第八部
『キリヒコくん。』
ゼロの耳に届いたのは遠い記憶の中に存在した少女の声だった。
その子は満面の笑みをこちらに向けている。きっとキリヒコの方も彼女に笑顔を向けていることだろう。
しかし………。
次に現れた少女の顔は涙に歪んでいた。少女は若い男に連れられながら必死にキリヒコの名前を叫んでいる。
キリヒコ自身も涙で顔を濡らしながら少女の方へその小さい手を伸ばしていた。
少女とキリヒコの距離は開いていく。
そしてキリヒコは二度と少女に出会うことはなかった。
ゼロは何もない崖の中で目を覚ました。
時刻は夕時で太陽が沈みかけているせいか、辺りはオレンジ色の光に包まれている。
ゼロは手に力を込める。先ほどとは違い重力の抵抗はなく、簡単に起き上がることができた。
『場所はそうだね。ゲーム終了日の昼、中央の城の付近でどうだろうか?━━━』
ハムの言葉が頭の中で反芻される。
━━━ベッキーさん、ヒエイさんの二人が人質にされた。俺のせいだ。俺の………。
「くそっ!!」
ゼロは意味もなく地面を殴った。拳から響く痛みはゼロの心の喪失感を否応なく逆撫でする。
それから数発殴ったもののゼロの気持ちが晴れることはなかった。
『ゼロ様。』
そんなゼロの矛先を止めたのはゼロの左腕に装着されていたデバイスだった。
「ナビはゲームに干渉しないのがルールじゃないのか?」
ゼロは皮肉を込めた言葉でミイナを責める。しかし発した言葉とともに傷付いたのはゼロの方だ。
ミイナはそんなゼロの言葉を気に留めず話を進める。
『ゼロ様。自分自身を痛めつけるのはそろそろお止め下さい。そんなことをしても連れ去られたお二人は戻ってこないのですよ?』
「分かってるよ!分かってんだよそんなことは………。」
ゼロは悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、こうでもしないと自分の理性が吹っ飛んじまいそうな気がして怖えーんだよ………。」
『それを承知の上で、私は申しております。もうそんなことはお止め下さい。そして自分を否定しようとするのもやめて下さい。ゼロ様はちゃんと頑張っておられました。不器用ながらも定一杯ね。それは私が承認になりますよ。ですが、それでもまだ、足りないと仰るのでしたら行動しましょう。ここで立ち止まらず目的の場所に行きましょう。』
「そんな簡単に言わないでくれよ。俺はこうならないように強くなろうと決意したんだぞ。でも、結果はどうだ?こんなにあっさりと仲間を殺され、連れ去られた。そんな俺にどうすれってんだよ。」
『「━━━チカラガ欲シイカヨ?」』
そんなオクターブの違う三色の声がゼロの耳に届いた。
ゼロは辺りを見回し姿を確認しようとするがやはりというか当然のように人の影はない。だが、言葉は続く。
『「━━━オマエハナニヲ望ム?ナニガホシイ?ナニヲシタイ?」』
「何を言っているんだ?お前は誰だ!どこにいる!」
ククククと不気味な声を上げる何者かにゼロは不快感を覚えるが相手にそれを気にとめる様子は見られない。
何者かは口を開いた。
『「オレハ━━━━」』
『ゼロ様!!』
ミイナの怒鳴り声によってゼロは我にかえった。目をパチクリとさせ現状の把握を━━━
『ゼロ様。あなた様の言葉をあなたの思いを伝えてもらえませんと私は何も対処してあげることはできません。悩みがあるのでしたら私にぶつけて下さい。私にはそれぐらいしかできませんが…………それでもゼロ様のそんな姿、私は見たくないです。』
ズキっとゼロの胸が一瞬痛んだ。
━━━そうか俺、周りに気を使い過ぎて自分の一番身近にいる奴に迷惑をかけていたのか………。
ミイナの様子だと一瞬気を失っていたようだが、それによって得ることのできた冷静な頭でそうゼロは考えた。
━━━そうだよな。護る護れないって言う前に身近な奴に心配かけられるようじゃ、まだ俺は弱いよな。
「あああああぁぁぁぁ!!!!」
ゼロは上空を見上げ吠えた。込み上げるものを全て吐き出す気持ちで出した一撃は地面を殴るよりも幾分、気分を楽にした気がした。
『ゼ、ゼロ様!?』
ミイナは突然のゼロの叫びに素っ頓狂な声を上げた。ゼロは少し荒い息を吐く。
「ああ、ごめん。大丈夫だよ大丈夫。ありがとう。」
『………そうですか?』
デバイスからミイナの微かな含み笑いが聞こえた気がした。
━━━そうだ考えるな。まだベッキーさんもヒエイさんも死んだ訳じゃないんだ。まだ救える。俺が勝てば俺があいつに…………ハムに………。
グルルルゥゥウ!!
獣の唸る声がどこからともなく聞こえてくる。視野が飛躍的狭いこの場所では定かではないが、おそらく囲まれているであろうことは予想はついた。
『では、向かいましょう。ゼロ様が行くべき場所へ。』
一呼吸置いてミイナはそう呟いた。
それを聞きゼロは重い腰を上げる。体に鈍い痛みが走ってくるが、それでも体は動く。
『weaponカード!!』
ゼロは手にした刀を前に持つと睨みの効いた黄色い水晶を前方に向けた。
グルルルゥゥウ!!
夕日が沈んでいく。そして獣達はその血走る獰猛な目で獲物を見据えた。
『skillカード!!』
ゼロの水晶がこちらも紅く染まり上がった。その目は闇に溶け込むことはなく自分はここにいるんだと執拗に主張してくる。
獣達は一瞬、たじろいだが所詮は獣。理性を抑えることなく逆に本能を出し切ることで相手を鎮圧する作戦のようだった。
「城までのコースを教えてくれ、それが今の俺の気持ちと願いだ。」
デバイスは言葉こそ発しなかったが、ゼロ自身の目の前に展開されたマップのようなものが彼女なりの答えなのだろう。
ゼロは迷路のような入り組んだ崖の攻略を始めていった。
━━━イベント終了日、午前11:51━━━
イベントエリア中央、周りを堀で囲まれ綺麗な花たちがその中を彩る庭園にハムはいた。
ハムは呆然と昼の空を見上げ、つまらなそうに雲の数を数えている。
「私達を拘束して何が目的なの?」
そんな彼に声を掛けているのは体を縄状の何かで拘束されていたベッキーである。
彼女の拘束された体には所々、焼け焦げたような火傷の跡が見られた。
「別に特には。」
ハムはあっさりと答えた。本当に心底つまらなそうに。
「そもそも君たちの価値は特にないんだよね。実際の僕の望みは強いゼロくんと戦いたいっていうものだからさ。」
「だったら脅迫紛いなことなんてしないで堂々と闘えばいいじゃない!」
「…………。」
「それとも、あんたはゼロが怖いの?怖いから私達を捕まえてゼロに全力で闘えないように仕向けようと━━━。」
「それは違うよ!」
ハムは間違いが嫌いだ。それは相手であっても自分であっても同じである。真実の答えを彼は好み、そして今までそれを実現してきた。その成果こそがレオがハムから渡された『偽りの夢』を警戒することなく使用してしまったということなのだろう。
「言っただろう!僕の望みは強いゼロくんと闘うことだって!全力じゃないゼロくんを倒して何が楽しいのさ!」
うううっと睨み合う二人の中を削ように第三者からの声が掛かった。その声はまだ幼げさの残る少年のものだった。
「あー!駄目なんだよハムお兄ちゃん。捕まった人とは喋れないってルールでしょ!?」
その少年カオスは、全長二メートル近くある戦士『神楽』の肩に乗りながら此方へと向かってやってきている最中だった。
神楽の方はレオ戦で失った腕も綺麗に修復されており、五体満足で庭園の大地を踏みしめている。
ハムは不満を残すものの一旦、ベッキーとの会話を止めやってくるカオスに話し相手を移した。
「ごめんねカオスくん。ところでどうだった?かくれんぼは楽しかった?」
「うん!━━━」
ベッキーはその内容に疑問符を浮かべていたが、すぐ近くまでやってきた神楽の体を見て彼女は唐突に理解する。
神楽の体には多少の傷が付いていたもののそれ自体に彼女の目はいっていない。如いていうならば手。元は鉄の色をしていたであろうその手はインクにでも浸けたかのように赤くペイントされていた。
「………!」
「━━━沢山の人が隠れていてね。僕はタッチって言ってその人に触れたんだけど。相手してもらえないどころか僕を攻撃してきたから神楽を召喚したんだ。そしたらその人は倒したんだけどゾロゾロゾロゾロといろんな人たちが押し寄せてきて━━━」
「もういいよ。ありがとう。とーっても楽しかったんだね。」
長話になると踏んだのかハムはカオスの次の言葉を遮るようにそう言った。
「うん!」
カオスの方もそれを気にとめた様子もなく笑顔で頷く。ハムはそんな裏表のないカオスの事が好きだった。
ハムは頭上を見上げた。今度に見たのは雲などではなくディスプレイに表示されている時刻の方だ。
「……12時01分。」
その呟きがカオスにも届いた。
「もうすぐまたゼロお兄ちゃんに会えるんだよね!!」
カオスのテンションはマックスだ。
「………っ!!」
ベッキーはそんな狂気的二人に声を上げることが出来なくなっていた。
そしてベッキーは隣に並ばされている男の方に目を向ける。
体こそベッキーと同じもので縛られてはいるが彼には火傷の跡は見られない。しかし彼の方も五体満足という訳ではなく。体の方がおかしく曲がっていた。彼は息こそしているものの最早死人のそれに近い状態だった。
ハムは時計を見やりながら口の橋を吊り上げる。
「………ゼロくん」
この赤い水晶に秘められた彼の狂気な姿を知る者は誰もいない。
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