第9話:不遇の才、里に集う
1. 霧の中の来訪者
グレイム伯爵の汚職摘発から数日が過ぎた。
王都では「正体不明の影が伯爵を裁いた」という噂が、まことしやかに囁かれている。そんな喧騒を余所に、霧降の峡谷に設けられた「影の里」は、今日も乳白色の帳に包まれていた。
この里の入り口には、ツヨシの許可なくしては決して見破れない強力な擬装が施されている。地形、気流、そしてマナの歪みを利用した多重の迷彩。そのはずなのだが、岩肌に仕掛けられた「魔導鳴子」が微かな、しかし意志の強い振動をツヨシの感覚へと伝えてきた。
ツヨシがユニークスキル**【ログアウト】**を纏い、霧の一部となって境界へと現れると、そこには二人の女性が立ち尽くしていた。
一人は、傷ついた銀の胸当てを身に着け、折れぬ意志を宿した瞳で虚空を見つめる背の高い女性。もう一人は、頭に大きなゴーグルを乗せ、小柄な身体には不釣り合いなほど巨大な工具鞄を背負った少女だ。
「……何者かな。ここはピクニックに来るような場所ではないよ」
霧の向こうから響くツヨシの声に、二人はびくりと肩を揺らした。
「失礼……! 私は元近衛騎士団のソフィア。こちらは工学士のミーナだ。王都で噂を聞いた。魔法にも家柄にも頼らず、独自の知恵で悪を裁く『隠者』がこの地にいると。……厚かましい願いとは承知しているが、私たちは行き場を失った。どうか、話を聴いてはもらえないだろうか」
ソフィアの声は凛としていたが、その奥には深い絶望と、最後に残された細い糸に縋るような切実さが混じっていた。
2. 挫折した刃、輝かぬ歯車
ツヨシは二人を里の道場へと招き、自身が茶葉から育てた薬草茶を出した。
ソフィアが語る身の上は、あまりに不条理なものだった。彼女は伯爵の不正を正義感ゆえに告発しようとしたが、逆に軍の規律違反という濡れ衣を着せられ、誇りであった騎士団を追放されたのだ。
「私は、剣で正義を成したかった。だが、この国の正義は魔法の強さと血筋に支配されている……。正しいことをしようとするほど、刃が鈍っていくのを感じるのです」
一方の少女ミーナは、魔力が極端に低いため、魔導具制作の職人街から「マナの通わぬ欠陥品」として蔑まれ、居場所を奪われた天才的な工学の徒だった。
「私、魔法は使えないけど、ネジの締まり具合やバネの反発なら、どんな高名な魔導師より正確に理解できるんです。でも、この国じゃマナがすべて。私の作った『機械』は、ゴミだって言われて……」
ツヨシは、かつての教室で出会った、既存の評価基準に苦しんでいた生徒たちの顔を思い出していた。テストの点数や運動能力、そんな一面的な尺度で「落第」の烙印を押された若者たち。
「……なるほど。典型的な『評価軸の不一致』だな」
ツヨシは穏やかに、しかし断定的に言った。
「ソフィア君、君の剣が重いのは、君が『騎士道』という、この国の歪んだ評価基準を捨てきれずに背負っているからだ。明日からその鎧を脱ぎ捨てなさい。君の強さを『殺気』ではなく『空気』に変える方法を教えよう。敵に斬られたとさえ思わせない、水の如き剣をね」
次に、ツヨシは静かにクナイを取り出し、ミーナの前に置いた。
「ミーナ君、君にはこのクナイを改造する宿題を出そう。魔法の刻印を一切使わず、純粋な『機構』だけで、百メートル先の的に確実に当てるための補助器を考えてみなさい。それが君の入学試験だ。……君の言う『機械』はゴミではない。魔法が計算ミスをするその瞬間に、絶対の精度で動く機械こそが、忍びの最大の武器になるのだから」
3. 第二期生の開講:泥の中の第一講
「……師匠、また賑やかになりそうですね!」
いつの間にか道場の梁の上で逆さ吊りになりながら修行していたカイルが、嬉しそうに身を乗り出した。
ソフィアは困惑しつつも、ツヨシの瞳に宿る、騎士団長ですら持っていなかった「知性の深淵」と、自分を一つの人格として見つめる温かさに圧倒され、深く頭を下げた。
ミーナは、自分を「欠陥品」と呼ばなかったツヨシの言葉を噛みしめるように、置かれたクナイを愛おしそうに撫でている。
「いいか。ここは最強の戦士を作る場所ではない。世界の歪みに押し潰されそうになった君たちが、自分の足で立ち、影から世界を支える『忍び』になるための学び舎だ」
ツヨシは教師時代の快活さを取り戻したように、楽しげに続けた。
「さあ、まずは二人とも、庭の草むしりから始めようか。これは『地遁』の基礎――地面の感触を知るための大切な科目だからな」
「えっ……草むしり、ですか?」
「それも、目隠しをして、周囲の音だけで虫の位置を把握し、一匹も殺さず、かつ音を立てずにだ。……カイル、手本を見せてやりなさい」
「はいっ、師匠!」
王都から追放された「持たざる者」たちが、霧深き里で新たな「知恵」という牙を研ぎ始める。
元教師ツヨシの第二講義は、より賑やかに、そして世界の常識を根底から揺るがすほど過激に幕を開けようとしていた。




