4 アクシデント
「山那っ!?」
部屋の入口に立つ三景を見た陸は、驚きのあまり、ベッド上で体をのけ反らせ、後ろの壁に頭をごんとぶつけてしまった。
「いたた……」
陸は顔をしかめ、後頭部に手をあてて呻く。その姿に、三景はわずかに眉をひそめて呟いた。
「何やってんだ」
そのぶっきらぼうな口調に、陸は思わずカチンときた。昨夜の出来事など忘れたような三景に対して、露骨に動揺した自分がばからしく思えたのだ。
「お前がいきなり出てくるからじゃんか!」
「いきなりじゃねえよ。ちゃんと玄関から入ってきたぞ」
三景の返答は至極まっとうなものだったが、
「うるさいな、おれにとってはいきなりなの!」
陸は悔しまぎれの声をあげた。
三景は腑に落ちないふうに小首を傾げたが、やがて、
「見舞いだ。差し入れを預かってる」
静かにそう言って、売店の手提げ袋を差し出してみせた。半透明のビニールの中に、紙パックのジュースや焼きそばパンらしき物が入っている。
「あら~、わざわざありがとう。山那くんだったわよね? せっかく来てくれたんだから、お茶でも飲んでってちょうだい」
拗ねた顔つきの息子をよそに、陸の母が明るい口調で、三景に中へ入るよう勧めた。
「陸、あんたもう元気でしょ? ボーッとしてないで、そこの椅子に座らせてあげなさい。今、飲み物いれてくるから」
てきぱきと言いつける陸の母に、
「いえ、お構いなく――」
三景が珍しく謙遜な台詞を発した。しかしそれは届かず、陸の母はさっさと斜め向かいの台所へ引っ込んでしまう。
三景は小さなため息をつくと、ようやくその存在に気づいたように、今度は引き戸にへばりつく海に視線を向けた。
(ど……どうしよう!)
海は内心、混乱の局地にいた。憧れの人物が、家の中に――自分のすぐ前にいるのだ。驚きのあまり、さっきまで活発に動いていた頭や口が、フリーズしたパソコン同然に止まってしまった。
「あの――」
三景が何か言いかけると、
「ひゃああああっ!!」
海は甲高く叫びながら、三景に背を向け、一目散に台所横の自室へ駆けこんでいった。
部屋のドアが勢いよく閉められるのを見た三景は、
「……何なんだ……?」
不思議そうな声をもらし、再び頭を傾げるのだった。
結局、陸と三景がその場に残される格好になった。
気まずい沈黙の末に、陸がベッド脇の学習机を顎で指して、
「……座れば?」
ふくれっ面で呟いた。
「……」
三景は黙ったまま、陸の部屋に足を踏み入れた。お世辞にも広いとは言いがたい和室は、陸がいるダークブラウンのシステムベッドでほぼ占められていた。やや高いベッドの端に梯子が取りつけられており、そばにはベッドと一体化した同色の学習机がある。
三景は差し入れを机に置き、肩にかけていた黒いショルダーバッグを畳に下ろすと、改めて陸に向き直った。
「……っ……!」
三景の目に捉えられ、陸はなぜか胸がドキッとしてしまう。こんな時でも、三景の凛とした瞳は一点の濁りもなく、ただまっすぐにこちらを見つめてくるのだ。
(……お、おれは怒ってるんだぞ!)
陸は独白しつつも、視線を合わせることができず俯いた。昨夜、三景がしでかしたことを思えば、自分は怒って当然のはずだ。そう言い聞かせる陸だが、いざ三景に見つめられると、そわそわして落ち着かず、妙な気恥ずかしさで顔まで赤くなりそうだった。
「……夕べは、悪かった」
ふいに、三景がぽつりとそう言った。心なしか、声がいつもより沈んでいるようだ。
「え……?」
「お前の血を吸った後、いきなりあんなことしちまって……すまなかったと思ってる」
三景が自分から視線を外し、目を伏せて詫びるさまを見た途端、陸はどういうわけか頭に血がのぼった。そして、
「謝るなよ、バカ!」
気づけばそう怒鳴っていた。昨日も、これとまったく同じ台詞を口にした覚えがあるが、あの時とは心境が天と地ほども違う。
謝罪そのものを拒否された三景は、一瞬ぽかんとしたが、すぐにその表情を訝しげに曇らせた。
「篠田。お前、それで怒ってるんじゃないのか?」
「怒ってるよ! 怒ってるけどさ、そうやって謝られるのは嫌なんだって!」
陸は我ながら支離滅裂な話をしているとわかっていたが、駄々っ子のごとく、気持ちを押さえられなかった。
「あ? だったら、どうしろってんだ」
神妙な顔をしていた三景も、陸の態度に苛立ち、ムッとした口調で言い返す。
「そんなの、知らん!」
陸は一方的に会話を打ちきると、頭から布団をかぶりこんだ。
「おい!」
三景がいよいよ声を荒げてベッドへ詰め寄ったが、陸は閉じた貝のように身をひそめ、だんまりを決めこんだ。
「……はあ……」
布団をひっぺがしてやろうかと考えた三景だったが、そんなことをしても何の解決にもならないと思い直し、深いため息をついた。そして学習机の方に戻ると、売店の袋から、中の物を取り出し始めた。
「とりあえず、預かったもんを置いとく。飲み物は健太、パンは中井で、プリンは吉祥寺からだ」
淡々と説明しながら、それぞれの物を机に並べていく三景。陸が布団の隙間からこっそり顔を出すと、こちらを見る三景の猛犬のような鋭い目にぶつかった。
「ひょわっ」
陸は毎度のことながら、その迫力と己のばつの悪さに身をすくめたが、
「俺は……」
三景の表情にふっと翳りがさすも、少しずつ語り始めるようすに目を奪われた。
「お前の血を吸った時、どういう訳か、すごく爽快な気分になったんだ。それまでのしんどさがすっかり消えて、自分が何でもできるように思えた。頭の中から理性もタブーもなくなって、ただ――俺がやりたいと思ったことを、やりたいようにやった。そうとしか言いようがねえ」
(やりたいことを、やりたいように……?)
一体、どのように解釈すればよいのか。陸は戸惑いつつ、三景の告白に耳を傾けた。
「俺たちにとって、贄の血は良くも悪くも作用するらしい。体力を回復させてくれる反面、血の効果に負けちまうと、自分の欲求を制御できなくなっちまう」
「おれの血が原因だっていうのか?」
陸は自分の血に話が及んだことに驚きを隠せず、思わず三景の話に割り込んだ。
「お前に責任はねえよ。俺たち一族の体質の問題だ。だから、俺は今後、お前の血を飲んでも自分をコントロールできる術を身につけなきゃならねえ。でも、それはあくまでこっちの話だ」
(贄の血のせいで、やったことなのか……)
三景の説明を聞いても、陸の心はすっきりしなかった。むしろ内容を理解するにつれ、胸の中にもやもやとした不快感が新たに生じていた。
(それじゃ、酔っぱらった大人が変なことするのと一緒じゃん……それに、たまたまおれが贄だったけど、もし他の奴が贄なら、山那はそいつに……?)
そう考えると、陸はなぜだか、ますます気分が落ちこむのを感じた。
だが、陸の内心など知る由もない三景が、気を引き締めるように背筋を伸ばし、陸に再び言葉をかける。
「俺は、お前が俺のしたことで嫌な気分になったろうと思った」
「あ、あの時は……」
心に斬りこんでくるかのような三景の言葉に、陸は布団の中で体をびくんと震わせた。そのはずみで、傍らにあった携帯電話が飛ばされ、ベッドの柵の間から滑り落ちる。
「あっ……!」
陸が慌ててベッドから身を乗り出した時、
「おい、気をつけろ――」
三景も携帯電話を拾おうと、一歩前へ出た。
(あ、顔近い……)
そう思った陸だが、咄嗟に避けることができなかった。夜空に似た三景の黒い瞳に、吸い込まれるようでもあった。
次の瞬間、ベッドの柵越しに、互いの額や鼻がごつんとぶつかり――気がつけば、口元に再び、あの柔らかい感触がふれていた。
三景の足元で、拾われなかった陸の携帯電話が、鈍い音をたてて落ちる。その音をどこか遠くに感じながら、二人は唇を重ねたまま、動かずにいた。




