第22話:初めてのおつかい、忍びの作法で
1. 忍びの買い物は、迅速かつ隠密に
「いいかいアニス。これは訓練だ」
ツヨシは、真剣な顔で一枚の紙片を差し出した。
「『忍び』とは、必要な物資を迅速に、かつ目立たず調達できねばならない。隣町の市場まで行って、このリストの食材を揃えてきてくれ」
リストには『ネギ、醤油(風の調味料)、鶏肉、そして今夜の晩酌用の干物』と書かれている。
「あの……師匠。私、足も遅いし、馬車代も持ってないですよ?」
アニスがおどおどと尋ねると、ツヨシはニヤリと笑って彼女の肩を叩いた。
「昨日教えた『空気との同期』。あれを応用するんだ。目的地を強く意識して、景色を『置き去り』にするイメージだ。あと、これを持っていけ。僕の特製だ」
ツヨシが手渡したのは、銀色に輝く奇妙な形の……ただの「台車(ベアリング入りの折りたたみ式)」だった。
「これに荷物を載せれば、重力干渉で重さはゼロになる。行ってらっしゃい」
「は、はい! 行ってきます!」
2. 街道の「怪速」少女
アニスは街道に出た。
普段なら町まで歩いて三時間はかかる。だが、ツヨシに教わった通り、空気の抵抗を「いなす」印を組み、足元に極小の魔力摩擦を発生させてみる。
「……えっ? わわわっ!」
一歩踏み出した瞬間、アニスの体は弾丸のように加速した。
彼女が通った後の街道には、凄まじい風圧で木の葉が舞い上がる。
「速すぎるー! でも、全然疲れない!?」
ツヨシ直伝の『縮地』。
本人は「ちょっと効率的なウォーキングだよ」と言っていたが、実際は慣性の法則を魔法的バグで無視した超高速移動である。
途中で豪華な馬車を追い抜いたが、アニスがあまりに速すぎて、馬車に乗っていた貴族には「黄色い残像が通り過ぎた」ようにしか見えなかった。
3. 市場のパニック:物理法則の崩壊
町に到着したアニスは、ツヨシの教えを守ろうとした。
「(師匠は『目立つな』って言ってた。普通に、普通にお買い物しなきゃ)」
だが、彼女が「台車」に大量の荷物を積み上げた瞬間、市場が静まり返った。
アニスが指一本で、自分の背丈より高く積まれた肉や野菜の樽を、スルスルと軽そうに引いているからだ。
「おい、あの嬢ちゃん……なんだありゃ」
「あの樽、一個で五十キロはあるぞ。それを指先だけで……?」
「重力遮断魔法か!? いや、そんな高度な術の気配はねぇぞ!」
ざわつく周囲をよそに、アニスは最後の難関、晩酌用の『干物』を探していた。
しかし、お目当ての店には行列が。
「(時間がかかると、師匠のおつまみが遅くなっちゃう……。よし、あれを使おう)」
アニスは人混みの影で、そっと指を鳴らした。
ツヨシに教わった『遠当て』の応用——空気の振動を操作して、店主の耳元だけに「すみませーん!」と声を届ける技術だ。
店主は驚いて飛び上がった。
「うわああ! 誰もいないのに耳元で叫ばれた!? 精霊の悪戯か!?」
パニックになった店主は、勢い余ってアニスに一番いい干物をタダ同然で譲ってしまった。
4. 伝説の「黄色い閃光」
帰り道、アニスはさらに調子に乗っていた。
「すごい……師匠の技術があれば、私、なんでもできる気がする!」
ちょうどその頃、街道にはこの地方を荒らしている「黒騎士団」の残党が、通行人を脅していた。
「おい、そこの荷物を持った娘、止まれ!」
賊がアニスの前に立ちふさがる。
アニスはパニックになった。ツヨシからは「争いは避けるように」と言われていたが、足は止まらない。
「ど、どいてくださーい! 止まれないんですー!」
アニスはツヨシの教え通り、台車を盾にして『円の動き』で回避しようとした。
結果として、時速八十キロで突進する銀色の台車が、賊のリーダーの弁慶の泣き所にクリーンヒットした。
「ぎゃああああ! 膝が! 俺の膝が異次元に飛んだぁぁ!」
そのままアニスは、文字通り賊を「なぎ倒しながら」一直線に里へと帰還した。
5. 報告と、平和な晩酌
「ただいま戻りました! 師匠、これ、お土産の干物です!」
夕暮れの里。アニスは少し服を汚しながらも、誇らしげに荷物を広げた。
「お疲れ様。トラブルはなかったかい?」
「はい! ちょっと変な人たちが道を塞いでたので、避けて通るのが大変だったくらいです!」
「そうか。平和が一番だね」
ツヨシはニコニコしながら醤油を受け取り、アニスの頭を撫でた。
その頃、町や街道では「指一本で山を動かし、音もなく消え、騎士団を瞬殺した黄色い死神」の噂で持ちきりになっていたが、世俗に疎いツヨシがそれを知るはずもない。
「さて、カイルたちも呼んで夕飯にしよう。今日はアニスの初任務成功のお祝いだ」
「はいっ、師匠!」
ツヨシの「普通の生活」が、少しずつ、だが確実に世界の均衡を壊し始めていることを、この師弟だけが知らずにいた。




