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The Blood in Myself   作者: すがるん
第1部 茜の時
13/75

13 つかの間の日常

 翌朝。

 陸はまだ眠気の残る頭で、居間で朝食をとっていた。

 父は出張という昨日の話通り、陸が起きる前に出発していた。二人の妹も母に急かされ、歯を磨いたり、家を出たりと、朝特有の忙しなさが漂っている。

 陸がトーストをかじり終えた頃、テレビは星座占いを流し始めた。いつも観る情報番組の最後のコーナーで、陸自身も、もうじき学校へ行く時間であることを示していた。

 陸は少しペースを上げて、マグカップの牛乳を勢いよく飲み干していく。すると途中で、唐突にあることを思い出した。

「自転車!!」

 昨日の帰り際、三景がほぼ勝手に陸の自転車を借りていったこと。うかつにも、一晩寝て起きたら忘れていた。

「あいつ~!」

 そこから、陸の行動は超特急だった。

 自転車なしで歩けば、学校まで倍の時間がかかる。ついさっきまでの陸にとって、そんなことは想定外だったのだ。

 陸はお皿も置いたまま居間を飛び出すと、洗面所にかけ込んだ。だがそこが末の妹・空に使われていると知るや、台所で歯を磨き、自室にあったカバンを中身も見ずにひっつかみ、転がるように玄関を出た。制服に着替えていたことが、大きな救いであった。

 陸は猛スピードで社宅の階段を降りた。エレベーターもない建物だ。家が二階で、本当に良かった。

 陸が不幸中の幸いをかみしめていると、出口のところで、すぐ下の妹・海に追いついた。兄の陸より、一足先に家を出ていたのだ。

「お兄ちゃん? 何よ、バタバタして」

 ライトパープルのランドセルを背負った海が、うるさげに兄を見上げた。

「遅刻しそうなんだよ! 海、ちょっとどけ!」

 切羽詰まった声で、陸は妹を押しのけるようにB棟の外へ出た。

 すると、

「――遅えぞ、篠田」

 駐輪場の前で、陸の自転車のそばに立つ三景がいた。

「えっ!? 山那!?」

 驚きで何オクターブか跳ね上がる、陸の声。

「お前、何でここに……」

 三景は(陸からすれば)睨んでいるとしか思えない視線を向け、

「これ、今日返すって言っただろ。お前、チャリなしでこの時間か。余裕だな」

「そ……そんなわけあるか! 忘れてたんだよ、今の今まで!」

 恥を捨て、半ば開き直った陸の言葉に、三景は呆れた表情を隠そうともしなかった。

「……おめでたい奴」

 その時、陸の後ろから、海が迷惑そうに顔を出した。

「お兄ちゃん、朝からうるさい! 海がはずかしいでしょ――」

 海はすぐそこで友だちと待ち合わせして登校している。小学五年生にもなって、こんな兄がいるのかと思われるのは嫌だ。そんな気持ちがありありと面に出ていた海だったが。

「…………」

 三景を一目見るなり、思わずぽかんとして立ち止まった。

 ――こんなカッコいい人、見たことない。

 兄と同じブレザーの制服を着ているのに、どうしてこうも違うのだろう。

 サラリと風にそよぐ黒髪に、少しつり上がった目。形の良い鼻筋や口と共に、きりっとした雰囲気を醸し出していた。兄より長い手足や、まっすぐな姿勢も、雑誌のモデルのように見える。

「お、お兄ちゃん、あの人、友だち? むかえに来てくれたの?」

 海はとっさに小声で、陸に問いかけた。

 しかし陸はきょとんとして、

「は? 同じクラスの奴だよ。あいつがここにいるのは、昨日おれが自転車を貸してあげたから!」

 海に構わず、三景の方へ進んでいく。

 すると、そのやりとりを見ていた三景が、黙ったままではあるが、海に会釈した。

「~~~~~っっ!」

 見つめられた。そう思った瞬間、海はボッと顔が熱くなるのを感じた。

 何か言い合いながら、兄を後ろに乗せて、その自転車をこぎ出す三景を見送りながら、海は頬を赤らめ、その場に立っていた。



 教室へ着いてからも、陸の慌ただしさは続いた。

 間もなく始まる、一限目の授業。それは英語だったが、陸は前日に指示された課題をするのを、完全に忘れていた。

「今日は、十二日……」

 陸は課題に取りかかる前に、今日の日づけを確認した。四月十二日。

 高校初の英語の授業で、どんな先生が来るかわからない。だが、もし生徒を指名して答えさせるなら、当日の日づけと同じ出席番号の者を選ぶ確率が高いのではないか。

 これは親が転勤族で転校が多い陸の、経験にもとづく予想だった。

「出席番号、十二番か……」

 陸がそう呟くと、

「おう。何や陸、今日あたる奴を探しとんのか? 十二番はオレや」

 左隣の方向から、窓際にもたれた中井が名乗りを上げた。

「中井が十二番なの? てことは……」

 陸は背後を振り返った。中井は陸から、二人挟んだ後ろの席である。

 こういう場合、初めに指名された者から、続いて後ろの席の者が指されることが多い。この位置関係なら、自分があたる可能性は低いだろう。

 陸はそう考えて、安心しかけた時だった。

「知り合いの先輩に聞いたんだけどさ。この先生、出席番号を起点に、次どこをあてるかわからないんだって」

 左隣の席につき、中井と喋っていた健太が、思い出したようにそう言った。

「えっ?」

「後ろへ行ったり、前へ戻ったり。あと斜めとか……先生の気分次第らしいよ。陸、課題やってないの?」

「……課題あんの、忘れてたんだ……」

 陸の顔色がみるみる青ざめていく。肩をすぼめて答える陸に、右側から冷たい声が飛んだ。

「忘れてたって、お前、朝からそればっかじゃねえか」

「…………っ!」

 声の主は三景であった。右隣の席で、呆れを通り越し、馬鹿を見る目つきで陸を一瞥した。

「やんちゃん、陸はまだ引っ越してきたばっかりだし……」

 健太が間に入ろうとするが、

「そんなの関係ねえよ。こいつの物覚えが悪いんだろ」

 その一言に、陸はカチンときた。

「お前にそんなこと言われる筋合いはない!」

 『影』と呼ばれる奇怪な蜘蛛のこと、そして岡という女性のこと。昨日、陸の頭はそれらの問題で占拠されていたのだ。英語の課題を思い出すゆとりなど、どこにあるだろう。

「そこまで言うんだったら、お前はやってるんだろうな? 課題!」

 陸が挑む口調でたたみかけると、

「やってねえ」

 三景は堂々と、そう答えた。

「ええっ……!?」

 陸はその言葉に、一瞬わが耳を疑った。左隣では、呆気にとられる健太の横で、中井がブッと吹き出していた。

(い、意味がわからん……何だコイツ!?)

 自分も課題をやっていないくせに、なぜ他人のことをどうこう言えるのか。

「俺は覚えてたけどやってねえんだ。人前で恥かかずに済めばそれでいいような、その場しのぎじゃねえ。お前とは違う」

 陸の内心を見透かしたような、三景の言い方にはある種の確信がこもっていた。

 陸はその言葉に、腹立たしさと、棘が刺さるのにも似た痛みを感じた。図星をつかれるというのは、こういうことなのかも知れない。

「じゃあ、もしあたったら、どうすんだよ!?」

「その場で何とかする」

 今まで何度も繰り返してきたという風に、三景は短く答えた。

「何とかって――」

 それこそ、呆れたいのはこっちだと陸は思った。行き当たりばったりにも程がある。

「やんちゃん、頭が良いから……」

 健太がようやく解答にたどり着いた顔をした矢先、教室の戸が開き、担当教師が入ってきた。


 結局、陸は英語の授業で指名されずに済んだ。

 課題の答え合わせは中井から始まって、そのまま後ろの生徒が指名されていった。

 そして陸が一番驚いたのは、三景も質問されたが、すらすら答えたことだった。

 三景の机には辞書の類もなく、課題のプリントも、陸同様、真っ白なのが見えた。中学時代には見たことのない単語もあったのに、三景は問題文だけを読んで答えているようだった。

(自分がちょっとわかると思って、何だよ……)

 陸の中に、三景への苛立ちが募っていく。

 自分が蜘蛛に狙われていると、三景は知っているのに。課題など手につくはずがないと、なぜわかってくれないのか。

 そして、三景が『その場しのぎ』だと言った、指名されて答えられないのが嫌という気持ちも。

(……できる奴には、わかんないんだ。きっと)

 陸は心の奥でそう呟いて、拗ねたように三景から目を逸らせた。

 三景には、同じ社宅の岡という女性について訊ねたかった。彼女と蜘蛛の関わりを。

 しかし先ほどの出来事で、陸は自分から三景にあれこれ聞かねばならないのも、癪にさわる気がした。

(学校着くまでに、聞いときゃ良かった……)

 嘆息する陸。

 だが次の瞬間、ふと中井のことが浮かんだ。

 彼女の亡くなった息子の、後輩だったという中井。

(中井は岡さんの噂、知ってるのか?)

 そう閃いたが、実際には聞けそうにない。

 ドラッグストアで話をした際の、中井の表情。いつも飄々とした彼が、一度だけ見せた沈んだ面差しを思い出すと、とても陸の口から言える話ではなかった。

 八方塞がり。

 そんな単語が似合う自分の現状に、陸は再び、ため息をついた。

 


 



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