名前のない人間
薄暗い森のなか、一人の少女が駆け抜ける。少女は森という悪路を物ともせず、常人離れした勢いで走り抜ける。
森に不釣り合いな白い薄手のワンピースは少女が森を駆け抜けるせいで、ところどころ木の枝に引っかかり破けていた。しかし、少女はそれを顧みない。
駆ける、駆ける、駆ける。木の枝に腕が当たり、血が滲む。
気にしない。
素足で走り、植物の刺でずたぼろになる。
気にしない。気にしない、気にしない、気にしてられない。
少女は何かから逃げるように走る。
目の前の木々の隙間から明かりが漏れる。この先に空けた場所がある。そう判断した少女は木々を薙ぎ払い、飛び込む。
「よう、遅かったな」
そこには、赤黒いローブを纏った男が大きな岩の上で胡座をかいていた。ローブの下は継ぎ接ぎだらけの服が見える。しかし、顔の方はよく見ない。声だけ聞けば三十代の男であろう。
男はゆっくりと立ち上がり、大岩から下りた。その間の動きを少女は一挙手一投足見逃さない。しかし、男は黙って少女を見据えるだけだ。
数秒の沈黙、少女の心は感情の暴風に荒れていた。
なんで? 何でなの?
「私たちが何をしたと言うの!?」
心の叫びは口から放たれた。
「簡単だ、お前たちが化物だからだ」
「化物!? ええ、確かに化物だわ。でも人間に危害を加えてはいない!!」
彼女の集落は吸血鬼の村。文字通り吸血鬼しかいない村。吸血鬼は人から血液を貰わねば生きては行けない化物。しかし、そんな化物の中で彼女たちは穏健派だった。人に危害を加えないために森の奥深くに住み、外界から離れて生きて来た。しかし吸血鬼は血がなければ生きては行けない。そこで彼らは、村の外から理解ある人間を嫁や婿として向かい入れ、彼らの血液を貰うことによって村は維持されてきた。幸い、多くの理解ある人間が異性の吸血鬼と婚姻し、ハーフも数多く生まれた。村は幸せだった。この男が来るまでは。
男は突如として現れた。男は村の中心に行くと、剣のような物を振りかざした。すると、その剣から白い炎が生まれ、白い炎は村全体を焼きつくした。慌てて外へ逃げる吸血鬼たちを男は容赦なく切り捨てた。本来、吸血鬼はその程度では死なないのに、男の剣から生み出された白い炎によって、塵すら残さず消滅した。男の吸血鬼たちが必死に戦ったが、男の剣の生み出す炎によって焼却された。赤ん坊を抱いた女性の吸血鬼が子供の命だけはと命乞いをしたが、男は容赦なく赤ん坊ごと刺し貫いた。村にいた人間たちが、男に立ち向かうが、男は人間を無視して吸血鬼の殺戮を続ける。人間たちも武器を持って攻撃したが、男にあしらわれるばかり。
そして、村は人間を残して焼き尽くされた。少女は人間たちに匿われ、ここまで逃げて来たのだ。だが、男がそれに気づかないはずがなく。
「関係はない。化物は皆殺しだ」
にべもなく男は断言する。
「たとえ、女子供でもか!? 隣のマリエッティさんは先月三人目が生まれたばかりだ! 母さんは私の妹を身ごもってた!! あの村には十七人の子供がいただんぞ!!!!」
少女は涙を流しながら訴える。
私たちが何をしたのだ!? 子供たちが何をしたのだ!?
「知ったことか。ガキだろうと化物だ。化物の芽は潰す。当然だ」
まるで、虫を殺すかのような物言い。少女の中で感情が爆発した。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
使うはずがないと信じていた吸血鬼の能力。少女は手を刃物のように鋭利化し、男に襲いかかる。しかし。
「っは」
男は鼻で笑いながら、少女の攻撃を避け、無防備となった腹部に剣を差し込む。
「ゴブッ」
少女は口から血を吐き出し、男にもたれかかる。鋭利化された手は元に戻り、それでも男を切ろうと男の背中に弱々しく爪を立てる。
「な、なんで? 私たちが、何を、したと言うの? 私たちは、私たちは、ただ人間と一緒に、平和に」
少女は慟哭を男の耳元で囁く。
「お前たちの平和など知ったことか。お前たちが化物だから殺す。ただそれだけだ」
少女は意識が薄れ行く中で、男の言葉を聞く。狂ってる。この男は狂ってる。少女は男の持つ狂気を理解した。そして哀れんだ。消えそうな意識を必死に保ち、男に最後の言葉をいう。
「あ、あなたの方が、り、りっぱな、化物、よ」
少女は息絶え、同時に剣から吹き出た白い炎が少女の遺体を焼き尽くし、塵も残さず消して行く。
「化物? 俺が?」
男は剣を鞘に納め、少女の最後の言葉を呟く。
「俺は、人間だ。化物を殺す、人間だ!」
まるで言い訳するように、少女の言葉を否定する。男は踵を翻し、暗い森の中へと消えていった。
連続短編で作るつもりです。新参者ですが、ご感想をよろしくお願いします