第11話 窓なき馬車
「新しい聖女が来る。部屋を空けておく必要があるからな。お前は家に帰してやる」
ミサラサ王太子は、椅子に深く腰掛けたまま言った。
侍女の方を、見ることすらしない。
「……ありがとうございます」
女は深く頭を下げた。
声が震えた。
ようやく解放される―― 胸の奥が、わずかに軽くなった気がした。
王太子は杯を傾け、気だるげに続ける。
「迎えは用意する。余計な荷は持つな」
「はい……」
女は一歩下がり、静かに退室した。
扉が閉じた直後、影のように控えていた男が前へ出る。
「確認ですが、今の女に未練はございませぬな?」
「あいつには飽きた」
王太子は、興味なさげに答える。
「今後どうしようと口出しはせん。早く行け」
男は一礼し、音もなく姿を消した。
◇◇◇
――禁図書館、観測室。
宙に浮かぶ無数の光の板。
静止しているようでいて、その奥では絶えず情報が流れている。
メイリーンが一歩前に出て、手をかざした。
「東宮……裏門から外へ」
指先が動くと、王都の立体図が浮かび上がる。
その中の一本の通路を、彼女はなぞった。
隣でオデットが頷く。
「はい。普段から、人目を避けるために使われています」
「封鎖は?」
「難しいです。白騎士も諜報班も多くは遠征中。救出を確実にするだけの人手が足りません」
一瞬の沈黙。
「なら――」
白騎士ジャイアナが、迷いなく手を挙げた。
「私が行くのだ」
場の空気が、わずかに張り詰める。
「あっ……お姉さま、それは……」
オデットは言い淀み、二メートル近い姉の巨躯を見上げた。
「……その、物理的に、隠れるのが難しいかと……」
「え?」
ジャイアナは不思議そうに首を傾げる。
「ええ。戦いになれば、あなたに敵う相手はいないけど……今回は尾行よ」
メイリーンが、微笑みつつ言葉を継ぐ。
「女を、どこへ運んでいるのか知る必要があるの」
「うむ……」
腕を組み、唸るジャイアナ。
「そういうのは、あまり得意ではないのだ」
「ええ。だから――」
メイリーンは一息つく。
「消える女たちの救出は、しばらく“セレス”が担当するわ」
わずかに首を振るオデット。
「……危険な任務になります」
「軍師としてのあなたなら、どう判断するかしら?」
メイリーンの問いに、オデットは一瞬、視線を落とした。
「……必要な任務です。セレス様以上の適任は、考えられません」
即答だった。
◇◇◇
夜。
王宮の裏門近く、目立たない通路に一台の馬車が止まっていた。
言われた通り、荷物も持たず、黙って乗り込む王太子の元・侍女。
扉が閉まる。
鍵がかけられ、馬車は動き出した。
――やっと、帰れる。
父と母、弟に会える。
そう思ったのは、最初だけだった。
この馬車、窓がない。
進む方向も、明らかにおかしい。
居住区の実家へ向かうなら、街の声が聞こえるはずだ。
外の音が、ひどく遠い。
血の気が引くのが、はっきりと分かった。
やがて車輪の音が止み、代わりに男たちの声。
「今日の荷物は、王太子の女だぞ」
「どの道、魔物の餌だ」
「その前にどうしようと、変わらんだろう」
(な、なに……?)
乱暴に、扉の鍵を開けようとする音。
(こ、こわい……!)
逃げ場はない。
ガチャン。
鍵が外れる。
扉が――
馬車が、強く揺れた。
外から衝撃音。
「な、なんだ! おま――」
何かが叩き潰されるような鈍い音。
打撃音が続き、短い呻き声が重なる。
沈黙。
扉越しに声がかかる。
「ごめんなさいね。安心していいわ。後片付けが済んだら開けるから、深呼吸して待ってて」
場に似つかわしくない、澄んだ気品のある声。女の人だ。
――助かった。
反射的にそう確信し、しばし待つ。
やがて、扉が外から開いた。
「――お待たせ。大丈夫かしら」
月明かりを浴びて立っていたのは、
白い肌に整った顔立ち、黒い衣をまとった美しい女。
何が起きたのか、正確には分からない。
ただ――この人に助けられた、それだけは分かった。
「あ……ありがとう……ございます」
◇◇◇
その夜から、王都では噂が立ち始める。
数年来、民を不安にさせていた、女や子どもの誘拐。
――戻ってきた者が、いるらしい。
そして――逆に。
犯罪組織の者たちが、跡形もなく消えていくようになったと。




