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The Blood in Myself   作者: すがるん
第2部 峡谷の底
35/75

4 アクシデント

「山那っ!?」 

 部屋の入口に立つ三景を見た陸は、驚きのあまり、ベッド上で体をのけ反らせ、後ろの壁に頭をごんとぶつけてしまった。

「いたた……」

 陸は顔をしかめ、後頭部に手をあてて呻く。その姿に、三景はわずかに眉をひそめて呟いた。

「何やってんだ」

 そのぶっきらぼうな口調に、陸は思わずカチンときた。昨夜の出来事など忘れたような三景に対して、露骨に動揺した自分がばからしく思えたのだ。

「お前がいきなり出てくるからじゃんか!」

「いきなりじゃねえよ。ちゃんと玄関から入ってきたぞ」

 三景の返答は至極まっとうなものだったが、

「うるさいな、おれにとってはいきなりなの!」

 陸は悔しまぎれの声をあげた。

 三景は腑に落ちないふうに小首を傾げたが、やがて、

「見舞いだ。差し入れを預かってる」

 静かにそう言って、売店の手提げ袋を差し出してみせた。半透明のビニールの中に、紙パックのジュースや焼きそばパンらしき物が入っている。

「あら~、わざわざありがとう。山那くんだったわよね? せっかく来てくれたんだから、お茶でも飲んでってちょうだい」

 拗ねた顔つきの息子をよそに、陸の母が明るい口調で、三景に中へ入るよう勧めた。

「陸、あんたもう元気でしょ? ボーッとしてないで、そこの椅子に座らせてあげなさい。今、飲み物いれてくるから」

 てきぱきと言いつける陸の母に、

「いえ、お構いなく――」

 三景が珍しく謙遜な台詞を発した。しかしそれは届かず、陸の母はさっさと斜め向かいの台所へ引っ込んでしまう。

 三景は小さなため息をつくと、ようやくその存在に気づいたように、今度は引き戸にへばりつく海に視線を向けた。

(ど……どうしよう!)

 海は内心、混乱の局地にいた。憧れの人物が、家の中に――自分のすぐ前にいるのだ。驚きのあまり、さっきまで活発に動いていた頭や口が、フリーズしたパソコン同然に止まってしまった。

「あの――」

 三景が何か言いかけると、

「ひゃああああっ!!」

 海は甲高く叫びながら、三景に背を向け、一目散に台所横の自室へ駆けこんでいった。

 部屋のドアが勢いよく閉められるのを見た三景は、

「……何なんだ……?」

 不思議そうな声をもらし、再び頭を傾げるのだった。



 結局、陸と三景がその場に残される格好になった。

 気まずい沈黙の末に、陸がベッド脇の学習机を顎で指して、

「……座れば?」

 ふくれっ面で呟いた。

「……」

 三景は黙ったまま、陸の部屋に足を踏み入れた。お世辞にも広いとは言いがたい和室は、陸がいるダークブラウンのシステムベッドでほぼ占められていた。やや高いベッドの端に梯子が取りつけられており、そばにはベッドと一体化した同色の学習机がある。

 三景は差し入れを机に置き、肩にかけていた黒いショルダーバッグを畳に下ろすと、改めて陸に向き直った。

「……っ……!」

 三景の目に捉えられ、陸はなぜか胸がドキッとしてしまう。こんな時でも、三景の凛とした瞳は一点の濁りもなく、ただまっすぐにこちらを見つめてくるのだ。

(……お、おれは怒ってるんだぞ!)

 陸は独白しつつも、視線を合わせることができず俯いた。昨夜、三景がしでかしたことを思えば、自分は怒って当然のはずだ。そう言い聞かせる陸だが、いざ三景に見つめられると、そわそわして落ち着かず、妙な気恥ずかしさで顔まで赤くなりそうだった。

「……夕べは、悪かった」

 ふいに、三景がぽつりとそう言った。心なしか、声がいつもより沈んでいるようだ。

「え……?」

「お前の血を吸った後、いきなりあんなことしちまって……すまなかったと思ってる」

 三景が自分から視線を外し、目を伏せて詫びるさまを見た途端、陸はどういうわけか頭に血がのぼった。そして、

「謝るなよ、バカ!」

 気づけばそう怒鳴っていた。昨日も、これとまったく同じ台詞を口にした覚えがあるが、あの時とは心境が天と地ほども違う。

 謝罪そのものを拒否された三景は、一瞬ぽかんとしたが、すぐにその表情を訝しげに曇らせた。

「篠田。お前、それで怒ってるんじゃないのか?」

「怒ってるよ! 怒ってるけどさ、そうやって謝られるのは嫌なんだって!」

 陸は我ながら支離滅裂な話をしているとわかっていたが、駄々っ子のごとく、気持ちを押さえられなかった。

「あ? だったら、どうしろってんだ」

 神妙な顔をしていた三景も、陸の態度に苛立ち、ムッとした口調で言い返す。

「そんなの、知らん!」

 陸は一方的に会話を打ちきると、頭から布団をかぶりこんだ。

「おい!」

 三景がいよいよ声を荒げてベッドへ詰め寄ったが、陸は閉じた貝のように身をひそめ、だんまりを決めこんだ。

「……はあ……」

 布団をひっぺがしてやろうかと考えた三景だったが、そんなことをしても何の解決にもならないと思い直し、深いため息をついた。そして学習机の方に戻ると、売店の袋から、中の物を取り出し始めた。

「とりあえず、預かったもんを置いとく。飲み物は健太、パンは中井で、プリンは吉祥寺からだ」

 淡々と説明しながら、それぞれの物を机に並べていく三景。陸が布団の隙間からこっそり顔を出すと、こちらを見る三景の猛犬のような鋭い目にぶつかった。

「ひょわっ」

 陸は毎度のことながら、その迫力と己のばつの悪さに身をすくめたが、

「俺は……」

 三景の表情にふっと翳りがさすも、少しずつ語り始めるようすに目を奪われた。

「お前の血を吸った時、どういう訳か、すごく爽快な気分になったんだ。それまでのしんどさがすっかり消えて、自分が何でもできるように思えた。頭の中から理性もタブーもなくなって、ただ――俺がやりたいと思ったことを、やりたいようにやった。そうとしか言いようがねえ」

(やりたいことを、やりたいように……?)

 一体、どのように解釈すればよいのか。陸は戸惑いつつ、三景の告白に耳を傾けた。

「俺たちにとって、贄の血は良くも悪くも作用するらしい。体力を回復させてくれる反面、血の効果に負けちまうと、自分の欲求を制御できなくなっちまう」 

「おれの血が原因だっていうのか?」

 陸は自分の血に話が及んだことに驚きを隠せず、思わず三景の話に割り込んだ。

「お前に責任はねえよ。俺たち一族の体質の問題だ。だから、俺は今後、お前の血を飲んでも自分をコントロールできる術を身につけなきゃならねえ。でも、それはあくまでこっちの話だ」

(贄の血のせいで、やったことなのか……)

 三景の説明を聞いても、陸の心はすっきりしなかった。むしろ内容を理解するにつれ、胸の中にもやもやとした不快感が新たに生じていた。

(それじゃ、酔っぱらった大人が変なことするのと一緒じゃん……それに、たまたまおれが贄だったけど、もし他の奴が贄なら、山那はそいつに……?)

 そう考えると、陸はなぜだか、ますます気分が落ちこむのを感じた。

 だが、陸の内心など知る由もない三景が、気を引き締めるように背筋を伸ばし、陸に再び言葉をかける。

「俺は、お前が俺のしたことで嫌な気分になったろうと思った」

「あ、あの時は……」

 心に斬りこんでくるかのような三景の言葉に、陸は布団の中で体をびくんと震わせた。そのはずみで、傍らにあった携帯電話が飛ばされ、ベッドの柵の間から滑り落ちる。

「あっ……!」

 陸が慌ててベッドから身を乗り出した時、

「おい、気をつけろ――」

 三景も携帯電話を拾おうと、一歩前へ出た。

(あ、顔近い……)

 そう思った陸だが、咄嗟に避けることができなかった。夜空に似た三景の黒い瞳に、吸い込まれるようでもあった。

 次の瞬間、ベッドの柵越しに、互いの額や鼻がごつんとぶつかり――気がつけば、口元に再び、あの柔らかい感触がふれていた。

 三景の足元で、拾われなかった陸の携帯電話が、鈍い音をたてて落ちる。その音をどこか遠くに感じながら、二人は唇を重ねたまま、動かずにいた。


 

 




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