表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
2/75

2 再会

 一週間後。


 陸は、高校の入学式を迎えた。

 学校は社宅から自転車で二十分ほどの、住宅街の真ん中にあった。男女共学で、近くにあるいくつかの中学校からの進学者がほとんどらしい。といっても、東京から来た陸にとっては、初めて会う者ばかりだったが。

 クラス分け発表と入学式を終えたばかりの教室には、すでに窓際や後ろにたむろして話す生徒もいた。しかし、そこにはいきなり一つの空間に集められたばかりの、どことなくぎこちない空気が流れていた。

 紺のブレザーに、えんじ色のネクタイ。中学校で学ランだった陸には、初めてのネクタイは窮屈だった。これをつけるのは行事の時だけで良いと聞いている。早くはずしてしまいたいと思いながら、自分の席につく。

 窓側から二列目の、前から二番目。そこが陸の席だった。

 陸の父はいわゆる転勤族で、二~三年ごとに引越がある。おかげで、陸は小学校が三回変わった。中学校は入学から卒業まで同じ所に通えたが、高校生活はこうして別の土地で始めることになった。

 だから、知らない町で知らない人の輪に放り込まれるのは、人より慣れているつもりだった。

 全国を転々とする経験から陸が学んだのは、土地や学校の雰囲気には相性があるということ。楽しい所もあれば、合わない所もあったが、いずれにせよ『数年で別の所へ行く』ことが前提の生活になっていた。それは新鮮さをもたらす一方で、友人と長く付き合い、思い出や成長を共有できない寂しさもあった。

 しかし、そんなことを嘆いても始まらない。陸は何気なく周囲を見回してみた。一人で座っている子、もう数人で騒いでいる子たち。その中に、自分と似た雰囲気の生徒がいないか観察する。

(そういう子が、割と仲良くしやすいんだけど……)

 これも、経験から知ったのだ。

 その時、開けっ放しの前方の入口から、一人の男子生徒が入ってきた。それを見た途端、陸の目に驚きの色が走る。

 黒いエナメルに赤いロゴのショルダーバッグを肩にかけ、背筋を伸ばして歩く姿。凛として前を見据える眼差しには、覚えがあった。

 彼は黒板の前を通って教卓を横切ると、陸の右隣の席にやって来た。そしてバッグを下ろし、無造作に机の上に置いた。

「あ……」

 陸の意識が、一瞬で『あの時』に引き戻される。強烈に感じたインパクトを、忘れられるはずがなかった。まったく予期せぬ形での再会に、陸は何か言おうとしたが、言葉が出ず、弱った魚のように口をパクパクさせるのみだった。

 そんな陸の様子に気づいた男子生徒は、立ったまま、訝しげに陸を眺めた。

 あの時は陸が見下ろす側だったが、状況が逆転した今、相手の身長が自分より高いことがわかった。頭一つ分位の差で、180㎝はあるだろう。

「ーー何だ?」

 男子生徒が初めて言葉を発した。ぶっきらぼうだったが、あの時のような眼光の鋭さはなかった。野性の獣を連想させた迫力も、今は番犬程度になっている。

(……何だ、フツーの奴じゃん……)

 陸はそれで、少し安堵した。

「あの……先週、うちの、四井商事の社宅にいただろ? おれ、二階から見ててさ、目が合ったじゃん! もう、すげー怖くて……」

 (あ、最後のは余計だった……)

 そう口に出してから、陸は後悔した。が、言った言葉は取り消せず。

「ーーあ?」

 相手の顔が、みるみる険悪になっていくのがわかった。

(しまった、やってしまった……)

 高校デビューに早くもつまづいてしまった。中学時代からリスナーである中高生向けのラジオ番組『スクール・ファン』、その新入学・新学年デビュー特集もばっちり聴いて、心構えしてきたのに。

 陸が内心で合掌していると、窓側の席から別の声がした。

「やんちゃん、あそこに行ったの?」

「え?」

 陸がはたと顔を向けると、左隣の席に座る男子生徒が、気にかけるような視線を自分たちによこしていた。人の良さそうな顔には、まだあどけなさが残っている。そんな彼を囲むように、別の男子生徒と女生徒もいて、成り行きを見守っているようだった。

「……行った」

 やんちゃんと呼ばれた彼は、短く返事をした。親しい間柄なのか、声のトーンが少しだけ柔らかくなる。

 だが、それは一瞬のことだった。彼は再び険のある表情で陸を見て、

「けど、ちょっと見ただけの奴のことなんか覚えてねえ」

「なっ……!」

 愛想のかけらもない口調でそれだけ言うと、席につくこともなく、さっさと教室を出て行ってしまった。

「な、何だよ、あれ……」

 一人取り残された陸は、思わずそう呟いた。

 自分にとってはこの上なく衝撃的な出来事だったのに、相手には記憶の片隅にも残っていなかった。もっとも、考えてみれば、その反応が普通で、自分の方がこだわり過ぎだったのかも知れない。けれど現実には、ひどく落胆している自分がいた。

「ーー山那やまなはああいう奴なんや、気にすんな」

 左隣から、強い関西訛りで声をかけられた。

「え?」

 陸が振り向くと、先ほどの男子生徒たちがこちらを見つめていた。

「やんちゃんは、悪い人じゃないから……。あの、名前聞いていい? 僕は大野健太、2中出身だよ」

 心配そうな顔の男子生徒が、気を取り直して訊ねてきた。

「おれは、篠田陸。陸でいいよ。東京から引っ越してきたんだ」

「東京から?」

 それを聞いて、今まで黙っていた女生徒が物珍しげに目を輝かせた。つられて、肩まで届くストレートの髪が揺れる。

「ほんまもんやんか。名前だけ東京のお前とは違うで」

 関西訛りの男子生徒の言葉に、女生徒はムッとして切り返した。

「都会には負けないもん。由緒ある名字なんだから。あたし、吉祥寺ゆかり。ケンケンと同じ2中出身よ。ちなみに、これは中井。大阪から来て五年も経つのに、大阪弁が全っ然治んないの」

「『これ』ちゃうわ。それに治らんのやなくて、治さんのや。そもそも、何で治さなあかんねん」

 中井と呼ばれた彼は、髪を短く刈り上げ、色黒で体育会系の雰囲気が漂っていた。ゆかりとは、まるで漫才のようなやりとりだ。

 陸はそれに圧倒されつつ、

「あのさ、さっきのあいつ……ヤマナっていうの?」

 改めて聞いてみた。

「ああ、やんちゃん? 名前は、山那三景やまなみかげ。僕は幼稚園から一緒だけど、いつもあんな感じだから……。でも意地悪とか、そういうんじゃ全然ないよ」

 ケンケンというあだ名らしい健太が、フォローするように明るく言った。

「あいつは単に線引きがはっきりしてるだけや。『他人が入ってええ境界線はここまで』ってな」

 窓際にもたれながら、中井が言う。

「山那は本当に覚えてないだけだと思うよ、陸のこと。人に頓着ないから。女子に人気あるのにねー、もったいない」

 ゆかりがそう言って、表情豊かに笑った。

(やまな、みかげ…)

 陸は初めて訪れた国の言葉を耳にした者のように、心の中でその名を反芻していた。

 陸の視界の右隅には、机上のエナメルバッグがあった。それは持ち主の帰りを待つように、妙な存在感を放っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ