第十六部
重大なミスが見つかり内容を多少変更しています。
初めてお読みになる方は問題ないですが、一度、こちらをお読み下さった方達にはご迷惑おかけします。
キリヒコが目を覚ますと視界には白い天井が見られた。窓ガラスから立ち込める光りがキリヒコの眼を焼く。
辺りを見ただけでこの場所の検討もついた。ここは保健室だ。保健室特有の薬剤の香りが鼻孔をくすぐる。
すぐに保健医の先生の鼻歌も耳に届いた。その声を聴いただけでもキリヒコは安心した。
「帰ってきたのか……。」
プレモンMBと現実では時間の流れがまったく異なる。しかしプレイヤーとしてゲームを行ったキリヒコの時間はプレモンMBと同期していた。
つまり、現実世界では八時間程度だったとしても、キリヒコの体感時間では三週間以上も経過しているのだ。
ふと、自分の目元を触ってみた。
濡れていた。一滴、二滴ではない。まるで滝のように流れるそれは今も止まることなく流れ続けていた。
理由は明白である。キリヒコは号泣していた。だがそれは現実世界ではなく、仮想世界でだ。
ただ、泣いた。子どものように、何も解決しないが声と心は震えた。
隣でただ、黙ってそれを見ていてくれたミイナには返す言葉もない。
この涙はキリヒコ、ゼロとしての覚悟だった。
強くなるための涙。キリヒコは強くそれを信じる。
仕切りのカーテンが開かれたのはキリヒコが自分の目元を拭っていた時だった。
物音が聞こえたのだろう。様子を看ようとカーテンの中から現れたのは保健医の御津波敏江〈みつなみとしえ〉先生だ。
歳は40代後半だが、そのおっとりとした性格と元気を分けてくれるような笑顔が人気で生徒にも好かれている。
「大丈夫?濱名君。」
先生が心配そうにキリヒコの顔を覗き込んでくる。その視線は顔を捉えていたが、その中でも目元あたりを注目されているような気がした。
案の定、先生はポケットからハンカチを取り出して「何か辛いことがあったの?」とつかさず訊いてきた。
辛いことは確かにあったが、それはこの世界で起こったことではない。仮に話そうとしても結局は制限が掛かり喋ることが出来ない。
キリヒコはギュッとシーツを握りながら
「いいえ。ただ、怖い夢を見てしまっただけなので、結構怖がりなんですよ。僕。」
と言葉を濁した。
トシエはその様子を不信に思ったが、キリヒコは敢えて喋ろうとしていないのを察し、話題を変えてくれた。
生徒が話そうとしないことに無理に突っ込まない。相手からの相談を待つのがスタイルの彼女のスタイルだ。しかし、ただ相手の事を待つのではなく。彼女自身から近づき、関係を築いてから相手のことを待つという彼女の行動も人気の一つである。
現にそうしたことで救われた生徒も多いそうだ。
「ところでなんだけど。濱名君って何かご病気って持ってたのかしら。突然、倒れて意識を失ったようだから熱中症かと思ったんだけどなんか様子も違うみたいだし。」
ちらっと横を視たトシエを見て、キリヒコも気付いた。どうやら保健室に運ばれたのはキリヒコだけではないらしい。他、数名の生徒がベッドで横になってるようだった。
この被害は多分、いや十中八九、朝会のせいだろう。夏の終盤であったが気温も高く蒸し暑かったことを覚えている。
「いえ、病気は無いんですけど。この所、疲れが溜まってるみたいでそれが原因だと思います。」
キリヒコは受け取ったハンカチを目元に当てながら答えた。
「そう。でも、疲れが溜まってるって何かやっているの?もし、深夜にバイトとかしてるんだったら駄目。学生の本分は勉強なんだから。しっかりしないと。」
トシエは手を腰に当てながら話しをする。しっかりとするところはしっかりしないと気が済まないタチなのだ。
キリヒコは手を横に振りながら。
「違います!違います!」
と断固否定した。
「じゃあ何なの。」
キリヒコはグッと息を呑んだが、少し躊躇いがちに「……げ、ゲーム…です。」と答えるとトシエは溜め息を一つついた。
「ゲームも程々にね。さてと、授業はもう終わっちゃったからあれだけど。これからどうする?一応ご両親に連絡しておいたから暫くすれば迎えに来てもらえるだろうし、ここで待ってる?」
キリヒコは首を横に振った。
「いいえ。このまま帰ります。今日はお世話になりました。」
キリヒコは力無く立ち上がった。瞳の色もどこか暗い。
「そう?じゃあ、気を付けてね?」
トシエもその様子を見逃しはしない。しかし彼女の中ではまだ、キリヒコに声を掛けてあげられるほど、キリヒコの知識が足りていなかった。
キリヒコは沈黙とともに保健室のドアに手をかけた。
「濱名くん。」
キリヒコは振り向いた。
そこには椅子に腰掛け、含み笑いを見せていたトシエの姿がある。
「また、来なさい。」
その声は魔法のようにキリヒコの心を揺さぶった。闇に染まりそうになっているキリヒコには彼女は眩しい。
「……考えておきます。」
キリヒコはそれだけ言うと保健室のドアを開いた。
「……ただいま。」
誰もいない玄関でそう呟きながらキリヒコは素早く自室へと戻る。
鞄をそこらへ放置し、体は椅子の上へ預けた。
しばらく呆然と虚空を眺めていたがそれで何かが起こるでもなく、何気なしにテレビの電源を入れた。
特段に視たいモノがあるわけではなく、気晴らしとBGMの意味を重ねて流していただけだった。
なので番組欄にもキリヒコの視たいような番組はなかった。あるのはニュース番組と子供向け番組のみだ。
仕方なくキリヒコはニュース番組をボタンを操作しながら動かした。
内容は地域の宣伝のための番組や野球についての番組、今日の出来事のニュースなどだったのだが、ふと視た一つの番組にキリヒコは興味を嫌でも惹かれた。
それはとある大学の学生がサークルの部室の中で亡くなってしまったというものだった。
学生は男子一人、女子一人の計二名。
アナウンサーの女性がキレイな聞き取りやすい声で状況の説明をしている間に画面はその現場となった学校の映像を流していた。
そして、その下にはその被害にあった二名の名前が記載されている。
━━━山崎直也〈やまざきなおや〉、井上あさみ〈いのうえあさみ〉━━━
プレモンMBのプレイヤーは相手のリアルネームを知らない。
しかし、キリヒコにはその名前に聞き覚えがあった。僅か数時間前にゼロの前で死んでいった。グレイザーことヤマザキさんとアサミさん。
このタイミングで、しかも同じ場所で亡くなっていたというこの二人とゲームの中の二人は同一の人物としか思えなかった。
何よりも原因不明の死という所がポイントであったであろう。
キリヒコは食い入るようにその映像を見つめ続けた。しかし、その内容はキリヒコへ精神的ダメージを与えていることは間違いなかった。
何故ならこうしている間にも涙は頬を伝い重力のなされるがまま滴り落ちてキリヒコのスラックスの膝へ染みを付けているのだから。
それでもキリヒコは画面から眼をそらそうとしない。そこにある現実をただただ受け入れる。グレイザーとの誓い。そして、ハギナミとの誓いのためにもここで目をそらせば彼らと同じステージへ立てないような気がしたのだ。
ニュースが別のものへと移った事を切り目にテレビの電源を切った。目蓋を閉じ、心を落ち着ける。
ピリリリリィィ!!
目覚ましのような耳鳴りがキリヒコの脳へダイレクトに流れてくる。
キリヒコの目蓋が開かれた。
落ち着いた様子のその瞳が向かう先は机の上だ。
そこに、一枚のカードがバイブのような振動音を奏でながらブレている。
『クエストを開始します』
抑揚のない若い女性の声がゲーム開始の合図を唱えた。
キリヒコは慣れた手付きで携帯を開くとプレモンMBのサイトからすぐさま承認を済ませる。
『3、2』
━━━俺はもう負けない。二度と。緊急クエストモンスターだって倒してみせる。
キリヒコの眼には覚悟の炎が灯っていた。しかし、心は落ち着いている。静かな炎が内面で揺らめく。
『1、』
━━━だから見ていて下さい。グレイザーさん。アナタの夢は必ず、俺が受け継いでみせます。
『クエスト開始』
そして再び、絶望のカードゲームが始まった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




