29 三景④
「山那……お前、ずるいよ……それを、おれに決めさせるのか?」
陸はナースコール用のボタンを握りしめ、恨めしさに表情を歪ませた。
「おれの血が欲しいんなら、いっそのこと、何も聞かずにおれを襲って血を吸えばいい。その方が、おれにとってどれだけ楽か――」
一方的に巻き込まれたのなら、相手を糾弾するだけでいい。自分は責任を負わずに済むのだ。
もし贄になって三景の力になれば、自分と同じく『影』に狙われた者を救うことができるのかもしれない。しかし、だからといって進んで己の血を与える人間が、どれくらいいるだろう。
(そんなの、冗談じゃない)
陸の理性が、そう訴えていた。自分の身を守るために、そう考えて当然のはずだ。しかし、陸はそれを口にできなかった。相手が三景であることが、どういう訳か陸をためらわせ、苦しめていた。
三景は何も答えず、ベッドの向こうから陸を見つめている。普段は門番のように鋭いまなざしも、今はその気迫を失っていた。
「一羽さんが言ってた……もし贄のことを知ってたら、お前にはおれを担当させなかったって。本当におれと関わる気がないなら、お前はそうできたんじゃないのか? なのに、どうしてお前はおれを何度も助けたんだよ? しかも、おれに血まで分けて――」
入学式の帰り、まだ慣れない町で迷った陸に声をかけたのは三景だった。また、陸が駐輪場で蜘蛛に遭遇したときも、一人きりで土手に座りこんでいたときも、三景が来てくれた。そして先ほどの戦いにおいても、三景は最後まで陸を守ったのだ。
「……わからない……」
三景が、ぽつりと呟いた。
「確かにお前の言うとおり、俺は姉貴に何も話さなかった。今となっちゃ浅はかだが、衝動を抑えて蜘蛛を昇華できると思ってたからだ。それと……」
三景はそこまで言うと、束の間、視線を床に落として黙りこんだ。しかし、再びゆっくりと面を上げ、陸をまっすぐに見た。
「どうしてか、お前を放っておけなかった」
その言葉に、陸は虚をつかれたように立ち尽くした。体から力が抜け、思わずボタンを取り落としそうになる。
「単に、贄を求める本能のせいなのかもしれねえ。大体、お前は肝心なところが抜けてるくせに、ずけずけとものを言ってきて、顔合わせりゃ喧嘩ばっかりだ。けど、なぜかお前のことが気になって、しょうがなかった」
三景がそう告げた直後だった。病室の扉が数回ノックされ、音もなく開かれる。
「陸くん、起きてるの?」
ひそやかに囁きながら入ってきたのは、看護師のようだった。
「話し声が聞こえた気がしたんだけど……」
看護師の怪訝そうな台詞を、陸は頭までかぶった布団越しに聞いていた。
しかも、ベッドにもぐりこんだのは陸だけではなく、三景も一緒だった。ノックの音に気づいた瞬間、陸はとっさに三景の腕を掴んで引き寄せていたのだ。
室内は暗いとは言え、ベッドに近づかれたら、部外者がいるとばれてしまうかもしれない。陸は三景の胸に顔を埋める格好で、息を殺して身をひそめた。
幸か不幸か、看護師はそれ以上足を踏み入れることなく、病室を出ていく気配がした。
「……行ったぞ」
「はあ……」
陸は三景の言葉を耳にして、ようやく安堵の声を発した。
「安心してる場合かよ。お前、自分のしたことの意味がわかってんのか?」
三景は呆れた口調で言うと、渋い顔つきで上体を起こし、靴を脱いだ。時間がなく、スニーカーを履いたままベッドに入っていたのだった。
「……わかってる」
三景につられるように、陸ものろのろと起き上がり、小さく答える。陸は、三景を追い出すチャンスを自ら潰した。呼び出し用のボタンも、とっくに手放していた。
「お前のこと、ずるいって言ったけど……お前は自分の気持ちを話してくれた。だから、おれも本音で話そうと思う」
そう言って俯いた陸の肩に、ばさっと白いパーカーが掛けられる。それは、三景が羽織っていた上着だった。
「え?」
不意の出来事に、陸が目をぱちくりさせていると、
「お前、さっきまで熱あったんだろ。話したいなら、それ着るか、布団かぶってからにしろ」
すぐ隣で、三景がぶっきらぼうに告げた。
陸は珍しいものでも見るように、三景のパーカーをしげしげと眺めた。言われてみれば、陸が着ている検査着はやや薄手だ。パーカーは綿生地の一般的な物だが、三景の温もりが残っているようだった。
「……さんきゅ……」
パーカーに手を添えながら、陸はそっと呟いた。三景は返事もせず、よく目にする仏頂面のままだった。けれど、ありふれたはずの綿の感触にふれた時、なぜか陸は、胸の奥をぎゅっと掴まれるような切なさを覚えた。




