1-3 悪魔の契約と残された資産
応接室が、シン、と静まり返った。
債権者団の三人は、今、目の前の十歳の少年が何を言ったのか、即座には理解できなかった。
「……返済、する? 君が? この借金を?」
レグルスが、まるで出来の悪いジョークを聞いたかのような顔で問い返す。
「ええ。必ず」
アレスは、その冷徹な目を一切揺らがせることなく、断言した。
その態度は、虚勢や子供の強がりとは、明らかに異質だった。
それは、幾多の無理難題を「何とかします」の一言で引き受け、実際に(物理的に死ぬ寸前まで働いて)何とかしてきた、日本のサラリーマンの「覚悟」の目だった。
「シャシャシャ……! こいつは傑作だ! 坊や、夢でも見てるのかね?」
ギドが、下品な笑い声を再び響かせる。
「どうやって返すんだい? そのオンボロの『アルゴス』とやらで、宇宙海賊でも始めるってか? ああ?」
「返済計画については、現在精査中です」
アレスは、前世で培った「それっぽいビジネス用語」で応じた。
「まずは、この主星に残された資産……すなわち、インフラの再整備と、人的リソースの最適化を図ります」
「は……? じんてきリソース?」
バルガスが、意味の分からない単語に眉をひそめる。
「その上で、新たなキャッシュフローを構築し、返済原資に充てる所存です。つきましては、皆様には、返済のリスケジュール……すなわち、返済期限の猶予をいただきたい」
「……!」
レグルスの目が、カッと見開かれた。
こいつは、ハッタリじゃない。
この十歳の子供は、本気で「交渉」をしてきている。
(馬鹿な……!? さっきまで、父親が死んでメソメソと泣いていただけのガキが……!)
アレス(中身・山田健一)は、内心で冷や汗をかいていた。
(……ヤバい。完全にテンパってる)
(だが、ここで引いたら食い殺される! サラリーマン根性だ! とにかく、時間稼ぎをする!)
前世の記憶が、彼に「交渉術」のイロハを叩き込む。
相手がどれほど強大でも、こちらに「カード」が一切なくても、やることは一つ。
「相手のメリット」を提示し、「こちらが主導権を握っている」かのように振る舞うことだ。
「皆様」
アレスは、小さな手をテーブルの上で組んだ。
「あなた方の目的は、債権の回収ですよね? 私をここで破産させ、この不毛の惑星を差し押さえたところで、あなた方の損失が確定するだけだ。違いますか?」
「ぐ……っ」
レグルスが言葉に詰まる。まさに、図星だった。
「ですが、もし、私がこの星系を『立て直した』としたら? もし、この星系が莫大な利益を生む『金のなる木』になったとしたら?」
「……馬鹿馬鹿しい。夢物語を」
「夢物語かどうかは、結果が示します。私が皆様に提案したいのは、『投資』です」
アレスは、あえて不敵な笑みを浮かべた。
「私に、時間を投資していただきたい。そうすれば、皆様は、元本どころか、莫大な利息すら手に入れることができるかもしれない」
「……」
債権者たちは、黙り込んだ。
あまりにも突拍子もない提案。
だが、彼らの脳裏にも、一つの計算が働いていた。
(……確かに、このガキを潰しても、一銭にもならん)
(だが、万が一……いや、億が一にも、このガキが何か「隠し玉」……例えば、旧文明の遺産でも掘り当てたら?)
辺境とは、そういう場所だ。
文明の後退によって忘れ去られた「何か」が、時折、とんでもない価値を生み出すことがある。
(このガキの、妙な落ち着きよう……。あるいは……?)
「……よろしいでしょう」
沈黙を破ったのは、レグルスだった。
「面白い。あなたのその『夢物語』に乗って差し上げましょう」
彼はデータ端末を操作する。
「ただし、条件がある。期限は、3年だ」
「3年……?」
「3年後の今日。それまでに、我々が納得できるだけの『再建の兆し』……具体的な利益を示していただく。それができなければ、その時は……」
レグルスは、冷酷な目でアレスを射抜いた。
「この主星の統治権、ならびに、あなたの許嫁殿も含めた、全動産を差し押さえさせていただきます。奴隷として売り飛ばしても、債権の足しにはなるでしょうからな」
「……!!」
その言葉に、アレスの後ろにいたシエラの体が、氷ついた。
(私を……奴隷に……!?)
なんという理不尽。なんという横暴。
だが、それが帝国の法であり、辺境の現実だった。
「……結構です」
アレスは、即答した。
「3年。3年後に、必ずや結果をお見せしましょう」
「フン……威勢がいいことで」
バルガスが、唾を吐き捨てるように言った。
「では、契約成立ですな。レグルス殿、法的な手続きを」
「承知いたしました」
データ端末が、アレスの前に差し出される。
電子契約書。
『債務返済猶予契約(3年間)』。ただし、違約の場合は全資産(人的資産を含む)の即時差し押さえを認める、という悪魔的な条項付きだ。
アレスは、迷わなかった。
(ここでサインしなければ、今、この場で全てが終わる)
(3年……3年あれば、何とかなる! いや、何とかするんだ!)
彼は、震える指を抑えつけ、サインパネルに「アレス・フォン・シュテルン」と、幼い文字で署名した。
「シャシャシャ……! ご契約、ありがとうございやす!」
「では、3年後を楽しみにしておりますぞ、男爵“閣下”」
目的を果たした債権者たちは、もはや用はないとばかりに、高笑いを残して応接室から出て行った。
嵐のような訪問だった。
バタン、と扉が閉まる。
応接室には、再び静寂が戻った。
だが、それは葬儀の時とは比較にならないほど、重く、冷たい静寂だった。
「…………」
「…………」
アレスとシエラは、どちらも言葉を発することができなかった。
シエラは、ただ、ワナワナと震えていた。
絶望。
恐怖。
そして、訳の分からないまま、自分の運命が「奴隷」という最悪の結末と天秤にかけられたことへの、怒り。
彼女は、アレスを睨みつけた。
「……どういう、ことですか」
かろうじて、絞り出す。
「どうして……あんな契約に、サインを……! 私まで巻き込んで……!」
責めるような、あるいは、泣き出す寸前のような声だった。
アレスは、ゆっくりと椅子から立ち上がり、彼女に向き直った。
その顔には、もうサラリーマンの「仮面」はなかった。
あるのは、十歳の少年の体に不釣り合いなほどの、深い、深い疲労の色だった。
「……すまない」
彼は、深く頭を下げた。
「君を巻き込むつもりは、毛頭なかった。だが、あれ以外の選択肢が、俺には……私には、なかったんだ」
「……っ」
「シエラ嬢。君は、悪くない。すぐに実家に連絡して、婚約の破棄を申し出るといい。こんな『詰んでる』家の許嫁でいる必要は、万に一つもない」
アレスは、淡々と事実を告げた。
それが、彼にできる唯一の「誠意」だった。
シエラは、息を呑んだ。
彼女も、そうするつもりだった。
父からも、葬儀が終わり次第、即刻帰還せよと厳命されている。
こんな借金まみれの赤字惑星の男爵家に嫁ぐなど、狂気の沙汰だ。
一刻も早く、自分の船に戻り、この呪われた星系から脱出しなければ。
そう、頭では分かっていた。
分かっていた、はずなのに。
「…………」
シエラの足は、なぜか動かなかった。
彼女は、目の前の少年を、まじまじと見つめた。
十歳の子供。
数時間前まで、父の死に泣きそうになっていた、か弱い少年。
それが今、どうだ。
天文学的な借金を背負わされ、全資産を奪われ、あげく一年という無茶な期限を突きつけられた。
それなのに。
その目は、絶望に染まっていなかった。
(……なんで、そんなに落ち着いているの?)
不思議だった。
常識的に考えて、あり得ない。
この状況で、破産宣告もせず、逃げ出しもせず、ましてや「返済する」などと宣言する。
そして、自分に対しては「逃げろ」と言う。
(この人……さっきまでのアレス様と、本当に同じ人……?)
まるで、中身だけが別の人間に、それも、とんでもない修羅場をくぐり抜けてきた「大人」に入れ替わってしまったかのようだ。
ピン、とシエラの懐で、通信端末が鳴った。
見なくても分かる。実家の父からだ。「何をぐずぐずしている」「今すぐ帰ってこい」という、催促の通信に決まっている。
彼女は、その通信端末を、しかし、取り出さなかった。
「……アレス様」
「なんだろうか」
「あなたは……本気で、3年で、この星系を立て直せると?」
「……ああ」
アレスは、窓の外に広がる、寂れた領都の風景を見つめながら答えた。
「確証はない。だが、やるしかない」
「……」
「俺には、前世……いや、なんでもない。俺には、知識がある。この、停滞し、後退した帝国の連中が忘れてしまった、『戦術』と『戦略』の知識が」
「せんじゅつ……?」
「そして、幸いなことに、この星にはまだ『資産』が残っている」
アレスは、債権者たちが出て行った扉を睨みつけた。
「彼らが、価値がないと判断した、二つの資産が」
「二つ……?」
「ああ」
アレスは、不敵に、しかしどこか楽しそうに、笑った。
「インフラ崩壊寸前の『赤字惑星』と……旧式すぎるオンボロ船、『アルゴス』だ」
その笑顔は、十歳の少年のものではなかった。
絶望的な状況を前にして、なぜか燃えてしまう、軍事オタク(マニア)で戦略ゲーマーの、それだった。
シエラは、ゴクリと唾を飲んだ。
(……ダメだわ)
(この人から、目が離せない)
父の命令も、奴隷の恐怖も、一瞬だけ、彼女の頭から吹き飛んでいた。
彼女は、自分の人生で、こんなにも「面白い」と感じる人間に、出会ったことがなかったのだから。
こうして、辺境の赤字惑星を相続した貧乏貴族アレス(十歳、中身三十五歳軍オタサラリーマン)の、絶望的すぎる領地経営が、幕を開けた。




