不可解なメール
夏休みが始まり、児童や生徒たちにとってはしばらく天国のような日が続く。
思いっきり遊ぶ児童や、長期休暇を利用してやりたかったことを始める生徒。中には、せっせと宿題を進める人もいるだろう。
高校生の江戸峰夏鈴は、学校の図書館で一人黙々と宿題を進めていた。
「はぁ……それにしても、今年の宿題多いわねぇ……」
眼鏡をクイッと掛け直すと、クーラーの風が短く切った髪に当たり揺れる。一年生の時と比べ、少し増えた宿題を目の前にして、ため息をついた。
主要五教科のワークブック、読書感想文、漢字の書き取り……いくらやっても終わりが見えない量に、逃げ出したくなる。
とはいえ、今のうちにやっておかなければ、後から大変なことになってしまう。夏鈴は時々ため息をつきながらも、黙々と手を動かす。
時々辺りを見渡すと、人の入れ替わる様子がわかる。先ほどまで勉強をしていた生徒が、本を読んでいる別の生徒に変わっていたり、本を探していた生徒がいなくなったり、あるいは一人でいたのにいつの間にかグループが出来上がっていたりしている。そう考えると、随分と長いこと勉強しているように思えた。
しかし、かなり進んでいるように思える宿題も、残りを見ればまだまだだと感じる。
「どうしよう、今日はここまでにしようかな……」
そう思っていると、二人の生徒が入ってくるのが見えた。二人とも、夏鈴の知っている顔だ。
「あれ、夏鈴ちゃんも、宿題?」
「江戸峰さん、こんな早くから宿題をやっているのですか?」
声をかけてきたのは、同じクラスの伊勢原佳恵と相野口莉緒だ。佳恵は一年の時も夏鈴と同じクラスで、親友のような存在だ。莉緒は二年で隣の席になった際に仲良くなった。
「あ、佳恵に莉緒。うん、少しでもやっておこうと思って」
「そうなんだ。夏鈴ちゃん、この後空いてる?」
佳恵が夏鈴の隣の席に座ると、夏鈴が持ってきた課題の冊子をめくりながら言った。莉緒は夏鈴の正面の席に座ってきょろきょろしている。
「うーん、そろそろ終わろうかな、とは思っていたけど……」
時刻は既に昼の一時を回っている。時計を見た瞬間、空腹感が夏鈴を襲った。
「……今からご飯にしようかなって」
「え、江戸峰さん、まだご飯食べてなかったのですか? 今から中上さんも呼んで、遊びに行こうと思っていたのですが……」
莉緒は急にしゅんとなって俯いた。
「あ、えっと……じゃあ、昼食終わったら、合流してもいいかな?」
「うん、じゃあ、多分商店街にいるから、終わったら電話ちょうだい」
そう言うと、佳恵は莉緒の手を引いて出ていった。二人を見送った後、夏鈴は背伸びをする。
「んー、私もご飯行こうかな」
夏鈴は机の上の宿題を片付けると、図書室を後にした。
夏休みの商店街は、いつものよりにぎわっているように思えた。
時刻は午後二時前。この時間帯は、人通りの多い。特に、学生だと思われる制服姿の人をよく見かける。静まりそうにない雑踏の中、夏鈴は待ち合わせ場所に向かった。
「あ、夏鈴ちゃん、こっちこっち」
「佳恵、莉緒、お待たせ……あれ、中上さんは?」
待ち合わせ場所の商店街入り口には、伊勢原佳恵と相野口莉緒の二人だけが待っていた。一緒にいるはずの中上優愛の姿が見当たらない。
「中上さん、今ゲームの途中だから、離れられないって。とりあえず、ゲーセンに行こうよ」
「ゲーセンかぁ……」
夏鈴がつぶやいていると、佳恵と莉緒はすたすたと先に行ってしまった。
「え、ちょ、ちょっとまってよ……あっ、ごめんなさい」
夏鈴は歩いている人にぶつかりながら、後を追っていく。
ゲームセンターは、さすがに夏休みということもあって学生や子供連れが多い。UFOキャッチャーやメダルゲームなどのさまざまなゲームがある中、夏鈴たちは音楽ゲームのコーナーに向かった。
「うわぁぁぁ、最後ミスったあぁぁぁ!」
突然、奥の方から叫び声が聞こえてきた。声がした方に向かうと、周囲には人だかりができている。
「あぁ、また優愛ちゃん、失敗したんだ」
近づいてみると、音楽ゲームの筐体の前に、ショートボブの女性、中上優愛が、頭を抱えて俯いていた。
「はぁ……最後わからん」
「優愛ちゃん、夏鈴ちゃん来たよ?」
佳恵が声を掛けると、優愛はとぼとぼとこちらに歩いて来た。
「優愛ちゃん、どうだった?」
「また最後だけ……最後だけどうしてもできない……」
「そ、そうなんだ……」
はぁ、とため息をつく優愛の頭を、佳恵はぽん、と撫でた。
「でも、音楽ゲームできる人、すごいよね。私なんて全然。さっきのゲームも、レベル3でいっぱいいっぱいだし、中上さんなら、難しいのはクリアできるよ」
「……クリア? 何を言っているのだ?」
「え?」
優愛の反応に、夏鈴は思わず立ち止まる。
「クリアはとっくの昔にできているのだが、フルコンができないのだ」
「ふ、フルコン……って?」
謎の用語に、夏鈴の頭にはてなマークが浮かぶ。
「フルコンボ、つまり、最初から最後までミスせずにクリアすることだよ。しかも、優愛ちゃんがやってたのはレベル10の曲なんだ」
佳恵が説明すると、夏鈴は「えっ!?」と声をあげた。
「れ、レベル10って、一番難しいのじゃない?」
「まあ、そうだが……他のはフルコンしたのだが、エアメだけができないのだ」
「エアメ……?」
「『AIRMAIL FROM THE HELL』、通称『エアメ』。上位ランカーでも手こずる、このゲームで最もクリアが難しいと言われる曲だ。フルコン難度も高くてな。これに挑戦してもう一ヶ月になるのだが、なかなかクリアできない」
「は、はぁ……」
夏鈴には到底理解できなかったが、どうやら優愛が普通ではないことは分かった。
「わからん。最後どうなってるんだか、さっぱりわからん。もういい! カエ、リオ、カリン、ケーキ食べに行くぞケーキ!」
「わーい、優愛ちゃんのおごり? やったー!」
「アホかっ」
優愛が佳恵を小突くと、佳恵は「てへっ」と舌を出した。
近くの喫茶店でケーキセットを頼むと、優愛はゲームセンターでの愚痴を言い始めた。
「ったく、最近の男はうざいって言うか情けないって言うか。声かけてくるのはいいけど、それなりに何か示せっつーの」
「中上さん、美人だからよく声を掛けられますよね」
お冷をがぶ飲みする優愛に、莉緒がおっとりと話しかける。
「しっかしあいつら、顔しか見てないのな。対戦申し込んでくるのはいいけど、私のプレイみたらドン引きしてやがんの。なんだよアイツラ」
「ま、まあ、優愛ちゃんのプレイって、すごすぎるから、ドン引きするのはわかるんだけどね……」
「大体、声かけてくる男って、『俺のプレイすげーから、見て見て』っていう奴ばっかり、レベル8をフルコンしたぐらいで自慢すんなっつーの」
優愛の声は店中に響き渡る。それにひるんでいたのか、店員は申し訳なさそうにケーキを運んできた。
飲み物とケーキを配り終わると、優愛はものすごいスピードでチーズケーキを貪り始める。それを見て、佳恵は「ちょっとは落ち着いてよ」と優愛をなだめた。
その時、誰かのスマホの着信音が聞こえた。
「あ、私だ」
優愛がポケットからスマホを取り出し、ロックを解除する。どうやら、メールが来ているようだ。
「ん、なんだこれ? 変なメールが来たぞ?」
優愛がそう言うと、全員が一斉に顔を寄せる。優愛は見やすいように、スマホを逆さまに向けてみんなに見せた。
「えっと、『中上優愛様、48時間以内にお迎えに上がります』……? 何これ、中上さん、執事かだれかいるの?」
夏鈴がそう言うと、優愛は「違う違う」と手を横に振った。
「フリーメールから送って来てるし、いたずらだろう」
「確かにフリーメールだね……ん、このアカウント……?」
アドレス名から、サイトで取得したフリーメールであることがすぐにわかった。しかし、夏鈴はアカウント名が気になっていた。
「banishmail……バニッシュ・メール?」
「バニッシュ……追放する? どういうことかなぁ」
夏鈴と莉緒が考えていると、優愛はスマホをひっこめてポケットにしまった。
「さあな、まあ、単なるいたずらだろうし、気にしないことにするか」
そう言って、優愛は残りのケーキを平らげた。




