3 帰り道~ふたたびの出会い
入学式後のホームルームも終わって、陸が学校を出たのは昼前だった。
放課後、隣席の健太たちと携帯電話のアドレスなどを教え合った。陸はいわゆるガラケーを使っており、今年の誕生日にはスマートフォンを買ってもらえるよう願っている。
そんなやりとりの後、陸は自然を装って反対側の席を見た。が、席の主はすでに帰ったらしく、空っぽの机と椅子だけが残されていた。
「あれ……?」
社宅を目指して自転車をこいでいた陸だが、十分ほど住宅街を進んだ辺りでブレーキをかけた。小さな花壇のある歩道脇で、自転車に乗ったまま立ち止まる。
(――どっかで、曲がり間違えたかな)
朝と同じ道なら、そろそろ大通りに出てもいい頃だった。
しかし目の前には、戸建ての家が並ぶ道が続くばかりである。同じ時期に建て売りされた地域なのか、屋根や家の形が似た作りで、慣れない者にはわかりづらい道とも言えた。
「やっちゃった……」
陸は方向音痴ではないつもりだ。大まかな方角さえわかれば、最後は社宅に辿り着けるはず。そう考えて自転車から降りた時、ふと花壇の隅にあるものが目についた。
小さな瓶に生けられた花束と、缶ジュースが供えられている。陸の知らない、季節の花で赤や黄色く彩られた花壇の端に、それらはそっと置かれていた。
花も飲み物もまだ新しく、最近供えられた物のようだ。
(……事故か?)
陸は複雑な面もちで、改めて周りを見回した。
そこは十字路で、家の並びがいったん途切れ、割と幅広い道路が走っている。さほど車通りは多くなさそうだが、そのせいか信号やミラーといったものも設置されてはいない。
陸は大きな溜め息をついた。今朝、こんな物は見た覚えがない。道を間違えたのは決定的なようだった。
その時、花壇の方からカタンと物音がした。
「?」
陸が視線を投げると、供えられていた缶ジュースが、横向きに倒れていた。
(風、吹いたっけ……?)
怪訝に思いながらも、陸は迷った。缶を元の状態に立ててやるべきか、放っておいていいのか。
缶には、オレンジをモチーフにしたキャラクターが描かれていた。それはテレビなどで馴染みのもので、花壇の土に横たわり、陸に笑いかけてくる。
正直、触ることはためらわれた。だが陸には、何故かそれが気になってもいた。
「う~ん……」
一人唸りつつ、供え物の方に足を進めかけた。
「――何してる」
背後から、陸と花壇の間に矢を突き立てるような鋭い声が飛んだ。
完全に不意をつかれ、陸は飛び上がりそうになる。実際には肩を揺らす程度だったが、慌てて振り向くと、声同様に尖った目つきの三景がいた。
「……山那……」
帰宅途中なのだろうか。紺のブレザーに黒いショルダーバッグは、教室で見たままだ。
しかしその瞳は、相手を射抜かんばかりの凄味を放っている。その迫力は、社宅で出会った際の雰囲気に近い。到底、クラスメートに向ける表情とは思えなかった。
(何コイツ……やっぱり、怖っ……!)
陸は虎にでも睨まれた心地で、何も答えられずにいると、
「社宅はあっちだろ。さっさと帰れよ」
三景は雑談など受け付けない口調で言い放ち、陸の側を通り過ぎようとした。
「ちょっと、待っ……!」
怖がりながらも、陸はどうしてか、咄嗟に三景のショルダーバッグを両手で掴んでいた。
「――っっ!?」
右肩にかけたバッグを急に引っ張られた三景は、思わずバランスを崩しかける。だが寸でのところで踏みとどまった。
「おい!」
驚きと怒りの形相で声を荒げる三景に、
「……ま、迷った……」
陸は怖さと恥ずかしさで気後れし、まともに三景の顔を直視できない。かろうじて、それだけ呟いた。
「――はぁ?」
三景が、気の抜けた炭酸を飲んだような表情で訊き返す。
「だから、道がわかんなくなったんだって!」
陸が真っ赤な顔で声を張り上げた。
「……んだよ、迷子か」
三景はつまらなげに言うと、陸を置いて再び歩き出そうとした。
「お前、そりゃないだろ!?」
陸は目を剥いて、怖さも忘れて三景に食ってかかる。
「適当に行けば、そのうち着く」
振り向きもしない三景。これから一年、同じクラスでやっていこうというのに、こんな態度があるだろうか。
三景はそのまま進むと、花壇に手を伸ばし、倒れたままの缶ジュースを元の位置に戻した。それはごく自然で、躊躇が一切ない動きだった。
「お前、社宅の場所知ってるだろ? せめて教える位してくれたっていいじゃんか!」
一方の陸は缶のことも頭から飛んで、懲りずにまた三景のバッグを掴んで離さない。
三景は面倒くさそうに陸を一瞥すると、
「あの鉄塔」
ぶっきらぼうな口調で、北の先に見える送電用の鉄塔を顎で指した。
「直進したら、あの手前に出る。そこを左に曲がって道なりに行けば、四井の社宅だ」
「あ……」
陸は、三景に言われてようやく、鉄塔が目印であることを思い出す。今朝も覚えていたのに、迷ったと焦る内、記憶からすっぽり抜けていた。
「ありが……」
おずおずとお礼を言いかけた陸だったが、三景はそれも聞こうとせず、今度こそ一人で歩き出してしまった。
にべもない三景の背中が遠ざかるのを見つめながら、陸はしばらくポカンとしていた。やがて、水からお湯へ沸騰するように、困惑と苛立ちがふつふつと沸いてくる。
「な……何だよ、あいつっ……」
せっかく礼を言おうとしたのに。そして、カッとなってしまった自分の態度も、謝りたかったのに。
(最悪な奴!)
陸は怒りも冷めやらず自転車に乗ると、鉄塔を目指してがむしゃらにペダルを漕ぎ出した。
あとには、花壇に供えられた花と缶が、吹きそよぐ春風に揺れた。それでも、缶が倒れることはなかった。