表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私は影

作者: 枯れた新芽

暗い話です。

あなたの中に私はいますか?もし私のことで苦しんでいる人がいるのであればごめんなさい。どうか私の事を忘れてください。私は……影だから。


 小さい街にある桜高校は特別スポーツが凄いとか東大に何人合格だとか他の人に自慢するような学校ではなく、ただ学校の校門から玄関まで続く桜の道がちょっとばかし有名という程度だ。

 初めてこの高校に来たとき、私は目を奪われた。校門をくぐると道の端に綺麗に並べられた桜が花を咲かせていたのだ。風で花びらが舞う度、私は心を躍らせた。特に校門前にある大きな桜の木がお気に入りだ。

 それから毎日学校に行くのが楽しみになり、無駄に早く学校へ行っては桜を眺める毎日だった。私はそれを三年間続けた。そして桜の時期が過ぎると………

 「……散ってしまった」

 そう、四月にもなれば桜なんてあっという間に散ってしまう。

 「私の桜……」

 「何落ち込んでんの?」

 一緒に歩いていた三神未散が心配そうに声をかけてきた。

 「ん?」

 指で桜の木を指すと、

 「ああ。あれだけ咲いてたのにもう散ったんだ。まあ、気にしなさんな美香(みか)()君、春は来る!」

 「来年は卒業してる」

 「別に卒業しても来ればいいじゃん」

 「それもそうね」

 それから他愛もない会話をしながら私たちの教室、三年二組に入った。

 七時三十分に登校してくるもの好きなどいるはずもなく、教室には誰もいなかった。私たちは互いに机にカバンを置き、それから窓際にある未散の席で会話をする。昨日見たテレビの話、お互いの趣味の話などいろいろと話をしていると前嶋隼人が教室に入ってきた。

 「オッス。お前ら相変わらず早いなぁ」

 前嶋が呆れたように言った。

 「まあね。一年の頃からだからさ。陸上部の練習?」

 「ああ。試合があるからな」

 そう言って机にカバンを置いたあと走って教室を出て行った。

 「美香夏さんや、お顔が赤いですよ」

 「うるさい!」

 未散は楽しそうに笑いながら、

 「前嶋君はいつ美香夏の気持ちに気づいてくれるんだろうね」

 「別に、付き合いたいわけじゃないもん」

 「へ¬―。この間後輩に告白されてたけどなぁ……」

 「え!」

 「嘘よ、うっそ。美香夏そんなに好きなら告白すればいいのに」

 「簡単にできたら苦労しないわ」

 それから皆が教室に集まったのが八時二十分。遅刻五分前に来た美術部の麻生亜希がいつものように最後に教室に入ってきた。

 「おはよー」

 亜希が眠そうに言った。

 「おはよ」

 「おっはー」

 私たちも挨拶をする。

 「昨日は何時寝たの?」

 「ん~、三時くらい……かな」

 「また絵を書いてたの?」

 「そんな感じ」

 木村亜希とは一年生の頃から友達であり、お互いのことはある程度知っている。彼女は一年生の頃から毎日愛犬のモコの寝顔を描いている。

 「描けたの?」

 未散が食いついた。

 「どう?」

 私が促すと、

 「まあまあかな。……毛の質感があんまり・・」

 「描いてるところ見てみたいなぁ。美香夏もそう思うでしょ?」

 「うん。どうかな? 放課後美術部にお邪魔してもいい?」

 「ええ。大丈夫……と思う。顧問の先生はいつもいないから」

 話を終え、席に着くと八時二十五分のチャイムが鳴った。それと同時に担任の先生が入ってきた。

 「よっし、ホームルームを始めるぞ。」

 その声を合図に委員長の号令で挨拶をする。半数の人は何も言わず椅子に座り、もう半数は言ったか言わないか分からない声で挨拶をする。もちろん私は前者だ。

 「そろそろ文化祭がある。授業も半日で終わるからしっかりと準備に励むように。以上!」

 そう言って先生は生き生きと教室を出て行った。

 「あいつ何であんなに張り切ってんだろう?」

 横の席の女子が不思議そうに尋ねる。

 「あの人一年のときからあんな感じだよ。なんか自分の学生時代の時の文化祭がすごく楽しくてそれをみんなにも分かってもらいたいとか言ってた」

 「校長も大変そうね」

 先生には有名な話がある。なんでも初めてこの学校に務めた日に文化祭に関することで校長と揉めたらしい。

 「悪い人じゃないんだけどね」

 「それはわかるんだけどさ」

 まあ、たまに鬱陶しい時があるのは事実だ。一年生の時などはあまりの鬱陶しさに学校をズル休みしたこともあった。

 時間はあっという間に過ぎた。面倒な授業を終え先生の豪快な掛け声と委員長の静かな掛け声で帰りのホームルームは終わり、私たちは文化祭の準備に取り掛かった。初日ということもあり、今日は文化祭でやる事を決めるだけで終わった。ちなみに私たち三年二組はお化け屋敷という在り来りな出し物になった。

指揮を執っていた委員長が終了を告げ、私たちは美術部のアトリエへと向かった。

 「うわ……ヨーロッパの家みたい」

 目の前にはレンガ造りの二階建てのアトリエ。

 「良いなぁ。私もこんな家が欲しい」

 「そ…それじゃあ、入ろうか」

 亜希に続いて私たちもアトリエに入った。

 内装もヨーロッパ風の造りとなっており奥には暖炉と薪とテーブル、右側には台所があり、左側にはソファーとテレビが置かれている。

 「ここで描いてるの?」

 「いや、ここは…違う。二階が……描く場所」

 「えっ! じゃあここは何?」

 未散が興味あると言わんばかりに亜希に聞いた。

 「顧問の先生が自費で揃えたって。……趣味みたい」

 趣味でここまでするのはどうかと思うが……しかも学校の所有物では?

 「じゃあ二階に行こうか」

 亜希に連れられて二階に行くと画板と椅子と物置用の机以外何もなかった。観葉植物や雑貨などもなく、ただ絵を描くためだけの部屋だと主張されているような印象を得た。

 「ごめんね。絵の具の匂いがするでしょ?」

 「平気よ」

 「そんなことよりも早く見せてよ」

 未散が急かすので亜希は急いで準備に取り掛かった。

 「何を書けばいい?」

 「美香夏!」

 「え! 何言ってるのよ!! 私なんか絵にならないわよ」

 「なに? 照れてる?」

 「も~、からかわないでよ」

 「あの……!」

 亜希の声に驚き、

 「あ、ごめんね。騒がしかったよね」

 私が急いで誤ると、

 「ち、違うの……私…描きたいの!」

 ん? この流れは………

 「ほら、亜希も言ってるしさ」

 未散が面白いといった目で私に言った。

 「ダメ…かな?」

 ……仕方ないか。

 「じゃあ、よろしくお願いします」


 「ふぅ……できた!」

 亜希の声で体の力を抜く。

 一時間身動き一つせず、ずっと椅子に座っていたものだから体が痛い。……そんな私に構うことなく未散は亜希の描いた絵に感動している。

 「す、凄い! 美香夏そっくり。特にこの引きつった笑い方とか」

 「ちょっと未散! 好き勝手言わないでよ」

 私も近づき亜希の絵を見る。

 「誰?」

 「何言ってるの! 美香夏よ」

 「いや…美化され過ぎでしょうよ。私こんなに目大きくないわ。」

 「そう…? 私にはこんな風に見えてた……から」

 亜希が小さい声で言った。

 「まあまあ、美香夏も悪い気はしないでしょ?」

 「まあ……」

 こんなに綺麗に描かれて文句はない。だから、

 「亜希ありがとう。こんなに綺麗に描いてくれて、この絵よかったら貰っていいかな?」

 「あ、その…まだ下書きだから……完成したら…渡す」

 「え! 完成してないの? 私からしてみたら直すところとか見つからないよ」

 「ちゃんと線を描いたり……色を入れたい…から」

 友人がここまで言っているのだ。本当は私も言おうと思ったが、亜希の気持ちを汲むことにした。その後亜希はアトリエに残り、私と未散は家路に着いた。


 「お母さん、来週の土曜日文化祭があるから」

 「もうそんな時期? 早いわね」

 夕飯の片付けをしながらお母さんが言った。

 「今年が最後よね? お父さんも連れて行くからね」

 「うん。今年はお化け屋敷やる。…お母さんって怖いの大丈夫だっけ?」

 「私はね。ただ…お父さんはダメね。あの人私と入った時ずっと腕にしがみついてたんだから」

 「よく結婚したね」

 苦笑しながら答えた。

 「それでも決めるときは決める人だからね。頼りになる人よ」

 「私も結婚できるかな?」

 「ええ、なんせ私の子供よ。きっと素敵な人に出会えるわ」

 すごい根拠だ。私はお母さんのようになれるのだろうか……。好きな人はいても自分の気持ちを表現することはできない。だから一度も男性経験はない。

 しかし、変わることはできるのかもしれない。亜希がその例だ。彼女は気が小さく、自分の気持ちを表現する事が苦手なのだ。一年生の最初の頃なんか声さえ聞いたことがない。ただ、私達との関係の中で亜希は少しずつ変わっていった。自分から話しかけるようになり、少ないながらも友達が増えた。

 私の未来に道がありますように……心の中で祈った。


 時間はあっという間に過ぎていった。気づけば文化祭三日前。教室の飾りや割り当てなど大体のことは終えた。今日やるのは予行練習だ。標的は副担任。

 私の役目は通路に沿って立てられているダンボールの壁に空いた穴か手を出すことだ。同じ役に未散もいる。

 「そういえば亜希は?」

 「文化祭の時に出す作品の総仕上げらしいから来れないって」

 「ああ。だからここ数日見なかったのか。……そういえば絵は貰った?」

 「まだ貰ってない。この間メールで完成は文化祭の後になるって言ってた」

 「そっか……」

 最後の文化祭だから3人で思い出作りたかったのにな……

 「ねえ、美香夏」

 「何?」

 「最後の文化祭だからさ、思い切って告白しちゃいなよ。」

 「はあ!? 何言ってるのよ」

 私はあきれた様に言った。

 「しないの? だってこのままだとずっと片思いのままだよ」

 未散の言う通りだ。でも、思いを言葉にするのが怖い。

 「大丈夫だって! あたしの親友だよ? 断られるわけないじゃん」

 未散は満面の笑みで言った。私にとってその言葉は背中を押してくれる言葉だ。

 「じゃあ、文化祭が終わったら……」

 「よし! その意気だ」

 ありがとう。心の中で未散に感謝の言葉を送る。

 「よし! 準備はいいか?」

 豪快な声を出す先生に、

 「大丈夫!」

 「用意できてます」

 「バッチリ」

 それぞれが答える。

 ダンボールの穴から入口の方に目を向けると先生が電気を消し教室から出た。その後副担任が入ってきた。

 足音からゆっくり歩いていることがわかる。ピタ、ピタ、ピタとサンダルの音が鳴る。最初の仕掛けは私たちだ。穴から様子を見て、副担任が視界に入った瞬間、手を出した。

 しかし、それは天井へと向けられていた。

 「え……」 

 何が起きているのかわからなかった。体を起こそうとするも力が入らない。体の感覚もない。上げていた手も気づけば視界から消えていた。そして……闇に覆われた。



 目が覚めて目に入ったのは白い天井。そして一瞬にしてお母さんの顔が横から出てきた。お母さんが涙を目に浮かべながら嬉しそうな顔をしている。近くでお父さんの声も聞こえる。耳を澄ますと、

 〝看護師さん! 看護師さん!〟と興奮した声がだんだんと遠くなっていく。

 お母さんは泣きながら私の手を握り〝よかった。よかった〟と何度も連呼している。

 「お母さん、どうしたの? 私……何が?」

 私はお母さんに訪ねた。

 「それは私から説明しましょう」

 見ると中年の男性医師がいた。名札には明石仁(ひとし)と書かれている。

 「待ってください。娘はまだ目覚めたばかりです!」

 お母さんは抗議の声を上げた。私にはその理由がわからなかった。ただ、疲れなどで倒れた程度としか思っていなかったからだ。だから、

 「お母さん、私は大丈夫。先生…お願いします」

 「……」

 お母さんは心配そうな顔でこちらを見てきたので私は笑顔で〝大丈夫〟と返した。

 「篠原美香夏さんでいいよね?」

 「はい」

 明石医師の質問に答える。

 「君は文化祭の準備中に突然倒れたんだ。覚えているかい?」

 明石医師は優しい口調で言った。

 「はい」

 「それで…原因はよくわからないんだけど、君は丸一日寝ていたんだ」

 「!!」

 声が出なかった。幼い時から風邪一つ引かない体で、今年の健康診断でも何一つ悪いところはなかった。だから私にとって〝丸一日寝る〟ということは異常だった。

 「大丈夫かい?」

 「あ、はい。…それって何かの病気が原因なんですか?」

 「さっきも言ったように原因はわかってないんだ。だからこれから少し入院してもらってもいいかい? 君の両親からは了承を得ている」

 「そんな……文化祭があるんです!」

 高校生活最後の文化祭だ。思い出だってまだまだ作りたい。それに告白だって……!!

 「美香夏、今回は諦めて」

 お母さんがどこか悲しそうな目で私に言った。お父さんも、

 「お母さんもお父さんも美香夏が心配なんだ。だから我慢してくれ」

 こんなに必死な両親を見たことがない。何かあったの?

 明石医師のそばにいる看護師に目を向けると、それは確信に変わった。看護師も同様悲しそうな顔で俯いていた。唇を噛み締め、感情を押し殺しているように見えた。

 「……わかりました」

 今はこうした方が良いのだろう。私の体に何かある。そう思い始めたとき不思議と足が小刻みに震えていた。


 検査は一週間で終わった。白で統一された病室。出口から見て左端が私の病院での居場所だ。

窓から見える風景は緑と灰色。そこからはいつも三つの音が聞こえる。木が揺れる音、小鳥が鳴く音……そして人と物が動く音。私は灰色の景色とその音を聞くたびに、早くそこに戻りたいと思う。

私は病院のベッドで時間を持て余していた。倒れた日から一ヶ月、未だ何の病気なのかわからない。お母さんは毎日のように高そうな果物を持って見舞いに来てくれる。お父さんも遅くまで仕事をして疲れているのにメールを必ずくれる。土日は二人で見舞いに来てくれる。それを嬉しく思う。けれど、苦痛でもあった。私が笑顔ではないとき、両親は凄く心配そうな顔になる。だから精一杯笑顔の仮面を生成した。

 未散と亜希も見舞いに来てくれた。未散はいつもと変わらない様子で私に接してくれた。亜希は不安げな顔で終始いたが、私が話しかけると一年生の時の様な〝無理をした笑い〟を顔に作っていた。絵のことを聞くと退院した時に見せるとのことだった。

 同じ部屋の酒井さんとも話すようになった。酒井さんは八十歳で、病気に侵されていた。毎日絵具で塗られた様な飲み薬を飲んでいる。病院食は質素なのに飲み薬は野菜に見える。まるで飲み薬がご飯であるかのように思えた。

週末には息子さんとそのお嫁さんが見舞いに来ている。時々息子さんに目を向けると、どこかやつれている様に見えた。

 

 今日は明石医師による検診だ。胸の音や喉などを調べ満足したように、

 「うん。今日も問題はないよ」

 「先生」

 「どうしたんだい?」

 「じゃあ、私はどうしてここにいるんですか?」

 「……」

 私の言葉に明石医師が言葉を失う。バツが悪そうに目を合わせようとしない。

 「やっぱり病気なんですか?」

 「…そうだよ」

 言い訳が思いつかなかったのだろう。明石医師は私の現状を認めてくれた。

 「お母さんとお父さんは知っているんですか?」

 「ああ」

 「なんの病気ですか?」

 「それは……」

 それから明石医師は俯いたまま何も言ってはくれなかった。

 

 入院して二ヶ月ここでの生活が日常となっていた日のこと。私は時折酒井さんと話をしている。話す内容は〝過去〟

誰それと喧嘩をした、仕事先の先輩が鬱陶しい、教師がウザったい。そんな外の世界の話を私たちは就寝時間まで話している。

 「私、桜がすごく好きであの高校に入ったんです」

 「私もよ。あの桜に一目惚れしてね。懐かしいわねぇ」

 「あの桜っていつからあったんですか?」

 「大正からよ。私が生まれる少し前に植えられたらしいわ」

 「そんな昔からあるんですか! ……また見たいなぁ」

 「きっと見れるわよ」

 「ええ。私もそう思います」

 酒井さんと話していると、

 「美香夏さん、ちょっといいですか?」

 明石医師とお母さんとお父さんが病室の前にいた。

 

連れてこられた場所は談話室。三つの机にそれぞれ四つの椅子が置かれ。壁には時計がかけられている。

私たちは入口の近くにある椅子に座り、明石医師の話を聞く。

 「今日は集まっていただきありがとうございます」

 明石医師が頭を下げる。

 「それで話というのは……?」

 「美香夏さんのご病気についてお二方はご存知ですよね?」

 お母さんとお父さんが無言で頷く。

 「医院長と話し合った結果、美香夏さんのご病気を少しでも軽くするために手術をしようということになりました」

 「え……」

 「……そんな…」

 二人共驚きの顔で明石医師を見つめている。

 「強制というわけではありません」

 明石医師は重い空気を少しでも変えようと声のトーンを上げる。

 「それに美香夏さんの気持ちもあります。もし、手術をしたとしても失敗する事はほとんどありません。先程も申しましたが、この手術は美香夏さんのご病気を軽くするためでもあるんです」

 明石医師はずっと両親の顔を見ている。

患者である私はいったい何? こうしている事の原因も教えてもらえず決定権もない。ただ、この三人に振り回されているだけではないか。

 「すみません!」

 我慢はしない。ここではっきりさせるんだ!

 「私の病気の事教えてもらえませんか? 患者である私を差し置いて三人で話を進めて……少しは私の気持ちも考えてよ!」

 自然と涙がこみ上げてくる。私の言葉に両親は沈黙という選択を取った。それは何を意味するのか……想像しただけで心が張り裂けるような痛みを感じる。

 「わからないんだ」

 明石医師が言った。

 「……わからない? どうゆうことですか!?」

 「その…今まで見たこともない病気で、色んな所に依頼したのだけれど、それでもわからなかった」

 「本当に……わからないんですか?」

 「いや、美香夏さんの体がこれからどうなっていくかはわかっ

 「やめてください!」

 お母さんが明石医師の声を遮る。

 「娘には、まだ未来があるんです。それを得体の知れないモノで失わせないでください! 心まで、娘を侵さないでください!」

 そう言ってお母さんは泣き出した。子供のように、哀しみを全身で訴えるように。

 「美香夏、手術を受けてはくれないか?」

 お父さんが諭すように言った。そして泣くお母さんを抱いて部屋から出て行った。

 私の判断に委ねるということだろう。私は明石医師に向き直って、

 「もし、手術を受けなかったらどうなるんですか?」

 「病状の進行速度が速くなる……としか言えない」

 明石医師は申し訳なさそうに答える。

 「じゃあ手術をしたら、少なくとも寿命は伸びるんですね?」

 「!」

 明石医師は下げていた顔を勢いよく上げた。その顔には青白い色が…塗られていた。

 「わかりますよ。私、高校三年生ですよ? それに最近体が重いんです。思う様に動かず、よく倒れそうになるんです。前はそんなことなかったのに……」

 だが、これは予想だ。心のどこかでは助かるかもしれない……と希望が揺らめいている。

 明石医師は黙ったままじっと俯いている。

 「よろしくお願いします」

 期待半分、諦め半分……中途半端な気持ちを込めた言葉を送った。

      ✽

「美香夏まだ病院なんだよね……」

 亜希が悲しそうに呟く。その言葉は今ある現実を非情に突き刺すものであった。でも、それに負けないように未散は答えた。

 「大丈夫よ。あの美香夏よ? すぐに戻ってるって」

 「そう…だよね」

 「ええ」

 お互いもしかしたら……という考えを捨てられずにいた。美香夏が学校に来なくなり私たちの環境は変わり果てた。でも、教室を見渡すとそこには二ヶ月前と何ら変わらない日常がある。美香夏がいる、いない、そんなものは関係ないかのように。

 「あの絵…どうしよう」

 「んー」

 「持って……行く?」

 「大丈夫かな?」

 「見せる…だけだから…そしたら元気になってくれる……気がするの」

 美香夏の事をこれほど思ってくれる友達がいる。幼馴染とて凄くうれしかった。だから、

 「よし! じゃあ今週の土曜日に行こうか」

  私の提案に亜希は頷いた。


 学校で亜希と待ち合わせ私たちは自転車で一時間かけ美香夏のいる病院に着いた。

 「え……」

 そこは普通じゃなかった。異質の雰囲気を放っている。私たちは自転車から急いで降りて〝ここが本当に現実なのか〟確認した。

木々に囲まれ、庭には花壇と池がある。花壇には赤い色の花が大量に咲いている。まるで……彼岸花のように思える。

全てが異質だ。何もかもが現実も野本は思えない。自然と体から汗が湧き出る。

亜希を見ると固まっていた。目の前にあるものが異質であると感じているのだろう。私にはわかる。いや、ここに来た人は誰でも思うだろう。この異質は死者を迎えるような感覚を見るものに突き刺すのだから……。

 「ねえ? 本当にここで合ってるの? ここ……普通じゃないよ?」

 「入院した時に美香夏のお母さんに聞いたから間違いない。でも…ここはまるで……」

 「い、行こう?」

 「え……」

 この異質に体を動かせずにいた亜希が歩を進める。私も亜希に続く。

 自動ドアを抜けるとなんら普通の病院とは変わらなかった。それに安心し、肩の力を抜く。

 「受付どこだろう」

 「あそこじゃない?」

 亜希の指すほうを見ると、

 「ナイス!」

 私は受付に駆けつけ、

 「すみません。二ヶ月前に入院した篠原美香夏さんと面会したいのですが?」

 「少々お待ちください」

 そう言って受付の人は奥の部屋に行ってしまった。待つこと五分。受付の人は、

 「誠に申し訳ありませんが、篠原様は現在面会できません。」

 「え……」

 二人しておかしな声を出した。もしかしたら……が現実になった。そう実感せざる負えない言葉を私たちは理解できずにいた。

 「どうしてですか? 美香夏は大丈夫なんですか?」

 堪らず亜希が食らいつく。

 それに対して受付の人は、

 「説明はできません。お引き取り下さい。」

 そう言って頭を下げるだけだった。

 亜希はそれでも食らいつく。

 わたしは……どうしてこうも冷静でいられるのだろう。大切な友達が……かもしれないのに。考えていると自分が嫌いになってくる。ああ……私は薄情だ。ここにいる資格なんてない。

 「え? 未散どこに行くの!」

 亜希の声が聞こえる。でも、返答する気になれない。私はそのまま病院を出た。

        ✽。

美香夏が入院して二ヶ月と一週間。未散が学校に来なくなって一週間。

 二年前と同じ状況となっていた。私にはそれほど友達はいない。原因はわかっている。この性格だ。小学校の時に〝お前といると楽しくない〟と言われた。

そんな私と友達になってくれた美香夏と未散。私はあの二人のおかげで変われたのだ。

 あの病院を訪れてから未散は誰にも会わなくなった。数日前にお見舞いに行ったが、熱がひどいからと追い出された。

このままみんなバラバラになってしまうのだろうか。そしたら私は……怖い!

自室に一人でいると余計不安になる。自分だけが世界でたった一人になってしまったよう…。

 未散と話したい欲求が湧き上がる。気づけば未散の携帯電話にかけていた。

 「あ!」

 通話を切ろうとしたとき、

 「どうしたの?」

 未散と繋がった。

 「いや……別に何も…ただちょっと……」

 「ねえ。今から会えない?」

 

 「久しぶり……」

 「久しぶり」

 お互いぎこちない挨拶をする。まるで二年前の時のように……

 未散はやつれていた。そして沢山泣いたのだろう……目が赤く腫れていた。

 「ごめんね。いきなり呼び出したりして…」

 「私も会いたかったから」

 未散の家の近くにある公園。ブランコと鉄棒とお粗末なベンチ。整備はされておらず錆が目立つ。ここだけが世界から切り離されてしまった印象を与えられる。

私たちはベンチに腰を下ろす。お互いの顔は見ない。ただ、目の前にある風景を見つめる。それだけでお互いの気持ちがわかる。私たちはそういう関係だ。

 「美香夏のこと?」

 聞くと未散は、

 「うん。私薄情だよ。美香夏が大変な状態なのかもしれないのに私は……」

 「そんなことないよ。私だってあの時

 「違わないよ! 亜希は美香夏の事真剣に心配してた!でも私は違う!! 何も動かなかった。何も感じられなかった!」

 未散は目にいっぱいの涙を浮かべて叫んだ。感情をむき出し、己のすべてをさらけ出すかのように。それに対して私は静かに答えた。

 「違うんだよ。本当は私も何も感じなかった。いや、心のどこかで思っていた事が現実になって私は思ったの……ああ、やっぱりって。未散もそうでしょう?」

 「じゃあ、なんであの時取り乱したりしたの?」

 「そんな自分が嫌だったから。認めたくなかったの……美香夏がいなくなる現実を、自分の大切な友達に対して何も感じることのできない自分を」

 「うっ…うっ……」

 未散は子供のように泣き崩れた。土下座をしているような姿勢で顔が汚れることを構わずに。そんな未散を見て私も涙が溢れる。二人して子供のように泣き、お互いを抱きしめた。強く、強く……お互いの存在を手で確かめ合う。失わないように……離れないように。

 

少し経って、私たちは泣き止んだ。そして向き合い、

 「ねえ。またお見舞いに行かない?」

 未散が提案する。それはいつもと変わらない、いつもの日常の声で。

 「次こそ私の絵を見せなきゃ……でも、またダメだったら…?」

 未散は笑いながら、

 「そんなの、無理やりにでも見せるわよ」

 それは最高の笑顔だった。

       ✽

 一週間後、私たちはまた来た。

 「すみません。美香夏さんのお見舞いをしたいのですが?」

 受付の人に言うと、

 「すみません。まだ面会はできません」

 先週と同じような答えを出された。

 「わかりました。ありがとうございました」

 私たちは静かに病院を出た。また会えなかった。それはより美香夏の……を確信させるものだった。そして美香夏に対する知りたいという気持ちが湧き上がる。

 「ねえ、亜希」

 「何・・?」

 「美香夏の家に行かない?」

 亜希は無言で頷いた。

 

美香夏の家に着いたのは夕方だった。一軒家のどこにでもある普通の家。ガレージには美香夏のお母さんの車だけがあった。お父さんはどこかに出かけているようだ。

 インターホンを押すと美香夏のお母さんが出た。

 「どちら様ですか?」

 「未散です。亜希も一緒にいます。今お時間ありますか?」

 「……ええ、どうぞ」

 私たちは客間に通された。畳が敷かれており職人が丹精込めて作ったであろうテーブルが真ん中に置かれている。私たちはテーブルを挟んで向き合ってる。

 「美香夏の話でしょう?」

 最初に口を開いたのは美香夏のお母さんだった。

 「はい」

 「病院にはもう行ったの?」

 「行きました。でも、面会はできないと断られて……」

 「聞きたい?」

 「そのために来ました」

 美香夏のお母さんは私たちの目をじっくり見た後決心を決めた目で、

 「美香夏はね……」


 今日美香夏は手術を受けた。それでも助かる見込みはないと、もって二年。美香夏に残された時間はたったの二年だった。

 私たちに動揺はなかった。〝ああ、やっぱりか〟それが感想だった。

それは美香夏のお母さんも同様だった。話しているとき涙ひとつ流さなかった。それは美香夏の死を受け入れる覚悟ができているということだろうか……

 「来週美香夏に会えますか?」

 「明日には麻酔が醒めているから会えないこともないけれど、できたら来週にしてもらえないかしら?」

 「わかりました」

 そこで話は終わった。帰るときに美香夏のお父さんの事を聞くと仕事に出ているとのことだった。私の記憶では休日に仕事に出たことは一度もなかった。

 私は幼馴染として、親友として、美香夏に何ができるのだろうか……

      ✽

目が覚めると自分の病室だった。体を動かすと、胸が痛む。その痛みで〝自分は手術を受け、ここで寝ていた〟と分かった。

 「酒井さん、いる?」

 「いますよ。どうしたの?」

 いつもと変わらないやさしい酒井さんの声が聞こえる。それに安堵し、

 「私どのくらい寝てました?」

 「二週間よ。よく寝てたわ」

 そんなに寝てたのか・・あんまり寝た気はしないなあ。

 「酒井さん」

 「ダメよ。今日はゆっくり休みなさい。おしゃべりはそれからよ」

 「はーい」

 それから私は目を閉じた。


 目を開けると、私は歩いていた。周りは闇。ただ、足元には薄っすらと光る細い道が闇の奥まで続いていた。恐怖はない。今の私にとってここにいるのが当たり前なのだから。

 歩いていると聞こえてくるものがある。通常では聞き取れないようなかすかな音。それは進むごとに大きくなっていく。それからさらに進むと、少しだけ聞き取れるようになった。

 〝……は…と…強い……ね。……退院……った〟

 〝……おめ…とう。これか……こうに………いこ……ね〟

 退院? ……誰が? 誰か病気だった……?

 好奇心が湧き上がり、足の回転が上がる。

そして音は鮮明になり、先の見えない闇に小さな光が現れた。その光は道の直線状で輝いている。見ているだけで温かい気持ちになる。

 〝美香夏は本当に強い子だね。退院おめでとう。頑張ったね〟

 〝退院おめでとう。これからも一緒に学校に行こうね〟

 お母さんと未散の声が聞こえる。私の名前を呼び、祝福の言葉を送っている。

 「お母さん! 未散!」

 思わず叫ぶ。会いたい。その気持ちが体を前に動かす。私は目の前にある光に向けて走った。進むにつれて光は大きくなり、新たな音を生む。

 〝俺、お前のこと

 見えていた光は消え、聞こえていた音もなくなった。

 「え……どうして?」

 足元を見ると光の道がなかった。そこで私は悟った。

 ああ、私は闇に墜ちているんだ。

 そこで目が覚めた。

 「……夢…なのかな?」

 夢とは違い部屋には光が満ちていた。

 「よく眠れた?」

 酒井さんの声が聞こえる。

 「はい。お陰様で」

 まだ、意識がはっきりとしない。顔を洗うために体を起こそうとすると、

 「あっ!」

 体に力が入らず、その場に倒れてしまった。

 「え……あれ?」

 立ち上がろうとするも、体がいうことを聞かない。何度も何度も立とうとするも叶わない。

 ああ、あの夢はそういう事だったんだ。

 ようやく自分の置かれている現状を知った。私はもう……死ぬのだと。

 

 酒井さんに看護士を呼んでもらいベッドに戻してもらった。その後、お母さんが見舞いに来た。

「気分はどう?」

 「いつも通り。あれ? お母さん手どうしたの?」

 指摘されお母さんは咄嗟に隠したが、私にははっきりと見えた。お母さんの手は白く、とても綺麗だった。それが赤い斑点で覆われていた。

 「な、何もないのよ? ただ、ちょっと料理しているときに火傷しちゃって・・・」

 お母さんは無理やり作った笑顔で言った。

 「それにお母さん……疲れてない? 顔色悪いよ?」

 「そんなことないわよ。美香夏は何も心配しなくていいから…頑張って病気を治すのよ」

私のせいだ。私がここにいるから…。もし私がお母さんの子供じゃなかったらお母さんは幸せだったのかな?

疲れた体でこんな私の為に毎日毎日お見舞いに来てくれる。それがとても申し訳なくて、お母さんの顔を見ることができなかった。

 夜になるとお父さんも見舞いに来てくれた。なんとなく予想していた。だけど、驚きを隠せなかった。

 「ん? どうしたんだ?」

 お父さんは笑顔で話しかける。だけど、それは私の知っているお父さんではなかった。整ったスーツをいつも身に着け、髪をセットしていたお父さんは……今はくたびれたスーツに、無造作の髪、何日も剃られていない髭。真面な休みを取っていないのだろう……目には酷い隈がある。

 お母さんもお父さんも私のために……。

 涙は溢れてくる。こんなにも迷惑をかけて…わたしは!

 「美香夏?」

 心配そうな顔で話しかけてくるお父さんに、

 「お見舞いありがとう。久しぶりにお父さんに会って元気が出たよ」

 私には笑顔でお父さんの苦労を労う事しかできなかった。


 「美香夏ちゃん、起きてる?」

 「はい」

 「少し話を聞いてもらえない?」

 いつもと変わらない口調で話しているはずの酒井さんに違和感を覚える。

 「どうしたんですか?」

 「私ね、退院することにしたの」

 「おめでとうございます」

 私は素直に祝った。そして寂しくもあった。

 「違うの。もう長くないからって言われてね……息子が最後は一緒に過ごしたいって言うもんだから仕方なくね……」

 「………」

 普通なら親孝行な息子を持ってうれしいと思う。だけど、私たちは普通じゃない。隔離された世界に生きる者だ。その好意は私たちにとって、とても苦しいもの。

 「私の事なんか無視してくれればいいのにね。大切に育て過ぎたみたい」

 「息子さんの気持ちを汲んであげるのも良いと思いますよ?」

 「ええ、だから退院するのよ。美香夏ちゃんは知ってる?」

 「何をですか?」

 「残される人と残す人の気持ち」

 「……なんとなく」

 「なんとなくじゃ駄目よ。ちゃんと知らなきゃ」

 「…聞かせてもらえますか?」

 「ええ、その為に話しかけたんですもの」

 酒井さんは静かに話し始めた。

 「残される人ってね、どうにかして残す人に時間を割いて思い出を作ろうとするの。もう先がないんだからその人のために尽くそうってね。私もそうだったわ。母が入院して、土日は必ず見舞いに行って母の顔を見てたわ。いつも笑っていたけど、今にして思えば無理してたのかなって……」

 今のお母さんとお父さんと同じ状況だった。お母さんは毎日見舞いに時間を割き、お父さんは私の治療費を稼ぐために自分を犠牲にしている。いや、母も働いているはずだ。手にあったあの斑点……あれは油による火傷の跡だ。

 「次は残す人ね。まあ、私が感じた感想だと思っていいわ。残す人は全てを遠ざけようとするの。何もできない自分に尽くそうとする人に申し訳ないと思ってね。本当は寂しいのに、会いたいのに……。でも、残される人の事を思うと何ともないわ。だって私には先がないもの。息子たちにはまだ先がある。だから私に時間を使ってほしくないの。もっと自分に時間を作って人生を謳歌して欲しい。ただ、時々思い出してくれれば…幸せだなあと思う」

 酒井さんの気持ちが言葉として伝わる。それは悲しい気持ち。罪悪感に似た感情だった。

 「……美香夏ちゃんはどうするの?」

 なぜとは思わない。同じもの同士、長くないこともわかっている。そして酒井さんは決断へ至る道を教えてくれた。だから私も、

 「私は……」

 朝。目を覚ますと酒井さんはいなかった。もう退院したのだろう。……私も始めよう。

       ✽

 放課後の教室で、

 「明日、昼に」

 「うん」

 亜希に最後の確認を取った。後は明日を迎えるだけだった。

 「おい!」

 呼ぶ声に振り向くと教室のドアに前嶋がいた。

 「前嶋? どうしたのよ」

 「ちょっといいか?」

 「何? 告白なら却下よ」

 「ちげーよ!」

 「なら何? もしかして亜希が目当て?」

 「えっ!…未散何言ってるの!?」

 「冗談よ。で、どうしたの?」

 「お前ら明日篠原の見舞いに行くんだろ?」

 「盗み聞きしてたの!? 最低!!」

 「すまん。……だけど心配だったんだ。あいつ二か月も学校休んでるだろ?お前らなら何か知ってるかと思って……」

 言い終わった前嶋は申し訳なさそうに俯いている。

 私たちは戸惑っていた。今まで前嶋は美香夏に対して気がある素振りは一切見せなかった。それが美香夏を心配しているのだ。

 これはチャンスだ。神様が美香夏に恋をさせてくれるのだ。

 そして私の中に一つの案が思い浮かんだ。それを亜希に目で確認する。亜希は戸惑ったが、少し考え私の案に賛成した。

「……一緒に行く?」

私の提案に前嶋はうれしそうに、

 「え! 良いのか?」

 「特別よ」

 「ありがとう」

 前嶋は笑顔で答えた。

 

 学校に集合し一時間かけて病院に着いた。受付の人に美香夏の事を言うと今度は簡単に面会の許可がもらえた。

 美香夏の病室まで受付の人が案内をしてくれた。その間私は美香夏に何を話そうかそれだけを考えていた。

 「こちらが篠原美香夏様の部屋です」

 そう言って案内を終えた受付の人は戻っていった。

 病室のドアの前に立つ。

 「……準備はいい?」

 「うん」

 「ああ」

 久しぶりに会う友人。それも余命宣告された……。緊張しないはずがない。ゆっくりとドアを開ける。そして目に映るのは……体はやせ細りベッドに全体重を預けている……友人。

 「おお! 久しぶり、元気にしてた?」

 それでも美香夏は元気そうな声で挨拶をしてきた。それに対して私たちは何も答えることができない。それは変わり果てた美香夏にショックを受けたからだった。さっきまで考えていた話題など頭から抜け落ち、動揺が頭を支配する。

 「何々? そんなところで突っ立ってないで入りなよ」

 その声に従いゆっくりと部屋に入る。真っ白い部屋、美香夏だけの部屋。あるのはベッドと窓。それを見て孤独を感じずにはいられなかった。

 「元気そうね……」

 心にもない言葉を言う。

 「ええ、最近は気分が良いわ」

 美香夏の笑顔は二か月前のと変わらない。それに少し安堵し、持ってきた絵を見せる。

 「これ覚えてる?亜希が完成させたのよ」

 「……どうかな?」

 亜希が恥ずかしそうに聞く。

 「……ああ、それもういいわ。別に興味ないし」

 「え……」

 美香夏は何を言ったのだろう。言葉は聞こえた。ただ、それを認識することができない。

 「美香夏?」

 「聞こえなかった? いらないって言ってるのよ。後、なんで前嶋がいるの?」

 「美香夏……」

 「ど、どうして……そんなひどい事…言うの?」

 「感想言っただけじゃない。はっきり言って似てない! 下手! その絵捨てなよ」

 「ちょっとあんた!」

 余りにもひどい言葉に思わず手が出る。

 「やめて!」

 それを止めるように亜希が叫ぶ。目には涙が浮かんでいた。

 「良いの……本当のことだから。ごめんね。嫌な思いさせて……美香夏、また来るね」

 亜希は最後、美香夏に笑顔を向けて部屋から出ていった。

 「ねえ、どうしてあんなこと言ったのよ?」

 美香夏を睨み付ける。美香夏はそれに臆することもなく、

 「何か文句でもあるの?」

 弱りきった体からは考えられないほどの目で私を睨みつける

 「美香夏おかしいよ?冷静になってよ」

 「冷静よ。大体迷惑なのよ。こっちはゆっくりしてたのにぞろぞろと入ってきて…こっちの身にもなってよ!」

 「……そう。邪魔したわね」

 今の美香夏には何を話して無駄た。普通じゃない。長い付き合いだ。そのくらいは分かるし、自信もある。

 「前嶋、待合室で待ってるわ」

 そういって私は部屋を出た。

       ✽

 未散が部屋を出て沈黙が部屋を支配する。今部屋にいるのは前嶋と美香夏だ。

 普通じゃない篠原に困惑して言葉が出てこない。緊張で汗が出る。

 「まだ何かあるの?」

 篠原はこちらを見ず、窓の方を向いている。それでも話したいと思い、

 「あ、あの……元気か?」

 「見てわからない?」

 「……ごめん」

 会話が続かない。何を話していいか分からない。学校では普通に話をしていたのに……。

 「いつ頃退院できるんだ?」

 「知らないわよ」

 「みんな心配してたぞ?」

 「見舞いには来ないのね」

 「なあ、どうしたんだよ? 前みたいに普通に

 「普通じゃないわ」

 篠原の冷たい声で遮られた。

 「私、普通じゃないわよ。私はもう普通じゃない……」

 「どうしてだよ。治るんだろ?」

 「……」

 篠原は答えてくれない。それは一つの絶望的な答えとして胸に突き刺さる。

 「帰ってくれない? 疲れたのよ」

 突き放すように言う美香夏に、

 「……あの!」

 「何?」

 苛立ちを隠すこともない篠原の態度に怖気づくことなく、

 「今こんな事言うべきじゃないことはわかってるんだけど…言っておきたいことがある」

 「手短に」

 こちらに関心を向けない篠原に、

 「好きだ」

 真っ直ぐに自分の気持ちを伝えた。一言に全てを込めて。

 でも、篠原は何も答えてはくれない。だから、

 「篠原の事ずっと気になってた。朝来ると未散と話している篠原の笑顔に俺は惹かれていた。でも、積極的に話せなかった。自分の気持ちに気づかれたら今までのように話せなくなるんじゃないかと思ってた。でも……二ヶ月もの間学校に来なくなって…俺思ったんだ。待ってるだけじゃ何も変わらないって、自分から動かないと変わらないって。……俺待ってるからな。お前が退院するのを……ずっと、ずっと待ってるから。退院したら…俺と付き合ってくれ」

 届くように、伝わるように、想いを言葉に乗せる。

 「……」

 それでも篠原は窓の方を向いている。でも、変化はあった。シーツを握りしめ体は小刻みに震えていた。

 「篠原…?」

 近づこうとした時、篠原はこちらを見て、

 「無理。私の好みじゃないわ」

 無表情で言った。だが、その眼は少しだけ潤んでいた。

      ✽

 夜、夫の仕事が終わり私たちは美香夏に会いに来た。

 「美香夏、お見舞いに来たわよ」

 笑顔を作り明るい声を出す。慣れない仕事で疲れている事を娘に悟られないように・・・。

 「ありがとう」

 ベッドに横たわる娘、私たちに対して微笑みを向ける。しかし、それに違和感を覚える。今までも違和感はあった。無理やり作ったような顔を入院して以来よく目にしていたからだ。だけどその違和感とは別のモノが娘の顔には宿っていた。夫に目を向けると、私と同じように違和感を感じている様子だった。

 「美香夏、疲れているの?」

 「ちょっとね……昼間に未散たちがお見舞いに来て騒がしかったからかな……」

 「仲が良いのね」

 「かもね」

 あ、今の顔……何かあったんだ。

 「ねえ、何かあったんじゃないの?」

 「……何もない」

 「本当に?」

 「しつこい! ただ、疲れてるだけよ!!」

 「美香夏……?」

 「おい、お母さんに向かってその態度は何だ!」

 夫が怒鳴るも娘は怯まない。絶対に引かないという意思が伝わってくる。

 「もう十分来ないで!」

 そう言ってベッドに預けていた体を前のめりにしてキッと私たちを睨み付けてくる。 

「いい加減にしろよ!」

 「あなた!」

 夫が娘にビンタをした。だが、それでも娘は怯まない。ベッドに体を戻しながらも目には意志が籠っている。

 私たちに言えない何かがあるのだろう……

 「あなた、ちょっと……」

 夫を呼び外に連れ出す。

 「美香夏の様子おかしいと思わない?」

 「ああ、あんな態度見たことない。それに俺は……」

 夫も動揺している。そして娘に手を出した事に罪悪感を感じている。

 「仕方ないわよ。あなたも疲れているのだから。あなたは車で待っていて」

 「わかった」

 そう言って夫は車へと向かった。私は尚も睨み付ける娘に、

 「ごめんね。お母さんたち無神経ね。じゃあ今日は帰るから」

 娘に別れを告げ、部屋から出ようとしたとき、

 〝あ・・・とう・・なら〟

 娘の声に似た音が聞こえた。

 「……美香夏?」

 振り向くと娘は窓の方をずっと見ている。こちらの声に反応を示さない。

 空耳だと自分を納得させ私は夫の元へと向かった。

      ✽

 「ふぅ……書き終わった」

 ベットサイドテーブルには五つの手紙がある。それには一つずつ名前が書かれていた。お母さん、お父さん、未散、亜希、前嶋。

 ふと、窓の外を見ると一羽の鳥が停まっていた。青い羽根、お腹は白、その間に黒の線が一本ある。コルリだ。

 こちらを見て〝チッ チッ〟と鳴く。

 「あなたも一緒にいく?」

 そう言うとコルリが肩に停まった。

 「…あなたも一人なの?」

 可哀想に……。まるで他人事のだ。

 コルリは私を心配するように体のあちこちを飛び回る。飛んでは停まり、飛んでは止まり、それを繰り返すたびにコルリの重さを感じる。

 〝チッ チッ〟

 コルリの声が窓から聞こえた。見ると二羽のコルリが停まっていた。活発で少し大きな濃い青のコルリ。ちょっと弱気で周りを気にしている薄い青のコルリ。

 二羽が私の体に停まっているコルリをじっと見つめる。時折〝チッ チッ〟と寂しそうに鳴く。

 「呼んでるよ?」

 体に停まっているコルリに言うとこちらをずっと見ている。お互い見つめ合い目で意思を確かめ合う。

 すると、諦めたように体に停まっているコルリは窓の方へ移った。

 「ありがとう。あなた達仲良くしなさいよ」

 そう言うと三羽は返事をし灰色の方へ飛んで行った。

 途中、あの三羽より一回り大きな鳥が私の体に停まった鳥の横に並んだ。

 二羽は飛びながら目と羽で会話をしている。時折、活発なコルリが冷やかすように周りを飛ぶ。それを楽しそうに見る小さなコルリ。

ああ、私もあの鳥達のようになりたかった……どうして私だけここにいるんだろう……もっと一緒にいたかった。もっと生きていたかった。でも、私は生きては駄目だ。もう決めたんだ。

揺れる心を意志で抑える。

 「さようなら」

 そう言って病室を出た。


 篠原美香夏が見つかったのは、失踪してから二日後。彼女は遺体として発見された。死因は首からの出血による出血性ショック死。彼女は桜高校にある一番大きな桜の木の下で静かに眠っていた。その近くには四枚の小さい青色の鳥の羽が置かれていた。



手紙

 昨日はごめんなさい。私ひどいこと言っちゃったね。許してくれなくても良い。ただ、一つだけ私の願いを聞いて……。

どうか…私の事を忘れてください。



あなたが美香夏ならどうしますか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ