2-2 赤字惑星の惨状と【幸運】
新生シュテルン男爵領の、最初の「戦略会議」は、領主館で唯一、照明が安定している応接室(昨日、債権者たちに占拠された部屋)で開かれた。
上座にはアレス。
その左右を、シエラとガンツが固めている。
「では、シエラ。まずは、現状の報告を」
アレスが、前世の「課長」の顔で会議を進行する。
「……はい」
シエラは、持参したデータ端末を起動し、ホロ・ディスプレイに応接室の壁いっぱいにグラフを投影した。
そこに映し出されたのは、およそ「国家」や「領地」と呼べるレベルを、遥かに下回る惨状だった。
「……これが、シュテルン星系主星の、現状です」
シエラの声は、絶望に震えていた。
「まず、財政。先日の差し押さえにより、星系内の資源惑星からの収益はゼロになりました。現在の収入源は、この主星の住民から徴収する、微々たる住民税のみ。ですが……」
彼女は、グラフの一つを指し示した。
赤い、どこまでも下降していく折れ線グラフ。
「支出が、収入の約五百倍です」
「ご、五百倍……」
アレスは、さすがに眩暈がした。
(前世のクソ案件でも、赤字五百%なんてのは見たことがないぞ……!)
「支出のほとんどは、惑星インフラの維持費です。エネルギー・グリッド、大気浄化プラント、水資源循環システム……これら全てが、数千年前の旧文明時代の遺産であり、ブラックボックス化しています」
ガンツが、腕を組んで唸った。
「……うむ。この星は、古代の管理システムによって、無理やりテラフォーミングされた人工惑星だからな。その『管理』が止まれば、即、死の星になる」
「その通りです」と、シエラが引き継ぐ。
「問題は、その維持管理を行える『技術者』が、惑星内に一人もいないことです」
「……なんだと?」
アレスは、耳を疑った。
「技術の失伝……文明の後退です」
シエラの声は、暗い。
「帝国全体で、この傾向はありますが、辺境は特に顕著です。人々は、旧文明の遺産を『使う』ことはできます。スイッチを押せば、明かりが灯り、水が出る。ですが、それが『なぜ』動くのかを理解し、故障した際に『修理』できる人間が、もういないのです」
「……」
「先代ヘルムート様は、その維持管理のために、帝国中央から高額な技術者ギルドを雇っていました。それが、借金の大きな原因の一つです。ですが、鉱山が枯渇し、支払いが滞ると、彼らは即座に撤退しました」
シエラは、ディスプレイに最後の、そして最も致命的なデータを表示した。
「惑星エネルギー・グリッドの、予測稼働限界。……残り、三ヶ月です」
「三ヶ月……」
「三ヶ月後、惑星全土の電力が停止します。同時に、水も、空気も、食料プラントも、全てが止まります。領民は……」
「……全滅か」
ガンツが、吐き捨てるように言った。
応接室は、墓場のような静寂に包まれた。
八十五億の借金。
3年という期限。
それ以前の問題だった。
この惑星(領地)そのものが、あと三ヶ月で、物理的に「終わる」。
(……詰んだ)
アレス(山田健一)の三十五年のサラリーマン人生が、今度こそ、完全な「詰み」を宣告した。
(どうする? どうすればいい? 技術者がいない。金もない。時間もない。……万策尽きた)
冷や汗が、背中を伝う。
あのハイエナ共に頭を下げて、奴隷になるか?
いや、ダメだ。シエラまで巻き込まれる。
(何か……何か、ないのか! この状況をひっくり返す、起死回生の一手が……!)
前世の記憶。
軍事オタクの知識。
戦略ゲームのセオリー。
(……そうだ。セオリーだ。どんなゲームでも、序盤、詰んだ状況で、必ず『救済措置』があるはずだ!)
(例えば……忘れられた『古代の遺産』とか!)
アレスは、ガタッ、と椅子から立ち上がった。
「シエラ! ガンツ!」
「「は、はい!」」
「この領主館で、一番古い場所はどこだ!? 父上……いや、シュテルン家に代々伝わる、古い文献や、記録が残されている場所は!」
「ふ、古い場所、ですか?」
シエラは、困惑した。
「それなら……地下の、書庫室かと。ですが、あそこはもう何十年も……」
「案内しろ!」
領主館の地下、その最深部。
そこは、ホコリとカビの匂いが充満する、広大な書庫だった。
天井の照明は半分以上が切れ、足元には、電子化される以前の「紙」の書物が、無造作に山積みになっている。
「……ひどい有様だ」
ガンツが、顔をしかめる。
「アレス様、このような場所に、一体何が……」
「『マニュアル』だよ!」
アレスは、咳き込みながら、書物の山に突進した。
「旧文明の、インフラ管理マニュアルだ! あるいは、この惑星の『設計図』でもいい! それさえあれば、修理のヒントが……!」
(頼む! あってくれ……! 俺の【幸運(LUCK)】!)
アレスは、狂ったように書物を漁った。
『シュテルン家 年代記』
『帝国貴族法大全』
『辺境星系 紋章学』
(クソ! クソ! こんな貴族の道楽本ばかり……!)
シエラもガンツも、呆然とアレスの奇行を眺めている。
「アレス様、お気を確かに……」
「うるさい! 俺は正気だ!」
アレスは、一番奥の、ひときわ巨大な本棚に目をつけた。
『銀河帝国 建国史(全千巻)』
(……これか?)
彼は、その中の一冊、『建国史・三百十二巻』に手をかけた。
指に、妙な感触があった。
(……なんだ? この本だけ、やけに……)
彼が、その本を引き抜こうと、力を込めた——その瞬間。
——ゴゴゴゴゴ……!!
「「「!?」」」
地響き。
いや、本棚そのものが、軋む音だった。
「……あ」
アレス(山田健一)の前世の記憶が、即座に状況を理解した。
(耐震強度不足の、違法建築……!)
「危ないっ!!」
アレスが叫ぶと同時、彼が手をかけた巨大な本棚が、バランスを失い、ゆっくりと……そして、凄まじい轟音と共に、前方へと倒壊した。
「「アレス様!!」」
シエラとガンツの悲鳴が響く。
凄まじい量のホコリと、数千冊の書物が雪崩のように床に叩きつけられる。
「ゲホッ! ゴホッ……! ぐ……」
アレスは、奇跡的に、倒れてきた本棚と、隣の本棚との「隙間」に転がり込むことで、圧殺を免れていた。
(死ぬかと思った……! これが、【幸運】……? どこがだ!?)
「アレス様! ご無事ですか!」
ガンツが、本の山をかき分けて駆け寄ってくる。
「ああ……なんとか、な……」
アレスは、そこで言葉を失った。
目の前の光景に、釘付けになった。
本棚が、倒れた。
その、本棚が元々立っていた「壁」。
そこにあるはずの石壁が、剥き出しになっていた。
だが、それは石壁ではなかった。
「……金属……?」
シエラが、呟いた。
そう。
壁紙と、偽装された石材パネルの奥から現れたのは、滑らかな、継ぎ目の一切ない、未知の金属でできた「扉」だった。
いや、それは「隔壁」と呼ぶべき代物だった。
「……隠し通路……」
ガンツが、息をのむ。
「わしは、この館に五十年……。こんなものが、存在したとは……」
アレスは、自分の幸運(?)に感謝した。
(イベントフラグだ! 間違いない! 俺の【LUCK:EX】が、物理的にフラグを叩き折って、道を作ったんだ!)
アレスは、よろよろと立ち上がり、その金属の隔壁に近づいた。
取っ手も、鍵穴もない。
ただ、中央に、小さな、黒いパネルが埋め込まれているだけだ。
「……旧文明の技術だ」
ガンツが、警戒を露わにする。
「アレス様、お触れになっては……」
「いや」
アレスは、ゴクリと唾を飲んだ。
(これは、行くしかない)
彼は、前世の記憶に基づき、その黒いパネルが「生体認証」か「静脈認証」の類だろうと推測した。
彼は、おそるおそる、自分の十歳の、小さな手のひらを、そのパネルに押し当てた。
——ピ、という軽い電子音。
直後、重く、低い駆動音が響き渡った。
プシュー、と圧縮された空気が抜ける音と共に、その巨大な金属の扉が、ゆっくりと横にスライドしていく。
「「……!」」
三人は、息を飲んだ。
扉の向こう側には、暗闇が広がっていた。
ただの暗闇ではない。
ひんやりとした、人工的な、そして何万年も誰も足を踏み入れていない、神聖なまでの「静寂」が、そこにはあった。
暗闇の奥へと続く、長い、長い、下り階段。
「……ガンツ、シエラ」
アレスは、震える声を抑え、言った。
「行くぞ」
「し、しかし……」
「三ヶ月後に、全員で死ぬか。それとも、この先に賭けるか。……俺は、賭ける」
アレスは、携帯用の照明端末(これもまた、旧文明の遺産だ)を起動し、暗闇の階段に、最初の一歩を踏み出した。
階段は、恐ろしく長かった。
体感では、領主館の地下、遥か数百メートルは潜っただろうか。
空気は、不思議なことに、よどんでいなかった。最低限の空調が、今もなお生きている証拠だ。
やがて、階段は終わり、だだっ広い、巨大な空間に出た。
ドーム状の天井。
まるで、古代の神殿のようだ。
そして、その「神殿」の中央に、それは鎮座していた。
青白い、幽玄な光を放つ、巨大な球体。
無数のケーブルとパイプが、その球体と、床下、天井へと接続されている。
球体の手前には、人間が操作するためのものだろうか、一つのコンソールパネルが、静かに眠っていた。
「……ここ、は……」
シエラが、神聖なものを見るかのように、呟いた。
「……帝国法で禁忌とされる……『旧文明(AI反乱前)』の……」
ガンツの声が、恐怖に震えている。
「……惑星管理センター……」
アレスは、確信した。
これこそが、この惑星のインフラ全てを、かつて統括していた「中枢」だと。
これこそが、自分の探していた「マニュアル」であり、「設計図」であり、そして……
「……『希望』だ」




