31 三景⑥
抱擁の後、三景はゆっくりと陸を押し倒した。静まり返った病室に、ベッドがぎしりと軋む音が響く。
陸が視線を動かすと、カーテンの隙間から、雲に隠されていた月が再び姿を現すようすが見えた。淡い月光が、陸を見下ろす三景を照らし出し、その瞳の闇をいっそう濃く際立たせている。
「……山那……」
組み敷かれた陸がそう呼びかけると、三景は沈黙したまま、目で続きを促した。
「『領域』で倉庫にいた時……お前は一体、どんなことを考えてたんだ……?」
銀の蜘蛛から逃れるため、倉庫に逃げこんだ二人。そこで陸は恐怖と混乱にかられ、蜘蛛と向き合うよう求めた三景に怒りをぶつけたのだった。自分の気持ちなどわからないだろうと。
――わからねえよ、人が心の底で何を考えてるかなんて。でもそれは、お前も同じはずだ。
暗い倉庫で陸が耳にした、三景の台詞。わずかな光源に浮かび上がっていた表情を思い出しても、そこから三景の本心を推し測ることはできなかった。
「あそこで、お前は……自分が何を考えてるか、おれのことをどう思ってるか、わからないだろうって、おれに言ったよな? 確かにおれにはわからない。だから教えてほしいんだ。あの時、お前が心の中で思ってたことを」
「……」
問われた三景は、意外にもばつの悪そうな表情を浮かべた。これもまた、陸が初めて見る三景の反応であった。何かよくないことを聞いてしまったのかと不安になる陸に、
「あそこで、俺は――お前を贄にしたいと思ってた。蜘蛛にお前を取られるくらいなら、いっそ俺が先に手に入れたいと。つまり、俺は口では蜘蛛の昇華だの何だの言ってても、本心ではまるで違うことを考えてたんだ」
自らの行いがばれて観念した罪人のごとく語った後、三景は深いため息をついた。そして、
「……失望したか……?」
陸の顔を覗きこむと、小さな声で訊ねた。
「――ううん、ちっとも」
ぽかんとしていた陸だったが、少しずつ顔をほころばせた。
「でも、お前は結局、おれを守ってくれたじゃん。それに――」
「それに?」
やや焦れたように、途切れた言葉の先を紡ぐ三景。
束の間、続きを言いまどろんだ陸だったが、
「お前にそう思われるのは、悪くない……」
どこか気恥ずかしげに、上ずった調子で答えた。実際、これが陸の本心だったからこそ、口に出すのが無性に照れくさかった。
「……」
三景は驚きを隠せずにいたが、やがて、意を決したように表情を引き締めると、
「篠田……」
噛みしめる口調で、陸を呼ぶ。その真摯なまなざしに、陸はただこっくりと頷いた。
三景の右手が、陸の検査着の襟元に伸びた。そのまま、左の襟がそっとずらされ、陸の首筋から肩にかけてがあらわになった。
「……っ」
夜のひんやりした空気にふれたこと。そして、三景の手によって肌が晒されたことに対し、ドキッとした陸は、小さく息を呑んだ。
(ちょっと待って、は、恥ずかしい――)
陸はうろたえる心を表すように身をよじりかけたが、その時、三景が動いた。手で陸の両手首を枕の横に縫いつけ、ゆっくりと陸の体に覆いかぶさっていく。
窓際から射し込む月光が、三景に遮られて見えなくなる。その直前、陸は自分を捉える三景の黒い双眸が、獣の目に似た光を宿した気がした。
三景の顔が、陸の首筋に埋められる。そして首筋にふれる柔らかな感触に、陸は少しくすぐったいような、おかしな感じがした。
だが次の瞬間、陸は首筋を尖ったもので刺されたような鋭い痛みと、それを和らげるかのような甘美なしびれを感じた。
――噛みつかれた。
陸は本能的にそう悟っていた。血が出ているのか、どくどくと血潮が流れ、胸の鼓動が速まるのがわかる。だが、それを越える勢いで、体の芯が熱を帯び、疼くような感覚に襲われた。
(……何だ、これ……っ)
これまでに感じたことのない、腰の奥から蕩けそうな感覚。陸は痛みではなく、身を包む熱に体を震わせた。
「んっ……」
思わず、陸は切なげに喘ぎ、動きを封じられた手の先で宙を掴もうとする。
しかし、その直後、首に刺さる尖った感覚が不意に消え失せた。同時に、三景がゆっくりと陸の首筋から頭を上げる。それに伴い、陸を翻弄していた感覚も、徐々に薄れつつあった。
(……終わった……?)
陸は熱に浮かされたような顔で三景を見上げる。時間にしてみれば、わずか数十秒のことと思われた。
だが、三景は陸の手を押さえつけたまま、赤い血がついた唇をぺろりと舐めた。それは間違いなく陸の血であり、食事を終えた動物を思わせる仕草だった。そして、三景のややつり上がった目は、獲物を手に入れた満足と愉悦で彩られていた。
(獣、みたいだ――)
そこには、陸が初めて会った時に抱いた、獰猛な獣に似た雰囲気の三景がいた。
(ああ、こいつはやっぱり……)
陸は、おそらく他の誰も知り得ない三景の姿を見た気がした。そして、自分はこの三景の贄――獲物だったのだと理解した。
三景は無言で上体を起こしながら、陸をゆるりと睥睨する。威圧的だが抗いがたい魅惑を持つ三景のまなざしと、陸に潤んだ瞳が絡み合い、交錯した。
三景は改めて獲物の様子を観察するように、再び陸を覗きこんだかと思うと、おもむろにその唇を陸のそれへ重ねた。
「!!」
――嘘だろ。
何の前触れもなしに唇を奪われて、声にならない声を発する陸。驚きで体が跳ねそうになったが、その矢先、三景の手が動いて、陸の手のひらを包みこんだ。
「……っ……」
口づけを通して、陸の口の中に鉄の味が広がる。それは今しがた三景が吸った、陸自身の血の味だった。
(おれは、自分で選んだつもりだったけど……)
自分が三景の贄になることは、もしかすると最初から決まっていたのかもしれないと感じられた。誰がどのような選択をし、行動しようとも、こうなる定めだったのではないかと。
三景に血を吸われたせいか、あるいはふれ合う唇の柔らかさのせいか。陸は頭がくらくらするのを感じつつ、三景の手を握り返すように、五指を強く絡めていた。
ひとまず、第1部「茜の時」はここまでとなります。説明しきれなかった部分も多々あり恐縮ですが、その辺りも含め第2部以降で書けたらと考えています。私はプロットを作れない質で、この作品も行き当たりばったりになり、恥ずかしい限りです。それでも、書きたいところまで書くことを実現でき、とても嬉しく思います。第2部はもうちょっと全体を考えて書きたいのですが、どうなるか…。とりあえず少しお休みして、続きは来年に書き始めるつもりです。拙い内容ですが、ここまで読んで下さった方、ブックマークやポイントをつけて下さった方に、心から感謝しております。また第2部でお会いできれば幸いです。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!




