第十部
あのゲームオーバーを告げる音はまだ聞こえてこなかった。
それを最初に不振と思ったのはベッキーである。これが現実であれば彼女の顔は涙に濡れていたことだろう。しかし体を拘束されている今の彼女では顔に手を当てることもできない。
遠くの方ではカオスがゼロの生死を確認もせず、勝利の喜びに浸っていた。
そんな主人とは裏腹に神楽の目は地面に埋もれたプレイヤーへと向けられている。
無属性のプレイヤーは右腕がひしゃげ、さらにその腕は胴へとめり込んでいた。左腕も無事ではないが、デバイスが盾となってどうにか腕としての原型はとどめている。
ピクッとゼロの左腕が動いた。神楽はそれを見逃さない。トドメの一撃とばかりに右の拳を再びゼロにめり込ませる。
破壊音が再度響く。これにはカオスも驚いた様子だった。
「神楽?どおしたの?」
神楽は無機質な目をカオスへ向けた。その目にはカオスに何かを訴えようという神楽の想いが感じられる。
しかしカオスにも流石に神楽の想いを知ることはできない。
カオスは困った顔をしながら残った戦士達を引き連れて神楽のもとへと駆け寄っていった。
神楽の目は告げていた。「くるな」と。
ゼロの漆黒のボディから霧のようなものが滲み出てきていた。
━━━残りバトル時間 4分。後半戦はまだ終わらない。
『オマエハナニガノゾミダ?』
ゼロの耳には再びその声が聞こえてきた。
辺りは暗くどこか冷たい。そんな何もかも黒に塗りつぶされた空間にゼロは浮遊していた。
『ナニヲシタイ?』
次々と言葉が紡がれていく。
「俺は…………。」
ゼロの口が開いた。なぜ自分でも声を出しているのか分からないが、なぜかそれを言わなければいけない気がした。否。言わなければならなかった。
だからゼロは暗い闇の世界に告げる。
「…………ベッキーさん。ヒエイさんを護りたい。」
『護ル?ソレガオ前ノ望ミカ?』
「ああ、二人は俺のせいで今、ゲームオーバーになってしまいそうなんだ。俺はこの闘いに負けられない。だから勝ちたい。だから護る力がほしい。」
闇の中からは冷たい笑い声が聞こえてくる。
いつものゼロならば、ここで怒りの一言を述べてもおかしくないはずなのだが、そんな様子はなかった。
それどころか何か胸の中に溜まったものを外に出すことができてスッキリとした様子がある。
『護ル。クックック!デハ、オマエハ何ヲ護リタイ?』
しかし次の闇からの質問にはゼロも疑問符を浮かべる。
「何をってだからベッキーさんとヒエイさんを━━━。」
『━━━何ヲ護リタイ?』
「だから━━━」
『━━━何ヲ護リタインダ?』
「ベッ━━━」
『何ヲ何ダ』
「…………」
ゼロはここで言葉を失った。
闇へと語る内に何か大切なモノを失った気がした。
闇は再び質問をする。
『━━━何ヲ護リタイ?』
ゼロは答えた。
「護る。俺は護るんだ。」
『何ヲ?』
三色のオクターブを持って一つの言葉が紡がれた。
「━━━護ル━━━」
『何ヲ?』
闇はゼロを嘲笑った。
神楽は無機質な目をゼロへと向けていた。神楽は相手の細かい変化をも見逃さない最強の戦士である。
そんな神楽だからこそゼロのその些細な変化に気付くことができたのだろう。
ゼロの黄色く輝いていた瞳から唐突に光が失われた。
直後だった。
まだ無事のように見える左腕が神楽の顔にロックオンした。手の平を開いた状態で。
ガシュン!!
その手の平から伸びたのは漆黒の刃だった。柄も何もない。まさに刃のみが伸びたようなもの。
先ほど力一杯で振るっても傷つけることのできなかった装甲にただ出現した刃が堂々と神楽の顔面を射抜く。
神楽は粒子となって消滅した。
その様子を見やり、カオスは驚くどころかはちきれんばかりの喜びを表すように叫ぶ。
「やっぱりゼロお兄ちゃん凄いよ!!」
それに対しゼロの返答はシンプルであった。
「━━━護ル」
三色の音色が奏でる美しさと不気味さがその場にいた全てのプレイヤーを包み込む。
カオスは目をキラキラに輝かしながら手に持つスケッチブックを乱雑に引きちぎった。
ビリィィイイ!!
不協和音を奏でながら破られた紙たちはしかし切断部分が綺麗に揃えられている。
カオスは紙の束を空へと放つ。
紙たちは個々で集結していき、形を整えていく。
先ほど召喚された戦士と合せて40はくだらない鎧の戦士が庭園内にひしめき合った。
だが、カオスの手は止まることはなかった。すぐさまバックから取り出したスケッチブックをこれまた乱雑にむしる。
ゼロは仰向けのまま足を立てた。さらにゼロは何らかの重力に引かれるように何の抵抗を見せることなく体を起き上がらせる。勢いよく上半身を前に出し過ぎたせいかゼロの体は前のめりに倒れそうになった。しかしそれは右足を前に出し力を込めることで踏みとどまることに成功した。
カオスは三冊目に手を掛けた。さらにその紙束も中を舞う。
ゼロの体を黒いモヤが包み込もうとしていた。しかし、モヤはレオの時のように簡単に貼り付こうとはしていない。ただ、ゼロの傷付いた腕、胴を中心に少しだけ吸収させていくだけだ。
ゼロの傷はそれだけで治った。どういう原理かは理解できないが、腕としての原型をとどめていなかった右腕も完全に完治している。
ゼロは光の灯っていない目を前方へと向ける。
そこには何百という戦士たちの彩りな鎧が見え隠れしていた。その中でも一際デカい影が二体。
それは神楽だった。神楽たちはその鍔帽子の内に秘めた無機質の瞳をゼロへと向けている。
ゼロは言った。
「━━━護ル」
と。
━━━バトル終了3分前━━━
ゼロは光の無い濁った目を100を越える大群へ向けた。
「━━━護ル」
パッと両の手を左右に伸ばしゼロはその手の平から漆黒に塗られた刀を出現させる。
その刀は面白いように伸びて伸びて……………。
「あー。ベッキーさんでしたっけ?ちょっと伏せた方がいいかもしれないよ?」
ハムはそう言うとベッキーよりも素早く体勢を低くした。
ベッキーは目を丸くしながらハムの奇怪な行動を見届けていた。しかしつかさずハムの口から「本当に死んでしまうよ?」という脅しを受け、反射的に姿勢を低くした。
ヒュン
そんな乾いた音が頭上から聞こえてきたのはベッキーが姿勢を低くして数秒後のことだった。
二本の刃が広い庭園内を左右から切り裂く。
その餌食となったのは今では100を越える戦士たちだった。
ガリガリガリガリ!!
時に戦士の胴を真っ二つにし、時に剣でそれをガードしていた戦士たちを引き摺る。
その異様な光景にカオスは興奮気味に声を荒らげた。
「スゴイスゴーイ!!」
本当に楽しそうに強者との勝負を噛み締めたカオスは自身の上体を低くし、回避の体勢をとっていた。
ガキャン!!
扇形に庭園を掃除していたゼロの刃がその中心となるところで重なる。そこでゼロは刀を手の平へと回収していった。
大多数の戦士は綺麗な粒子となって庭園を煌めかせ、残りの戦士は腰を抜かしたように仰向けに倒れている。
それらがむくっと起き上がった。ざっと見たところ二十体ほどが残っている。さらに上空から飛来してきた影が二つ。地面を鳴らし神楽が着地した。
「ゼロお兄ちゃん!いっくよーー!!」
その言葉を合図に神楽たちは左右から攻めに入った。地面を砕く轟音が庭園に児玉する。
刀を回収し終えたゼロが視線を向けたのは左に見えた神楽だ。選んだ理由は特になかったのだろうが、しいていうならゼロとの距離が一番近かったのが左の神楽だった。
ゼロは手を下にぶらりと振るうと腰を低くした姿勢のまま獣のようにダッシュする。
ゼロと神楽の距離は数秒で詰まった。
神楽の右拳が猫背のプレイヤーへ振るわれた。ゼロはこれを横にスライドするだけで簡単にかわす。ゼロの手が煌めいた。その手から生まれたのは今度は柄のある正真正銘の刀である。
ゼロは刀を神楽の剥き出し右腕に無造作に振るった。
神楽はこれを回避しようとせず、自分の右腕を盾として左拳を右腕ごとゼロへと放った。
ボトッ!
神楽の右腕が半ばほどから切断された。そしてそこに向けて振るわれていた左拳も真っ二つとなる。
だが、そこで諦める神楽ではなかった。落ちた右腕と左拳には眼もくれず、残った左脚を軸に右足の蹴りを放とうとした。
ガシュン!!
神楽の後頭部から飛び出た刃が神楽の力を停止させる。
ゼロは左の手の平に刃を回収していった。
ドシャッ!!
そんな音とともにゼロは地面と神楽の右腕に挟まれた。
もう一体の神楽は何度もその剛拳をゼロへとめり込ませていく。
ゼロは声を上げた。
「━━━護……ル………。」
神楽はそこから無数の拳打をゼロへと放っていった。地面が砕かれていくのと同時に黒い液がそこらに散布されていく。神楽もその黒い塗料を自身の顔と拳に付着させていった。
━━━バトル終了2分前━━━
神楽はそれを片手で持ち上げた。
体の力は抜け、ブランと手足を出している。
既にバトル終了1分前となっていた。
カオスはそれを理解しそれでもなお、不用意にゼロへと近付いていった。
「今度こそ僕の勝ちだよね?ね?ゼロお兄ちゃん。」
ゼロは答えなかった。ただただ沈黙し手足をぶらつかせているだけだ。
『weaponカード!!』
遠くからそんな音が聞こえた気がした。しかしカオスはそれを気にとめない。彼が気になっていたのはゼロの状態だけである。
カオスは面白くなさそうに口をすぼめる。そして閃いた。
えへへー。と屈託のない笑顔をゼロの脳天を見つめながらカオスはスケッチブックから5枚ほどを引き摺る。
暫くして誕生した戦士たちは一様に剣を構えた。
その刃の先には黒い的が………。
ドスドスドスドスドス
5本の刀は綺麗にゼロの体を貫いていった。その様子にカオスは笑顔満点である。
しかしあのゲームオーバーのメロディーは響かない。
カオスは頬を膨らませた。
「なんでー?なんでゼロお兄ちゃんは負けてくれないのー?」
カオスは勝利を確信していた。だからこそ負け。つまりゲームオーバーになることのないゼロに怒っているのだろう。今、カオスの中ではゼロがまだ負けを認めない駄々っ子のように見えていた。
「━━━マ………モル………。」
瞬間、神楽は手に持っていたゼロを主人から離そうと思い切り遠くへぶん投げた。
「あー。神楽だめなんだよ。今は僕がゼロお兄ちゃんと話してたんだから!」
神楽は主人の忠告を無視してゼロへと飛び出していった。
神楽は再びゼロを潰しにかかった。今度は本格的にゲームオーバーになるまで殴る覚悟である。
しかし神楽は判断を見誤っていた。その考えではもう遅いのだ。最初から殺す気でいかなければゼロを倒すことはできない。
ゼロはふらっと立ち上がっていた。生身であれば確実にゲームオーバーのはずのゼロは濁った目をさらに曇らせ神楽を見据える。
ゼロは千鳥足で神楽へ近付いていった。
神楽とゼロが互いの射程圏に入る。
勝負は一瞬だった。
コロコロと転がった鍔広の頭部は粒子となって消えていく。
ゼロの目の前に雷の戦士が現れた。ゼロは軽く右手の刀を振るう。それだけで戦士の胴は斜めに別れた。
先行していた雷の戦士の後を追って次々と他の戦士たちがゼロへ殺到していく。
ゼロは左手から生み出した刀も持ち、二刀流となった。
ゼロは再び覚束ない足取りで前を歩いていく。
土の戦士が手に持つハンマーを大きく掲げゼロへと迫った。
ゼロはそれを軽く回避しその首に刀を一撃を加えた。
さらに前方からは鋼の戦士が己の色をした盾を構え突撃してくる。そのあとからは水、氷、草と各々の戦士が武器を構えていた。
ゼロは盾の側面に刀を当て、鋼の戦士の体勢を崩させた。
がら空きの胴にゼロは自分の刀を差し込む。
「護ル」
粒子となって消えた戦士の後ろから別の戦士が刃を振りかぶってゼロと対峙した。ゼロは刀を横に薙ぎ、それらを蹴散らす。
その後の展開は簡単なものだ。
カオスの所有する軍勢がゼロへ突撃し、消えていく。
そんなやり取りを行っていきついにゼロはゴールへと辿り着いた。
「僕の勝ちだね。お兄ちゃん。」
尻餅をつきながらカオスは怯えた様子もなく高らかに宣言した。
ポン!ポン!
二つの音が上空から響いた。
「さ。ゲームはお終いだよ。」
カオスはお尻についた土埃を払いながら立ち上がる。
「おーい。ハムお兄ちゃん。」
その声に気付き後ろを向いていたハムがカオスに向けて手を振る。カオスはそれを見やりダッシュでハムのもとへと駆けていった。
まだ足の短いカオスだが、足の速さはそれなりのようだった。
みるみるうちにカオスとハムとの距離は縮まってゆく。
ハムは手を振りながらカオスへ言った。
「また今度。遊ぼうね。」
カオスの首が空を舞った。
首を失った体は暫く赤い噴水で辺りを水浸しにしたあとその勢いを失って地面へ足から崩れていった。
地面に首と体が接触した瞬間。
ポン!と乾いた音色が響いた。
「さてと。」
パン!と手を打ちハムはゼロにお別れの言葉を継げた。
「じゃあねゼロくん。キミもまた遊ぼう。あ、その『偽りの夢』はキミの好きにしていいから。ライフもいらないし、大事に使ってね。」
手を振りながらハムは庭園の出口に向かっていった。既に塀はゼロの手で崩されている訳なのだが、ハムは律儀にもちゃんとした出口から抜けようとしているらしい。
フンフンと鼻を鳴らしながらハムは歩いていく。彼は今、ご機嫌なのだった。
だからこそ背後からハムを引き裂こうとしたゼロの姿に気付かなかった。
『open・the・skill!!』
そしてハムは歩みを進めていく。彼のテンポで誰にも侵されることなく。
ゼロは地面に伏しながら言葉を吐いた。
「………護ル。」
本来護るべき目的を失いながらもゼロはその言葉を吐く。それは呪いのように冷たくゼロの心は秒単位で凍っていった。
黒い刀は柄の部分から自分が本来あるべき場所に吸い込まれていった。
そしてそのゼロの手の平には赤い染みが付着した。
━━━数時間後
『タイムアップ』
上空のディスプレイがそうイベントクエストの終了を告げた。
モンスターファームでの生存者は一同に宮殿前へと転送された。そこで殆どのプレイヤーはぎょっと目を見開くことになった。イベントクエスト最初で見たことのあるあの庭園が半壊しているのだ驚かない方が寧ろ不自然であろう。
行われたのは厳ついポッチャリな王様の激励の言葉とランキング上位者の発表だった。
「━━━二位、ナンバー093。メンバーはカオス、ゼロ、ヒエイ、ベッキー、レオ。」
辺りは静寂に包まれていた。理由は単純で、命を掛けるゲームで敵の幸福を喜ぶ奴はいない。ただ、そう本当にただそれだけの理由だった。
「━━━一位」
庭園内にいるプレイヤーたちの目が煌めく。その輝きは憎しみや嫉妬などで歪んだ光を生んでいた。
先ほどと同じようにメンバーの名前が告げられていく。
その中にはこんなネームがあった。
━━━ハングリームーン━━━
「ハングリームーン。あいつが………。」
黒いスーツを着たプレイヤーは血が滲むまで拳を強く握り締め、必要に辺りを見回していた。
モンスターファーム編終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。




