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The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
20/75

20 陸⑤

 引き戸を開けると、外には先刻と同じ、灰色の世界が広がっていた。古びた社宅の棟や砂利が転がる地面。そして倉庫の横には大きな桜の木が植えられているが、それらはいずれも、本来の色を抜かれた遺骸のように佇んでいた。

 陸は引き戸の隙間から顔を覗かせると、空を見上げて――息を呑んだ。

 社宅の棟と、数メートル離れた電柱との間に、巨大な蜘蛛の巣が放射状に張り巡らされていた。空を覆い隠してしまうほど、四方八方に編まれた白い糸。そして、その起点となる中心部には、車ほどの大きさの蜘蛛が鎮座し、陸を見下ろしていた。

「静かになったと思ったら、せっせと網を張ってたわけか」

 陸の後ろから、その様子を眺めた三景が言った。

「俺があいつの動きを止める。そうしたら、お前は奴の主眼を見ろ」

「主眼?」

 耳慣れない単語に、陸が訊ね返すと、

「蜘蛛の頭胸部――つまり顔の真ん中にある、二つの大きな眼のことよ」

 奥から一羽がそう答えた。

「奴の眼は全部で八つある。その中でも、特にでかい眼だ。お前はそれだけ見ろ。昇華のためだ。絶対に視線を逸らすな」

 三景は陸に強い口調で言い渡すと、ためらいもなく、先に外へ出た。

「ちょっ……ちょっと待てよ、おい!」

 置いていかれた格好の陸は、一瞬恐怖を忘れ、気づけば後を追って倉庫を飛び出していた。


 外の空気は、少しひんやりしているように感じられた。

 陸と三景が外に出ても、巣上の蜘蛛は微動だにしなかった。ただ、頭胸部の中央から両側にかけての八つの赤い眼が、紅蓮の宝石にも似た輝きを放っているのが見えた。

「…………」

 やっぱり、恐い。

 陸は銀の蜘蛛を前にして、足がすくむのを禁じ得なかった。

 糸が見えなければ、蜘蛛は頭胸部を下にして、まるで宙に浮いていると錯覚したかもしれない。だが、目を凝らすと、ワイヤーのような太さの白い糸が、頭上の至る所に細かく張り巡らされているのだった。

「待ちかねたってところか」

 陸の傍らに並んでいた三景が、そう言いながら一歩前へ出ると、蜘蛛に言葉を投げかけた。

「今からでも、おとなしく昇華に応じるなら――」

 しかし、三景の台詞を遮るように、銀の蜘蛛はじりじりと八本の脚を動かした。巨大な巣が、ゆらりとたわむ。蜘蛛は身を低くし、すぐにでも下の陸たちに飛びかからんばかりであった。

「……その気はねえ、か」

 三景は小さくため息をつくと、鋭いまなざしを蜘蛛に向けたまま、右手に再び光の剣を出現させた。同時に両膝を軽く曲げ、迎撃の構えをとる。

 先に動いたのは、蜘蛛だった。

 陸には、その瞬間の動きを目で追うことができなかった。視界が暗くなったと感じた時、脚を広げて降ってくる蜘蛛の姿が眼前に迫っていた。

「させるか!」

 三景の怒声と共に、陸は横へ突き飛ばされた。その言葉に呼応するかのごとく、三景の手にある光の剣先が、槍のように鋭く尖った。そして、三景は真下から剣を突き上げ、蜘蛛の頭胸部と腹部の境目を狙って刺した。剣は貫通こそしなかったが、鉄の色をした体を突き破るには十分であった。蜘蛛は胴体もあらわに、押しきる三景の力で後方の電柱へ叩きつけられた。

 ――グオオオオオ。

 傷口から、一筋の赤黒い体液がゆっくりと流れ落ちる。蜘蛛は雷鳴が轟くような声を発し、串刺しにされた格好でもがいた。

「さっきので、お前の体の硬度が増したのはわかった。断ち切るのは難しいってな」

 三景は突き刺す力をゆるめることなく、そう告げた。蜘蛛の体液は光の剣から三景の両手を伝い、着用している紺のブレザーの袖口まで濡らしていく。

「あ……ああ……」

 一方、突き倒された陸は尻餅をついたまま、真横で繰り広げられる光景に身をすくませた。昇華に臨む決意は恐怖心にとって変わられ、その場から動くことさえできない。

「何してる、篠田。立て!」

 三景が促しても、陸は弱々しく頭を振ったきり、小刻みに体を震わせるのみだった。

 そんな陸に、三景が舌打ちした時、

「三景、後ろ!」

 倉庫の引き戸から顔を出した一羽が、声を上げた。

 三景の剣から逃れようとしていた、蜘蛛の動きが一転した。数本の尖った脚を三景の背中に食いこませ、背後から捕らえたかと思うと、上顎を鋏のごとく開き、三景に襲いかかった。

「!」

 三景は握っていた光の剣を消し去り、すぐさま右の手のひらを蜘蛛の口器へ差し向けた。次の瞬間、そこから白い光弾が放たれ、蜘蛛の上顎に直撃した。ぶしゃっという音と共に、その体液が緋い飛沫となって、電柱や三景に降り注いだ。三景は顔をしかめたが、蜘蛛がひるんだ隙に、すばやく後方へ飛び退いた。

 ――ぼとっ。

 半ば腰が抜けた陸の側へ、上から黒い石のような物が落ちてきた。

「……?……」

 陸が訝しげに目を凝らしてみると、それはどうやら蜘蛛の肉片の一部らしかった。銀色の表面とは異なる赤黒い肉の塊で、付着していた体液が、周辺の地面にじわりと染み込んでいく。

「うっ……うわあっ!」

 陸がぎょっとして後ずさると、

「落ち着いて、篠田くん」

 一羽が陸の傍らへやって来た。

「蜘蛛が巣を張ったのは、おそらくあそこで、あなたの魂を捕食するため。だから――」

 一羽がそこまで言いかけた時だった。

 蜘蛛は傷つけられた口器と腹部から体液を垂れ流しながらも、敏速に体勢を立て直した。そして八本の脚を使い、陸めがけて一気に跳躍した。

「――っっ!」

 あまりの速さに、陸は逃げる暇もなく、恐怖で瞼を閉じた。

 だが、

「させねえって言ってるだろ!」

 三景が声を荒げて駆けよると、光の剣を手に、陸と一羽の前へ立った。そのまま蜘蛛の攻撃を受けとめるが、勢いづいた相手を防ぎきることはできなかった。

「……くっ……!」

 蜘蛛の脚の先には、鋭い爪が生えていた。剣の切っ先に等しいそれが、三景の左腕を切り裂いた。

「……やってくれたな……」

 三景が低く呻いた。光弾を恐れてか、蜘蛛は後退したが、三景の腕は制服ごと皮膚を斬られ、流れ出る血が手首を伝って、地面に滴り落ちた。

「山那!」

 それを目の当たりにした陸は顔色を失い、悲鳴に近い声を上げた。

「かすり傷だ、こんなもん」

 しかし三景は振り向きもせず、そっけなく答えるのみだった。

 三景は左腕の出血にも構わず、右手だけで光の剣を握ると、正面の蜘蛛に対峙した。

「……篠田(こいつ)は、絶対に渡さねえ」

 剣先をまっすぐ相手に差し向け、そう言い放つ三景。蜘蛛は地を這いながら、三景を炎のような色の眼で見返した。


気がつけば、この作品も20話目になりました。ビックリ&嬉しいです。拙い文章ですが、ここまで書き続けられているのは、読んで下さった方や、評価やブックマークして下さった方のおかげです。本当にありがとうございます!

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