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The Blood in Myself   作者: すがるん
第2部 峡谷の底
32/75

1 溝

 三景は、とても気分が良かった。

 陸の血の味は、三景に深い陶酔をもたらした。喉に染み渡ると身体中に力がみなぎり、自分がやりたいことは何でもできる、そうしてよいのだと思えた。

 だから三景は、血を吸った後も陸を放さなかった。ようやく手に入れた、待望の贄。

(そう、俺のものだ――)

 内なる声の欲するまま、三景は陸に再び覆い被さると、ごく自然に口づけていた。血の甘美さに加え、溶かされそうな熱さが伝わってくる。三景は身じろぎする陸を離さず、夢中でその唇を貪った。

「……んっ……」

 闇と静けさが支配する病室に、陸の切なげな息づかいが響く。濃密な時間は、永遠に続くかと思われた。

 だがその矢先、部屋の片隅でカサリと何かが動く物音がした。わずかな異変であったが、その音が三景に我を取り戻させた。

(――?)

 口にふれる柔らかい感触に違和感を抱いて、三景は幾度か瞬きした。ほどなくして、ふれているものが人の唇であることに気づくや否や、三景は天地をひっくり返す勢いで身を起こした。

 改めてベッドを見下ろすと、そこには陸が横たわっていた。いつそんなことをしたのか、己の手が陸の両手を枕の横に押さえつけている。そして、首筋に小さな噛み傷をつけられた陸は何も言わず、胸を上下させるのみだったが、

「……篠田……」

 三景が呼びかけるのとほぼ同時に、

「山那……『贄』って、こういうことだったのか?」

 陸の口が開き、かすれた声で問うた。暗がりでその表情までははっきりしないが、その声は震えているようでもあった。

「……」

 三景は何も答えられなかった。

(……俺は一体、何をした?)

 陸のうなじに歯を立てて、それから――。

 有無を言わさず奪った唇のことを思い出し、三景は愕然とした。

 陸の血を味わった途端、自分の心の留め金が弾けとび、信じられない衝動に突き動かされた。飢えた獣のごとく、陸という獲物を食らいつくすこと。その欲求に完全に支配されていたのだ。

(そんな、どうして――)

 貪欲に酔いしれた自分に、身が凍る思いだった。

 昂っていたはずの心身から、急速に勢いが失われていく。三景は崩れ落ちるように、寝台の隅に座りこんだ。


 その直後、病室の扉が開く音とともに、天井の照明がついた。突如、蛍光灯の光に晒された三景が目を細めていると、足早にこちらへ近づいてくる姉――一羽の姿が見えた。さらに彼女の後ろには、先ほどの看護師が神妙な顔でつき従っている。

 三景は相手が姉だとわかっても、力なく腰を下ろしたままであった。陸も放心したように動かない。一羽はそんな二人をしばらく無言で見比べると、

「カナ、篠田くんの手当てをしてあげて」

 全てを悟ったのか、看護師にそう指示した。

「わかりました」

 カナと呼ばれた看護師はいったん部屋を出たが、すぐに医療器具が積まれた台車を押して戻ってきた。カナは台車をベッド脇に止めると、陸に声をかけて首筋の傷を確認し始めた。

 その傍らで、一羽は三景に向き直り、

「彼の血を得たのね、三景」

 責めるでもなく、怒るでもない、淡々とした口調で言った。

「俺は、衝動を抑えられなかった……」

 三景はそう答えて、自らが敗れ去った者であるかのごとく、うなだれた。

 蜘蛛との戦いで深手を負った陸に、三景は己の血を分け与えた。それによって陸の命は救えたものの、今度は三景自身が血に飢えることになり、結局は陸の血を飲んでしまったのだ。

「そうね。だけどそれこそが私たちの本能、本質の一つなのよ。私たちは誰も、生まれ持った性質を抑え続けることはできない。たとえ、それが自分にとって望ましくない、不愉快なものであったとしても」

「……」

 姉の言葉に、三景は首を横に振るのみだった。

 そして、一羽が再び陸に目をやった時、陸はすでに起き上がってカナの手当てを受けていた。陸は首の傷口を消毒され、保護パッドを貼りつけられながら、

「一羽さんと、どうして、看護師さんも……」

 訝しげな面もちで一羽に訊ねた。

「心配しないで。この病院は私たちの一族が経営しているの。だから一部の職員は『影』や私たちが行っていることを知っているわ。ここにいるカナや、あなたの担当医もそう。あなたに何があったか承知のうえよ」

「ええっ!?」

 微笑みながら答える一羽とは対照的に、陸は驚きで身が跳ね、ベッドがぎしりと揺れた。予想を超えた内容に、陸は目を白黒させ、口をもごもご動かしていたが、

「色々と話したいことはあるけれど、今夜は遅いわ。篠田くん、どうかもう身体を休めて。あと、首の傷は明日には治るから」

 一羽は左腕にはめた時計をちらりと見て、そう言った。もはや日付が変わる時間帯になっていた。

「……はい……」

 陸は喉元から出かかった言葉を押し戻すように唾を飲み込むと、やや声を落として返事をした。そして、どこかやりきれない表情で俯いた。

「私たちも帰りましょう、三景」

 一羽に促され、三景は重い足どりでベッドから離れた。

 病室を出る前に、三景は振り返って陸を見つめた。しかし、陸は視線を下へ向けたきり、三景の方を見ようとはしない。その胸のうちも見えなかった。

 結局、最後まで陸と目を合わせることも、言葉を交わすこともできぬまま、三景は部屋をあとにした。



 



 ここまで読んで下さり、ありがとうございます。しばし間が開きましたが、第2部です。理想ではもっとガッツリ全体の構想を固めてから書きたかったのですが、やはりそういった作業は性に合わず、今回も見切り発車となりました。どのような話になるのか、私もドキドキしています。こんな有り様で恐縮ですが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

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