8 湊斗の記憶②~邂逅~
数日後。
授業を終えた湊斗は、帰宅するため、下足室にいた。大きな靴箱が学年ごとにずらりと並び、その先に開放された出入口が見える。
湊斗は自分の靴箱の前に立つと、校内で三年生を示すカラーである赤いスリッパを脱ぎ、スニーカーに履き替えた。
「岡先輩やないですか?」
ちょうどスリッパを靴箱へ入れたところで、後ろから聞き慣れた関西訛りの声が飛んでくる。湊斗が振り向くと、予想どおり、ちり取りを持った後輩――中井が立っていた。
「お疲れさまです」
中井はちり取りを床に置き、改めて湊斗にあいさつした。
「お疲れ。中井、ここの掃除?」
「はい。今週はうちの班が当番です」
湊斗が辺りを見回してみると、中井の言葉どおり、下校や部活動のために靴を履き替える者に混じって、数人の生徒がほうきや雑巾を使って掃除していた。彼らはいずれも黒いスリッパを履いているので、一年生だとわかる。
「あの、掃除終わったら部活に行こ思てるんですけど、先輩は部活出えへんのですか?」
制服姿の湊斗を不思議に思ったらしく、中井がそう訊ねた。
「ああ、今日は――」
湊斗が答えかけた時、
「おい、中井」
突然、ぶっきらぼうな声が、二人の会話に割り込んだ。
湊斗が声のした方へ目をやると、そこには一人の男子生徒がほうきを片手に、中井を見ていた。
「さぼりか。早くちり取り持ってこい」
男子生徒は湊斗より小柄で、人形のように整った顔立ちだが、まだ子どもらしいあどけなさも漂っている。しかし、顎で中井に指図するようすは、生意気なものだった。
「アホ抜かせ、さぼってへん! ちょっと先輩にあいさつしとったただけや」
中井もすかさず切り返したが、
「アホを抜かせ? 何言ってんだ。お前のアホさは、どうにかすりゃ抜けるもんなのか?」
男子生徒は怪訝そうに首を傾げると、大まじめな口調で聞き返した。
「はぁ!? そんな意味とちゃうわ! ちゅーかオレがアホって、どういうことや、山那!?」
「知るか。お前の関西弁はわからん」
いきなり目の前で始まったやりとりを、湊斗はぽかんと眺めていた。が、中井が口にした男子生徒の名を聞いてはっとする。
「山那って……中井、今そう言った?」
とっさにもらした呟きに、山那と呼ばれた男子生徒が、今度はゆっくりと湊斗を見上げた。
「……っ……」
磨きあげた石のように黒いまなざしが、湊斗をとらえる。それは単に相手の顔形を確認するだけでなく、その内側にあるものまで見ようとするような、深い視線だった。湊斗は自分の方が二学年も上であるにも関わらず、ひそかにたじろいでいた。
「山那、人をにらむな言うてるやろ」
戸惑う先輩に気づいたらしく――これは湊斗にしてみれば恥ずかしいことであったが――中井が男子生徒に注意した。
「別に、俺はにらんでねえ」
男子生徒は不本意をあらわにして答えたが、
「岡先輩、気にせんとって下さい。こいつは元々、目がきついんです。そやから、みんな最初はビビってまう」
よくあることのように、中井が肩をすくめた。
「ぼ……ぼくだって、別にビビってなんかないよ」
湊斗は訳もなく、胸を張って言った。
「そうですか?」
中井は頓着なさそうに言ったあと、思いついたように言葉を続けた。
「ああ、先輩、こいつが山那です。山那、この人は陸上部の岡先輩。この前の体育ん時、お前走っとったやろ。それを先輩が見とって、足速い言うて感心してはったんや」
その話を聞いても、山那という男子生徒はにこりともせず、喜んだり照れたりするそぶりもない。
(逸材だと思ったけど……何だか変わったやつだなあ)
湊斗は心の隅でそう感じていたが、興味のある相手と会う機会に恵まれたのだからと、とりあえず気を取り直して男子生徒に笑いかけた。
「中井の言うとおりだよ。あれだけ走れるなら、陸上部に入ればいいのにと思って。ちゃんと練習すれば、きっと良い記録が――」
「入りません」
湊斗の言葉を遮って、男子生徒はきっぱりと告げた。そして一礼すると、中井が置いたちり取りを持って、さっさとその場を離れようとした。
「ええっ? ちょっと待っ……」
「山那! お前、先輩にそんな態度があるか!」
すたすたと去りゆく背中に、湊斗と中井が同時に声を上げた。
男子生徒は足を止め、一度だけ二人の方を振り返ると、
「俺、書道部なんで」
そう言い残し、下足台の向こう側へ消えていった。




