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The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
26/75

26 三景①

 右手首にチクリとした痛みを感じ、陸はゆっくりと目を開けた。

 すると、白衣の看護師が、横たわる自分の傍らに立ち、手首に針を射し込んでいるようだった。その側には点滴スタンドがあり、透明な液体の入ったパックがぶら下がっているのが見える。

「……おれは……」

 一体、ここはどこなのか。そして、自分はなぜここにいるのか。

 陸の掠れた呟きが耳に入り、若い女の看護師ははっと陸の顔を確認した。

「陸くん、気がついた? 今、先生やご家族を呼びますからね」



 陸がいるのは、どうやら病室らしい。ベッドと保冷庫付きのテレビ台、奥にはロッカーやトイレもある個室だった。

「陸!」

 間もなく奥の扉が開き、母が駆け込んできた。その後ろには、心配そうな顔をした妹の海と空もいる。

「お母さん、おれ、どうしてここに……?」

 ベッドに寝かされたまま、訊ねる陸に、

「あんた、学校から帰る途中に自転車で転んだのよ。覚えてないの?」

「は……?」

 陸は、耳を疑った。

「あそこ、何町だったか忘れたけど、十字路の手前であんたが倒れてたって。近くの家の人が気づいて、声かけたけど反応がないから救急車呼んでくれたそうよ。電話があった時、本当にびっくりしたんだから」 

「……」

 母の言葉を聞くうちに、陸の記憶が徐々に戻ってきた。だが、それは話の内容とあまりに違うものだった。

(だって、おれは、あそこで車にぶつかりそうになった後……)

 銀の蜘蛛の『領域』に引きずりこまれた。そして、三景や一羽が現れ――。

 そこで、陸は二人の姿がどこにもないことに気づいた。

「山那は……? お母さん、山那はどこっ!?」

 自分を守って巨大な蜘蛛と戦った三景は、怪我をいくつか負っていたはずだった。

「ヤマナ? 誰よそれ、クラスの子? でも、その場にはあんたしかいなかったって……」

 しかし、母は首を傾げながら、そう答えるのみだった。

(そんな……)

 陸は困惑を隠せなかった。三景たちは一体どうなったのか。さらに、その後のことも数珠繋ぎで思い出した。自分は三景を庇って、蜘蛛の脚で腹部を刺し貫かれたことを。

「お腹!!」

 陸は突然起き上がって叫ぶと、手首に点滴の針が刺さっているのも構わず、検査着を両手でがばっと開く。

 ところが、腹部には傷ひとつなかった。

「……え……?」

 陸は絶句した。

「ちょっと陸、何してんのよ!?」

 その行動に驚いて、声を上げる母に対し、

「おれ、蜘蛛に刺されたんだ! お腹を思いっきり刺されて、血とかすごい出たんだよ! でも傷がない、何で!?」

 陸も同じくらいの勢いで動揺していた。

「陸、あんた何言ってんの!? 一体どうしちゃったのよ!?」

 その時、再び病室の扉が開いて、

「転倒の衝撃で、記憶が少々、混乱しているのかもしれません」

 年配の男性医師が、先ほどの看護師を伴ってやって来た。

 医師は陸の顔を見ながら、

「君は自転車で転倒した際、脳震盪を起こしていた。だから、一時的に夢と現実がごっちゃになっているんだろう」

 冷静な口ぶりで、そう言い聞かせた。

「……夢……?」

 納得のいかない陸を尻目に、医師は母に一礼して向き直った。

「息子さんの脳の画像を確認しましたが、幸い、異常ありませんでした。打撲や擦り傷も大きなものはありません。微熱があったので点滴を打ちましたが、一晩様子を見て、熱が下がれば退院できますよ」

 陸の母はその説明に安心し、胸を撫で下ろす。だが、陸は未だ不可解な思いを拭いきれぬまま、医師と母のやりとりを眺めていた。



 点滴が終わり、母たちが帰る頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 病室に一人残った陸は、窓辺に立つと、母が閉めていった白いカーテンをそっと開け、夜の町を見下ろした。雲でぼやけた丸い月のもと、あちこちでビルや家の明かりが輝いている。陸は自分の住む社宅や高校を探してみたが、方角が違うのか、それらしい建物は見つけ出せなかった。

 微熱のせいか、喉の渇きと気だるさを感じる。陸は深いため息をついて、視線を室内へ戻した。

(制服、どこも破れてない……)

 入口近くのロッカーに、陸の制服がかけられている。蜘蛛の脚に刺された体験が現実であれば、ブレザーの真ん中には大きな穴が開いているはずだ。しかし、確認したところ、制服はズボンや腕の裾などが少し汚れているだけで、穴や血痕などはどこにも見当たらなかった。

「本当に、夢だったっていうのか……?」

 陸は窓辺にもたれたまま、呻くように呟いた。

 陸は、太い杭のような脚が刺さった感覚も、三景たちと話したこともありありと覚えており、夢とは到底思えなかった。だが、それらの体験を示す痕跡が、現実には何一つ見つからない。

 もし夢なら、一体どこからが夢なのか。銀の蜘蛛、岡湊斗の姿をした『影』、そして三景や一羽とのこと。それら全てが、夢なのだろうか?

(そうだ、携帯――)

 陸は閃いたように顔を上げたが、すぐに力なく頭を垂れた。三景に連絡したくても、番号など聞ける間柄ではなかったのだ。健太なら、三景の連絡先がわかるかもしれないが、

(もし、山那とのことも、全部夢だったら――)

 社宅での出会いも、交わした言葉も、夕暮れに自転車で二人乗りしたことも、幻覚に過ぎなかったとしたら。そう考えた途端、陸は言い知れぬ不安に襲われた。

 その時、ふいに、病室の扉が軽くノックされる。そして、再びあの看護師が顔を出した。

「陸くん、何してるの? まだ熱があるんだから、安静にしないと」

 看護師は室内へ入るなり、母親みたいな口調でそう言った。うんざりした顔でベッドへ潜る陸に、

「今、あなたに面会の方がいらしているの。中に入ってもらってもいい?」

 やや改まって言った。

「面会?」 

 陸は不思議そうに聞き返す。出張帰りの父だろうか。

 看護師は扉の方へ向かうと、

「こちらです」

 と廊下に声をかけるのが聞こえた。

 すると、看護師に案内され、一人の女が陸の前に姿を見せた。

「あ――!」

 黒いビジネススーツにハイヒール。そして胸まで伸びた黒髪と、理知的な面立ちに、陸は驚いて目を見開いた。

「篠田くん、具合はどう?」

 女――一羽は気遣わしげな表情で、陸にそう問いかけた。



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