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The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
15/75

15 衝撃

 午後の健康診断とホームルームを終え、教室は放課後の解放感でにぎやかだった。

 そんな中、陸はひとり浮かない顔で帰る仕度をしていた。ペンケースやノートなど、机の上の物を投げやりにバッグへ放りこんでいく。

 ふと、陸は一枚のプリントを手にした。さきほど担任の教師から配られた、部活動の入部届である。明日から始まる仮入部期間後、希望者はこの用紙を提出するようにという話だった。

 入学前には部活動に興味があった。しかし異界の存在といえる蜘蛛や、謎の少年の幻影に頭を悩ませる今、陸にはもはやそれを考える心のゆとりがない。

「はぁ……」

 陸は小さく嘆息すると、プリントをクリアファイルに挟み、バッグへしまい込んだ。

 その時、教室の開けっ放しの入口から、健太と三景が話をしながらやってきた。

 健太は今日の日直で、職員室へ日誌を提出しに行くと言っていた。一方の三景は何の用でどこへ行ってきたか知らないが、二人は途中で一緒になったらしい。三景より少し小柄な健太は、笑顔で相手を見上げながら。かたや三景の方も、彼にしては柔らかい表情で会話を交わしていた。

「…………」

 陸は事故現場でも目撃したような顔で眉根を寄せ、しばしその光景を眺め続けた。

『人前で恥かかずに済めばそれでいいような、その場しのぎでもない。お前とは違う』

 今朝、自分に冷たくそう言い放った時とはかけ離れた、三景の態度だった。

(何だよ、あいつ……)

 陸はその様子に、胃に鉛でもつかえたような不快感を抱いた。

 最初は、デパートのラーメン店で、自分と健太とでは、三景の接し方に大きな差があると感じた時だった。次に、彼らが幼稚園からの付き合いだと知った時。そして今だ。

 胸の奥が焼けつくような焦燥感。三景に対し、どうしてこんな思いに駆られるのか、陸自身もわからないでいた。

(おれ、病んでんのかなぁ……色々ありすぎて)

 陸の視線をよそに、三景と健太は黒板の前で立ち止まった。隅に書かれた日直の名前を健太が消し、次の者へ書きかえようとしている。

 ――今なら、帰れる。

 陸は二人と顔を合わすのが、無性に嫌になっていた。あるいは、彼らのやりとりを見たくないと言った方がよいかも知れなかった。

 陸はバッグのファスナーを手早く閉め、椅子から立ち上がると、脱兎のごとく教室をあとにした。



 正門近くの駐輪場で、陸は左右の自転車とぶつかるのも構わず、自分のそれを引っぱり出した。そして仏頂面でサドルに飛び乗り、勢いをこめて漕ぎ始めた。

 正門を抜けた先には、一本道が続いている。道路の両側には二階建ての家が並び、徒歩や自転車で帰宅する生徒たちで活気づいていた。

 陸は彼らの間をすり抜けるように、自転車を走らせた。やがて赤い屋根の小さな売店を越えると、大通りに出た。信号のない道を横切り、次なる住宅街を進んでいく。

(――おれは、どこまで行けば楽になれるんだろう?)

 この町に来て半月も経たないが、良いことは一つもなかった。むしろ悪いこと、恐ろしいことばかり起きている。

 夢のみならず、白昼に現れた銀の蜘蛛。そして学校の鏡に映った少年。

 あれらは何なのか。自分をどうしようとしているのか。物心ついた頃から、数年ごとに引っ越しを繰り返し、片手には余るほどの町に住んできた陸だが、こんな経験は初めてだった。どうすればいいのか、わからない。

 ここではないどこかへ行けたとしたら、蜘蛛に襲われる恐怖や疑心暗鬼の不安から逃れられるのだろうか。

(でも、どこかって、どこだよ……)

 だが陸の思いはすぐに行き詰まり、深く落胆した。今さら居場所を変えたとしても、あの蜘蛛から逃げられるとは思えない。そもそも、車や徒歩で追ってくるような相手ではない。三景が『影』と呼ぶあの蜘蛛は、目に見えない道を辿って、自分のもとへやって来るのだ。

『あいつはまだ死んでねえ。必ずまた、お前のところに出てくる』

 屋上で聞いた、三景の不吉な予言。それがこだまのように陸の脳裏に響く。

(嫌だ、嫌だ――)

 一心不乱にペダルを踏んでいた陸だが、不意に、ある物が視界に飛びこんできた。

 気がつけば陸は、兄弟のようによく似た造りの家々が建ちならぶ道にいた。

 すぐそこには十字路が迫り、手前の歩道の隅には、ひっそりと小さな花壇があった。

 陸の注意を引きつけたのは、花壇の端に供えられた、花束と缶ジュースだった。

(……これって……)

 缶ジュースに描かれた、ひょうきんな笑顔のキャラクター。目鼻のついたオレンジが、からかうようにこちらを向く光景には、見覚えがあった。

(――おれ、またここに来たのか……?)

 陸は愕然とした。この場所は、先週の入学式帰りに迷いこんだ道だったのだ。

 あの時、通りすがりの三景に助けを求めた苦い経験から、道順は覚えたはずだった。さらに、そう何度も間違うほど複雑な道ではない。

(今日だって、ちゃんと……)

 花壇に気をとられたまま、陸の自転車はスピードを落とさず、十字路に差し掛かった。

 すると突然、右側から白い乗用車が自分の前に飛び出してくるのが見えた。一瞬の出来事だった。

「うわっ――!!」

 陸は悲鳴と同時に、思わず目を瞑った。左右のブレーキを力いっぱい握りしめて。

 まもなく、全身を叩きつけられるのに似た衝撃の直後、陸の意識は断ち切られるように、完全な闇に閉ざされた。


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