8-2 幸運(LUCK)の強制ワープ
『アラクネの巣』の最深部、『闇』に突入してから、どれほどの時間が、経過しただろうか。
『アルゴス』のブリッジは、もはや、「嵐」というよりも、「地獄」の様相を呈していた。
ガゴンッ! ズガガガガッ!
「——きゃあああっ!」
「——ぐっ!」
凄まじい衝撃が、断続的に、艦を襲う。
シエラが、通信席から、転げ落ちそうになるのを、アレスの背後に控えていた、ゼクスが、その、強靭な、獣人の腕で、間一髪、支えきった。
「……シエラ様、お下がりください! ここは、危険です!」
「だ、ですが……!」
「——アレス様! 左舷シールド、ゼロ! 完全に、消失!」
ガンツが、悲鳴のような報告を上げる。
「第二装甲に、亀裂! ……空気が、漏れますぞ!」
「——うるさい、ジイさん!」
操舵席のレナが、叫んだ。
その顔は、極度の疲労で、青白くなっている。
「……ミミ(ネコ)の、センサーも、死んだ! ……レナ(アタシ)の、勘も、もう、限界だ!」
彼女の、Sクラスの、神がかった、操縦技術をもってしても、この、予測不能な、デブリの、豪雨は、捌ききれなくなっていた。
(……ここまで、か……!)
アレスは、奥歯を、噛みしめた。
(……【幸運(LUCK:EX)】……。……肝心な、時に、発動しないのが、お約束、かよ……!)
(……すまない、シエラ……。みんな……)
アレスが、三十五歳の、サラリーマンとして、この、絶望的な「プロジェクト」の、失敗を、覚悟した、——その、瞬間。
「——管理者様」
ブリッジに、涼やかな、声が、響いた。
惑星から、ヘスティアの、緊急通信だった。
「……ヘスティア!? 無事だったか!」
「——ニャ、ニャアアアア! アレス(だんなさま)!」
ミミの、絶叫が、それに、続いた。
『……センサーが、復活したニャ! ……いや、違う! ……何かが、センサーに、無理やり、割り込んできたニャ!』
「……なんだと!?」
アレスは、メインスクリーンに、目を、戻した。
そこには、信じられない、光景が、映し出されていた。
『闇』。
アステロイドの、嵐。
その、ど真ん中。
全ての、アステロイドが、まるで、そこだけを、避けるかのように、ぽっかりと、口を、開けている、巨大な「穴」。
いや、それは、「穴」ではなかった。
空間、そのものが、あり得ない、密度で、歪み、渦を、巻いていた。
「……な、なんだよ……あれは……」
レナが、その、あまりの、異様な、光景に、呆然と、呟く。
「……重力、の、お化け……?」
<<……管理者様>>
ヘスティアの、声が、震えているように、聞こえた。
<<……理解、不能です。……観測されている、重力異常の、数値が、私の、データベースの、理論上の、最大値を、遥かに、振り切っています……!>>
「……まさか……」
アレスは、ゴクリと、唾を、飲んだ。
(……ブラックホール……? いや、違う……!)
(……これは……!)
彼の、【超弩級の幸運(LUCK:EX)】が、魂の、奥底で、叫んでいた。
——「あれが、『答え』だ」と。
「——レナ!」
アレスが、叫んだ。
「あの、『穴』に、突っ込め!」
「——はあ!?」
レナが、今度こそ、本気で、アレスを、狂人を見る、目で、振り返った。
「……坊や、正気か!? ……あれが、何かも、分からねえんだぞ! ……突っ込んだら、艦ごと、原子レベルで、プレスされるのが、オチだ!」
「……いいから、行け!」
アレスは、叫び返した。
「……俺の、『幸運(LUCK)』が、あそこへ、行けと、言っている!」
「……っ! この、ギャンブラー!」
レナは、しかし、その、目を、猛獣のように、輝かせた。
「……ああ、最高だ! ……どうせ、死ぬなら、派手な方が、いい!」
彼女は、ボロボロになった『アルゴス』の、最後の、推進剤を、振り絞り、その、得体の知れない、「重力の、渦」へと、艦首を、向けた。
『——ダメだニャ! 吸い込まれる! 制御、不能ニャ!』
ミミの、悲鳴。
「——全員、衝撃に、備えろ!」
アレスの、絶叫。
『アルゴス』は、もはや、レナの、操縦をも、振り切り、その、巨大な、重力の、渦の、中心へと、凄まじい、勢いで、吸い込まれて、いった。
視界が、白く、染まる。
艦が、あり得ない、力で、捻じ切れそうになる。
(……これが、俺の、最期、か……)
アレスは、遠のいていく、意識の、中で、シエラの、手を、強く、握りしめていた。
——そして。
全ての、振動と、音が、まるで、嘘のように、消え去った。
「…………」
「…………う……」
アレスは、ゆっくりと、目を開けた。
ブリッジは、静まり返っていた。
あれほど、激しかった、衝撃は、ない。
「……生きて、る……?」
シエラが、かすれた、声を、出した。
「……みたい、だね」
レナが、操舵席で、呆然と、していた。
「……嘘だろ……。アタシの、『クリムゾン・ウィング』隊も……四機、無事だ……。……あの、中破した、二機までもが、一緒に、こっちに、転移してやがる……」
「……アレス様」
ガンツが、震える、指で、メインスクリーンを、指さした。
「……外を……。これは、いったい……」
アレスは、息を、のんだ。
そこは、『アラクネの巣』の、混沌とは、無縁の、完璧な、静寂の、宇宙だった。
だが、その、星系は、アレスが、知る、どの、星系とも、異なっていた。
若々しい、青白い、恒星。
そして、その、恒星の、光を、浴びて、鈍く、輝いている、あり得ない、光景。
「……リング……?」
アレスは、呟いた。
惑星が、あった。
だが、その、惑星の、赤道上を、ぐるりと、取り囲むように、超巨大な、金属製の、「リング」が、建造されていた。
いや、それは、リングと、呼ぶには、あまりにも、巨大すぎた。
まるで、旧文明の、神々が、戯れに、作り上げたかのような、超巨大な、人工建造物。
「……なん、だよ……あれ……」
レナが、その、Sクラスの、プライドも、何もかも、忘れて、子供のように、呟いた。
「……ヘスティア……」
アレスは、かろうじて、惑星の、AIに、呼びかけた。
<<…………>>
返事が、ない。
「……シエラ! ヘスティアとの、通信は!?」
「……だ、ダメです! ……完全に、途絶! ……ここは、シュテルン星系では、ありません! ……我々は、完全に、未知の、宙域に……!」
絶望的な、報告。
だが、その、絶望を、打ち消すかのように、ブリッジの、通信パネルが、独りでに、起動した。
ピー、という、澄んだ、発信音。
<<——……>>
<<——……>>
<<……信号ヲ、受信。……旧文明ノ、識別コード(アイディー)ヲ、検知>>
<<……ヨウコソ、……『来訪者』ヨ>>
それは、ヘスティアとは、全く、異なる、別の、AIの、声だった。
<<……当施設ハ、……『古代文明管理区域・ゼロ』……>>
<<……ソノ、『鍵』ヲ、持ツ、者ノ、来訪ヲ、待チ続ケテイタ……>>
「……鍵……?」
アレスは、呟いた。
「……『アルゴス』が、反応している……?」
レナが、操舵コンソールの、異変に、気付いた。
父の、形見の、オンボロ船『アルゴス』。
その、旧式の、OSが、目の前の、超巨大リングと、勝手に、交信を、開始していた。
(……これが……)
(……俺の、【LUCK:EX】が、導いた、『答え』……!)
アレスは、ゴクリと、唾を、飲んだ。
「……全艦、最大警戒」
アレスは、指揮官として、未知の、「お宝」を、前に、命じた。
「……あの、リングに、ドッキングする。……これが、『新しい、航路』だ」




