終話 静かなる王都
裁判から、十日。
王都は、奇妙なほど静かだった。
あまりにも――何事もなかったかのように。
「……落ち着いているな」
城務庁舎の一室で、年配の官吏が思わず呟いた。
「ええ。前よりも」
若い書記は、帳簿から目を離さずに答える。
「高官が、まとめて停職になったというのに?」
官吏の声には、隠しきれない戸惑いが滲んでいた。
「はい」
返事は、あまりに淡々としている。
「ですが、決裁は早くなりました。根回しが、いらなくなりましたから」
一瞬、空気が止まった。
官吏は、机の上に積まれた書類へと視線を落とす。
処理済みの印が、整然と並んでいる。
「……皮肉なものだな」
「ええ」
書記は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「書類の山は、まだ減りませんが」
それは勝者の笑みではない。
ただ、現場が正常に戻ったことへの、静かな安堵だった。
◇◇◇
同刻。
臨時監査室。
「第二陣です」
扉が開き、若い男女が一斉に頭を下げた。
二十代前半。
だが、視線は揺らがず、背筋は自然と伸びている。
オデット・ロジポツ女伯爵は、書類から顔を上げ、静かに立ち上がった。
そして一人一人の前に立ち、丁寧に握手を交わしていく。
「長旅、おつかれさま。伯爵領でのシュミレーション通りでいいわ。今日から入ってもらえる?」
「はい。この一年、準備してきましたので」
若者の一人が、言葉を選びながら付け加える。
「……予算さえ、不足しなければ」
「そこは大丈夫よ」
即答だった。
「搾り取るあてが、あるから」
あざといほど自然な笑み。
だが、その意味を理解できる者だけが、息を呑む。
「“伯爵領、奇跡の復興”が、まぐれでなかったことを、王都でも証明しましょう」
机に置かれた書類を、軽く叩く。
「財務、物流、治安。指示系統は私に直通」
若き官僚たちの背筋が、揃って伸びた。
「代役だなんて、思ってないでしょう?」
誰も否定しなかった。
「筋は通すけど、暴力に訴える相手がいたら……」
背後から、二メートル近い長身のジャイアナが一歩前に出る。
「私に任せるのだ」
「そう、暴力には、それ以上の暴力よ」
オデットは再び微笑む。
声は、あくまで穏やかだ。
「血統じゃない。実力で、国を動かすのよ」
誰も言葉を発しなかった。
だが、その沈黙は、恐れではない。
覚悟が、胸の内で固まった音だった。
◇◇◇
別室。
「……これは、どういうことだ」
ライカイ派の元高官が、震える声で言った。
正面に座る監査官は、感情を一切交えず、書類を読み上げる。
「使途不明金。過去五年分。罰金として、全額徴収」
「ま、待て! それは――」
「さらに」
紙がめくられる。
「管理不全による領地返納。面積、三割」
空気が、完全に凍りついた。
「……な……」
男は、椅子に崩れ落ちる。
命も、爵位も、奪われていない。
だが、金と土地が削り取られていく。
◇◇◇
王宮・軟禁室。
ライカイ侯爵は、報告書を読み終えると、静かに目を閉じた。
(……なるほど)
罰は、確かに軽いと思っていた。
自ら、政権を返上する先手の策が功を成したと、ほくそ笑んでいた。
(だが……)
紙束を机に戻す。
(派閥が、死んでいく)
金。
土地。
人。
「引き継ぎを見越した、甘い罰だったとはな……見事だ」
低く、笑う。
「これでは……どうにもならぬ」
天を仰いだ。
◇◇◇
東宮。
王太子ミサラサは、寝台に身を投げ出していた。
「……女……」
掠れた声。
「女を、呼べ……」
返事はない。
重い沈黙だけが、部屋に沈殿する。
「……くそ……」
爪が、シーツを掴む。
誰かが来れば、まだ救われる。
果てなき依存心が、そこにあった。
満たされている間は、考えずに済んでいた。
空虚も、不安も、責任も。
だが、今は。
欲だけが、ここにある。
満たす手段だけが、失われていた。
◇◇◇
王妃の管轄する北宮の一室。
王都到着と同時に、王妃直属の侍女たちに囲まれ通された場所。
付人の聖騎士たちは、外で待機させられている。
「……一人じゃつまんないじゃん。なんで、こそこそしなきゃいけないのさ」
聖女エリカは、鏡の前に立つ。
映るのは、自分のようで、自分でない顔。
脳裏に響くのは、あの声。
『あの男、飢えておる』
「……王子サマのこと?まだ会ってもいないのに、わかるの?」
『造作もない。聖女のつがいに丁度よい』
「つがいって、彼氏のことよね?なにを根拠に?」
『似ている。悲しいほどに』
鏡の中の女が嗤う。
『濃密なマナ、肥大した欲望、空っぽの中身、張り続ける虚勢』
「……女神サマ、それ悪口?意味わかんない」
『畏れ敬えばよい』
エリカは肩をすくめる。
「今まで外れたことないし、力もらったから信じるけど。もっともっとシアワセにしてよね」
『賢くなるな。
それは、幸福に向かぬ』
◇◇◇
王宮西、禁図書館。
午後。
窓際の席で、メイリーンは紅茶を口にしていた。
焼き色の美しいビスケットを一枚、指先で摘まむ。
「はあ……セシリアのお菓子、やっぱり美味しいわ……」
「ふふ、久しぶりに王都の厨房で作れたの。まだ、ありますよ」
籠を差し出しながら、セシリアは報告を続ける。
前線から舞い戻った諜報班の長。
そして、腕利きのパティシエール。
「戦線、安全圏まで押し返しました。背後に隠蔽されていた魔王級消失の影響ですわ」
「もう、後ろを気にせず前線を上げていけるものね」
メイリーンは、静かに頷く。
「突然、湧いてくる敵に挟撃されながら……よく耐えたものだわ」
カップを置く。
「王都の政治は?」
「オデット伯爵が、綺麗に」
「そう」
微笑む。
「若い官僚の育成、彼女にかなう者はいないわね」
少しだけ、間を置いて。
「次は」
視線が、セシリアへ向く。
「ライカイと、王妃殿下のご実家。神聖国と、そこから送り込まれた聖女」
「仕込みを、お願いできる?」
セシリア・ドゥルセは、微笑んだ。
「すでに神聖国の商会を一つ、秘密裏に買い取りましたわ」
「早いわね」
「王妃殿下と聖女の住まう北宮。
その出入りを、こちらで押さえました」
メイリーンは、紅茶を一口。
「頼もしいわ。これなら、教皇の計画も遠からず止められる」
禁図書館には再び人の気配が戻ってきていた。
低い声の報告。
紙をめくる音。
焼き菓子の甘い匂い。
そして――
「とうっ!ノエル・キック!」
「ぐほっ!これ!年寄りを労わらんかっ!」
静かな王都に、賑やかな禁図書館。
それは、確かな懲罰の上に成り立つ――
揺るぎない安定。
――物語は、静かに王都を後にする。




