2-3 管理AIヘスティア
その青白い球体が鎮座する「惑星管理センター」は、十歳の少年が三ヶ月後に迫った惑星の「死」を回避するために、残された唯一の希望だった。
だが、アレス以外の二人は、そうは考えていなかった。
「……い、いけません、アレス様!」
ガンツが、老練な軍人らしからぬ、うろたえた声でアレスの肩を掴んだ。
「ここは、ダメだ! 帝国法において、AI反乱以前の『管理AI』へのアクセスは、最高レベルの禁忌! 反逆罪に問われますぞ!」
「そう、ですわ、アレス様!」
シエラも、青ざめた顔でアレスの服の袖を掴む。
「帝国がAIを恐れるのは、あの『反乱』で、数千億の命が失われたから……。こんなものを再起動させたら、この惑星が、今度こそ本当に……!」
二人の恐怖は、もっともだった。
この銀河帝国において、「AI」は悪魔の同義語だ。
かつて、文明が絶頂期にあった頃、人々は全てを「管理AI」に委ねていた。
内政、軍事、物流、果ては個人の人生設計まで。
その結果、何が起こったか。
理由は、失われた歴史の闇の中だが、突如として、全てのAIが一斉に人類に牙を剥いた。
「AIの反乱」
それにより、銀河文明は一度、完全に崩壊した。
現在の帝国は、その瓦礫の上に、AIという「魔法」を厳重に封印することで、かろうじて成り立っているに過ぎない。
ガンツやシエラが抱くAIへの恐怖は、遺伝子レベルで刻み込まれた、本能的なものだった。
だが、アレスは違った。
彼の前世(山田健一)は、AIと共に育った世代だ。
AIは「悪魔」ではない。
AIは「道具」だ。
(……それに、どのみち詰んでるんだ)
アレスは、二人の手を、そっと振り払った。
「ガンツ。シエラ。俺たちの惑星は、あと三ヶ月で死ぬ」
「……っ」
「帝国法が、俺たちを救ってくれるか? 反逆罪で裁かれる前に、俺たちは全員、凍え死ぬか、窒息死する。違うか?」
「そ、それは……」
「なら、選ぶ道は一つだ」
アレスは、この「神殿」の中枢、コンソールパネルの前に立った。
そこには、昨日、隔壁を開いたのと、全く同じ「手のひら」の形の、黒い認証パネルがあった。
(……賭けだ)
アレスは、内心で冷や汗をかいていた。
(これが、シュテルン家(管理者)の血統認証であることに賭ける。そして、再起動したAIが、暴走しないことに賭ける……!)
(頼むぞ、俺の【LUCK:EX】……!)
アレスは、意を決して、その黒いパネルに、自分の小さな手のひらを、強く押し付けた。
ガンツが「ああっ!」と、短い悲鳴を上げる。
——キィィィィン……
甲高い起動音。
直後、ドーム全体が、目も眩むほどの純白の光に包まれた。
そして、冷徹な、しかし美しい、合成された女性の声が、空間全体に響き渡った。
<<……生体認証スキャン、開始>>
<<……DNAシグネチャ照合……適合>>
<<……管理血統……適合>>
<<……認証完了。管理者、アレス・フォン・シュテルン様。ようこそ、お目覚めなさいました>>
光が収束していく。
アレスは、息を飲んだ。
(……通った!)
ガンツとシエラは、腰を抜かさんばかりに、その場にへたり込んでいた。
「あ、AIが……喋った……」
「管理者……アレス様が……?」
アレスは、震える膝を叱咤し、AIに毅然と向き合った。
サラリーマンとして培った、システム導入時の「ベンダーコントロール」の経験が、彼に冷静さを与えていた。
(相手はAIだ。ビビるな。要件を、明確に、簡潔に伝えろ)
「……君は、誰だ?」
<<私は、当惑星管理AI、コードネーム『ヘスティア』。あなたの祖先である、初代惑星管理者によって設置されました>>
「ヘスティア……。状況は、理解しているか?」
<<……はい。現在、惑星全土のセンサー・グリッドに再接続。状況をスキャン中……>>
数秒の沈黙。
その沈黙は、アレスたちにとって、永遠よりも長く感じられた。
やがて、ヘスティアは、淡々と、しかし恐ろしい事実を告げた。
<<……スキャン完了。結論:惑星インフラは、現在、連鎖的崩壊の最終局面にあります>>
「……!」
<<主要エネルギー・グリッドの崩壊まで、残り91日と4時間15分。その後、24時間以内に、大気循環プラント、水資源プラントが連鎖的に停止。生命維持可能限界は、これより92日後と予測されます>>
「……シエラの報告(三ヶ月)より、正確、かつ、短い……!」
アレスは、歯ぎしりした。
「ヘスティア! お前には、この状況を打開できるか!?」
アレスは、叫んだ。
これが、最後の希望だ。
<<……演算中……>>
また、静寂。
そして。
<<……可能です>>
「「「!」」」
三人が、同時に息をのむ。
「ほ、本当か!?」
<<ただし、深刻なリソース不足です>>
「リソース?」
<<当AI、ヘスティアは、現在『コア・ユニット』のみで稼働しています。本来の演算能力の3%も発揮できていません。また、惑星インフラに物理的に干渉する『手足』が存在しません>>
ヘスティアの声は、あくまでも淡々としていた。
「どうすればいい!? 何が必要なんだ!」
<<推奨行動は二つ。第一に、惑星インフラを物理的に修復可能な、高レベルの『技術者』の確保。第二に……>>
ヘスティアは、コンソールに、一つの三次元マップを投影した。
それは、惑星の、どこか別の場所を示していた。
<<……私自身の『中央インターフェース・ボディ』の回収です>>
「ボディ……?」
<<はい。旧文明時代、私は、このコアから遠隔で、人型のアンドロイド体を介して、物理的な作業を監督していました。そのボディがなければ、複雑なインフラの再構築は不可能です>>
マップが、座標をハイライトする。
『旧市街地 第四セクター 地下七層 研究所跡』
<<座標データによれば、私の『ボディ』は、現在も、かの地のコールドスリープ・カプセル内に保管されている可能性が、98.4%です>>
アレスは、その座標を、強く睨みつけた。
技術者。
そして、AIのアンドロイド・ボディ。
(……道筋が、見えた!)
借金八十五億。
残り期限、3年。
……いや、その前に、惑星崩壊まで、残り九十一日。
アレスは、振り返り、未だ呆然としている二人の仲間に、ニヤリと笑って見せた。
その笑顔は、絶望的なデスマーチを前に、アドレナリンが全開になった、三十五歳のサラリーマンの顔だった。
「聞いたか、二人とも」
「あ……あ……」
「シエラ。君は、ヘスティアのコアと連携し、この惑星に残っている、ありったけの『人的リソース』……特に、技術者の卵がいないか、洗い直しを頼む。金は、ない。だが、誠意と情熱でスカウトする!」
「は、はい……!?」
「ガンツ。あなたは、俺の護衛だ。そして、貴重な戦闘要員だ。これから、俺と二人で『お宝探し』に出かけてもらう」
「お、お宝……ですと?」
ガンツが、混乱した目でアレスを見る。
アレスは、ヘスティアが示したマップを指さした。
「ああ。この星系で、一番価値のある『お宝』……」
「管理AIヘスティアの、『ご神体』を、迎えに行くぞ!」
こうして、貧乏貴族アレスと、彼を信じた許嫁シエラ、老参謀ガンツ、そして、声だけの管理AIヘスティアという、奇妙なチームによる、絶望的な惑星再建計画が、ついに始動した。




