もしかすると、神経過敏になっているのは自分の方なのだろうか。今日は入学式で、少なからず緊張していた。そこに三景との不愉快なやりとりや、花壇のお供え物を見つけたりと、あまり良いことがなかった。むしろ妙な目にばかり遭ったと言っていい。

 その積み重ねが、陸の防衛心を過剰にさせているのかも知れなかった。

 陸は内心で自分にそう言い聞かせ、適当な相槌をうつと、早々にその場を立ち去った。



「そんな人がいたの?」

 居間のテーブルでスパゲッティを食べながら、陸の母が怪訝な声で言った。フォークを回す度に、ケチャップの絡んだパスタがくるくる巻き付いていく。

 畳の上に置かれたちゃぶ台のようなテーブル。それを陸と母、そして妹の海と空で囲むように座り、昼食をとっていた。奥にあるテレビは昼間の帯番組を流しており、タレント達が何か議論を繰り広げている。

 それを背に、陸は先ほど出会った女性のことを母に話していた。

「A棟の人までは、まだわかんないわねえ……」

 頭を右に傾けながら、記憶をたどる母。

 そんな時、陸と母の間に座る海が、唐突に割って入った。

「ママ、今度の海の誕生日プレゼント、スマホがいい」

「は?」

 母よりも先に、陸が反応した。

「海、兄ちゃんだってまだスマホ持ってないんだぞ?」

 話題を遮られたこと以上に、スマホという単語が聞き捨てならなかった。何故なら海の誕生日は五月で、七月生まれの陸より早いのだ。母が認めたら、先を越されてしまうかも知れない。

「そんなの、知らなーい」

 海はツンと口を尖らせて、そっぽを向いた。

「お前、この前はカバンが欲しいとか言ってたくせに。スマホだって、どうせすぐ飽きるだろ」

「あきたりしないもん!」

 陸の指摘に、海は火がついたように応戦する。手に力が入り過ぎたのか、フォークがパスタ皿に当たってカチャカチャ音が響いた。

「やめなさい、あんたたち」

 母が溜め息まじりで二人を宥めた。

「海にはまだスマホは早いわね。パパとも話したことあるけど、うちではスマホはもう少し大きくなってからよ」

「もう少しっていつ?」

 海はいつも、曖昧な答えでは納得しない。安心して黙った陸とは対照的に、母に食い下がる。

「もう少しはもう少しよ。早く食べなさい。空ちゃんはもう食べ終わるわよ」

 だが母も慣れたもので、平然と海の問いを流してしまう。

「~~~~~っ……!」

 憮然とする海。

 陸は、そんな海を横目に、自分の隣に座るもう一人の妹、空を見た。

 空は持ち手の先にうさぎが付いたフォークを持ち、陸たちより少なめに盛られたスパゲッティを食べていた。このフォークは空のお気に入りで、これを使う時はいつも嬉しそうにしている。嫌いなニンジンも食べるのだ。

 陸はそんな空の様子を微笑ましく眺めていた。おっとりして周りを気にしない幼い妹には、気持ちを和ませてくれる雰囲気があった。



 昼食後、陸の携帯電話にメールが届いていた。差出人のアドレスを見た陸は、

「ケンケンだ」

 独り言を呟きながら、メールを開いた。

『今日はありがとう。明日、ひま? 駅前に買い物に行くんだけど、よかったら陸も行かない?』

 明日は土曜日で、学校は休みだ。まだ慣れない時期だからこそ、人から誘ってもらえるのは嬉しいことだった。

 陸は母の承諾を得ると、健太に自分も行くとの返事を送った。



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