第17話 順調という名の異常
王宮、政務室。
机の上に、結果報告書の束が静かに積み上がっていく。
「――以上が、裁判協力者の一覧でございます」
書記官が差し出した書面を、ライカイ侯爵は指先で軽く弾いた。
「男爵家五、子爵家三」
一つ、頷く。
「いずれも、提示条件に異論はありませんでした。すでに目標に達しています」
「……順調すぎる。これで、あの得体の知れない公爵令嬢を仕留められるのか?」
椅子に深く腰掛け、侯爵は天井を仰いだ。
「は?」
「お前たちには、あの娘が只者でないことが分からんのだろうな」
――いつからだ。
王都に、あれが現れてからか。
証拠はない。
だが、手遅れになる前に潰すべきだ。
警戒の色を露わにする侯爵の目。
戸惑う役人たち。
「順調なときほど、念を押すものだ。懸念点を探せ」
「は……いえ、余裕をもって裁判に勝てるだけの賛同者数です。予算も確保し、手配も含めて、すべて問題なく……」
「足りないものは、何だ?」
「あっ……その……」
補佐官は、わずかに声を落として続けた。
「……名門諸侯や、辺境の各武門からは、返答がございません」
「そう、それだ」
侯爵は、ゆっくりと視線を上げる。
「金で動かぬ連中。信用を持つ者たちが味方におらんことが問題だ」
一拍。
口元が、わずかに歪む。
「速やかに補強する」
姉である王妃。
甥の王太子。
王国で最も権威ある肩書は、すでにこちら側にある。
「聖女を裁判に参加させる」
室内の空気が、静かに引き締まった。
机の上。
証言の順序。
裁判の進行案。
侯爵は、それらを改めて確認しようとはしなかった。
「武門の連中が戻る前に決める。聖女の到着日を計算した上で、日程を前倒しせよ」
「はっ」
それ以上、この件が話題に上ることはなかった。
◇◇◇
南部街道沿いの小都市。
昼間から賑わう酒場の一角で、黒髪の聖女エリカは上機嫌だった。
胸元の大きく開いた聖女服に、男性客の視線が集まる。
「これカワイイっしょ」と、エリカは笑う。
若い聖騎士にもたれかかり、頬は酒で赤い。
「ねえ、その歌、もう一回やってよ」
向かいの吟遊詩人が、困ったように笑った。
「何度目だい? 喉が潰れちまうよ」
「大丈夫、大丈夫。アンタ、顔いいし、歌も上手いしさ。ほら、聖女の加護、あげる」
エリカの掲げた杯が、光の粒に包まれる。
「ほら、飲んで飲んで! アタシもまだまだ飲むから!」
周囲の客が、どっと笑い声を上げる。
「さすが、聖女様!我らにも振舞ってくださるとは」
「あははは!酒ならいくらでもあるよ!」
酒場の端で、王都からの使者が頭を抱えていた。
「聖女様……そろそろ、出立の時刻で……。宮廷裁判が……」
エリカは、ちらりと振り返る。
「えー? 今、いいところじゃない。アタシがここで抜けるとか、あり得ない!」
肩をすくめ、杯をあおる。
使者は、それ以上何も言えない。
◇◇◇
とある伯爵領の片隅。
手入れの行き届いた庭園で、ドルド・ロジポツは車椅子に腰掛けていた。
「今日は、風が気持ちいいな」
車椅子の後ろで、美しい妻が穏やかに微笑んでいる。
「本当に。ここは静かで、心が休まりますわ」
ドルドは、満足げに頷いた。
「娘たちに感謝せねばな。厄介ごと全部、引き受けてくれた」
紅茶を、一口啜る。
「命が助かった上に、こうして穏やかに暮らせる。……ろくでなしだった私に、こんな日が来るとは思わなかった」
妻は何も言わず、ただ微笑んでいた。
庭園には、今日も風が通り抜けていく。
◇◇◇
王国北方、辺境伯領。
要塞の上から、ゴードン・シルヴェリス辺境伯は荒野を睥睨していた。
「裁判への参加要請、だと?」
使者の言葉に、辺境伯は鼻を鳴らす。
「戦時中に、くだらん。魔物退治で手一杯だ」
副官が、慎重に言葉を選んだ。
「ですが……ここ一週間、魔物の出現数が、明らかに減っております」
辺境伯は、眉をひそめる。
「……計測は確かか?」
「はい。巡回兵からの報告でも。記録では、三分の一にまで」
副官は、別の書簡を差し出した。
「その件について、白騎士団長セレス様からの書状が届いておりました」
辺境伯は目を走らせ、低く唸る。
「『魔物の餌の供給を断つ活動を開始。討伐実数の報告を求む』……ほう」
視線を、遠くへ投げる。
「増える一方だったものが、減るとはな」
しばし、沈黙。
「……俺が離れても、防衛は回るか?」
副官は、即答した。
「守るだけでしたら、問題ありません」
辺境伯は頷く。
「よし。王都へ行く」
剣の柄に、手を置いた。
「どんな手を使ったのか、直接聞く」
副官は、静かに頭を下げた。
◇◇◇
王都を見下ろす丘に、馬上の影が二つあった。
オデットが息を吸い、視線を禁図書館へ向ける。
「メイ様……どうか、ご無事で」
その隣で、ジャイアナが手綱を引く。
「オデット、行き先はどこなのだ?」
「南街道よ。貢ぎ物の追加手配を済ませたら、そのまま実家へ」
ジャイアナは狐につままれたような顔をする。
「私じゃオデットの考えはよくわからないのだ。でも、ついていくのだ」
姉妹は目で微笑み合う。
馬首が翻る。
二人は静かに、だが迷いなく、王都を離れていった。




