4-2 鋼鉄の聖女とスラムの天才
領主館の地下へと続くダクトよりも、さらに狭く、カビ臭い暗闇の通路。
旧市街地の地下深くに、これほど広大な施設が今もなお「生きていた」とは、ガンツでさえ想像だにしなかったことだった。
「……空気が、生きている」
防護服のフィルター越しに、ガンツが驚愕の声を漏らした。
「……ああ。ヘスティアの『コア』が眠っていた、あの『神殿』とは全く別系統の、独立した生命維持システムだ」
アレスは、携帯端末のライトで壁を走る幾何学模様のケーブルを照らしながら答えた。
(……旧文明の連中、どんだけ金と技術を注ぎ込んでんだ……。採算度外視もいいところだ)
その道楽ぶりは、父ヘルムートの『アルゴス』趣味にも通じるものがあった。
やがてダクトは終わり、一行は広い金属製の通路へと降り立った。
照明は死んでいる。
だが、アレスの持つ「管理者権限」に、通路の奥深くが微弱に反応していた。
「……こっちだ」
アレスが先頭に立つ。
数分歩いたところで、一行の前に巨大な鋼鉄の「隔壁」が立ち塞がった。
『神殿』の入り口で見たものと同規格の扉。
だが、その中央の認証パネルは、警告を示す赤い光をゆっくりと点滅させていた。
<<警告。警告。当施設は、レベル5の、生物汚染隔離区域です>>
<<権限のない者の侵入を、固く禁じ……>>
「「「!?」」」
ガンツと護衛兵たちが、一斉にブラスター(光線銃)を構えた。
「……生物汚染!? アレス様、退避を!」
「……いや、待て」
アレスは冷静だった。
(……ヘスティアが、俺たちをそんな危険な場所に誘導するはずがない)
(……これは、おそらく、旧文明が崩壊するその瞬間に発令された、ハッタリの警告だ)
アレスは、ためらうことなく、その赤く点滅する認証パネルに、自分の小さな手のひらを押し当てた。
<<……生体認証スキャン……>>
<<……警告。汚染区域への、強行アクセス……>>
<<……DNAシグネチャ照合……適合>>
<<……管理者、アレス・フォン・シュテルン様。……ようこそ>>
警告音がぴたりと止んだ。
重厚な駆動音と共に、鋼鉄の扉がゆっくりと開いていく。
「「「…………」」」
ガンツと護衛兵たちは、またしても目の前で起きた「奇跡」に、ただ息をのむことしかできなかった。
(……この『管理者権限』、本当に万能すぎだろ……。前世のどんなクソ案件よりも、認証がガバガバだぞ……)
アレスは自分のチートに感謝しつつも、その「大雑把さ」に一抹の不安を禁じ得なかった。
扉の向こう側は、巨大なドーム状の部屋だった。
『神殿』よりもさらに広く、そして不気味なほどに清潔な空間。
部屋の中央には、何本ものアームやケーブルが接続された、巨大な円筒形の「カプセル」が鎮座していた。
カプセルは、淡い青白い未知の液体で満たされている。
そして、その液体の中。
まるで胎児のように、静かに眠っていたのは——
「…………」
アレスは、ゴクリと唾を飲んだ。
絹のような、銀色の長い髪。
非の打ち所のない、完璧な造形の、美しい女性。
……彼女は、衣服を何一つ身に着けていなかった。
「……これが、ヘスティアの、『ボディ』……」
(……うわぁ……。前世のゲームで、MODを入れまくったCGかよ……)
(……いや、これはもはや芸術品だ。……旧文明、恐るべし……)
十歳の(中身三十五歳の)アレスは、目のやり場に困り、慌てて視線をそらした。
「……ご、ゴホン!」
ガンツも、さすがにその、あまりにも「神聖」な、あるいは「冒涜的」な光景に狼狽し、咳払いをした。
アレスは意を決して、カプセルの前に設置された制御コンソールへと歩み寄った。
(……やるしかない)
彼は、コンソールの「起動」パネルに手を触れた。
「……管理者権限にて、命令する。コードネーム『ヘスティア』」
「……中央インターフェース・ボディの、再起動を許可する」
——プシューーーッ!
アレスの言葉がトリガーとなった。
甲高い空気の抜ける音と共に、カプセルを満たしていた青白い液体が、一瞬にして排出されていく。
——カシュン。
カプセルのガラス管が静かに上にスライドした。
その、アンドロイドの女性が、ゆっくりと、その完璧なまでに造られた瞼を開いた。
彼女の瞳は、地下神殿の『コア』と同じ、冷徹な、しかし吸い込まれそうなほど美しい、青白い光を宿していた。
アンドロイドは、完璧な、音一つしない動作でカプセルから一歩を踏み出した。
その白磁のような裸身が、アレスたちの前に晒される。
(……うわっ! ま、まずい!)
アレスが慌てて目を閉じようとした、その瞬間。
彼女の滑らかな肌の上を、光の粒子のようなナノマシン(?)が走った。
光は瞬く間に彼女の全身を包み込み、一瞬後にはシンプルな白いワンピースへと変わっていた。
(……なるほど。光学迷彩兼、簡易装甲か……。旧文明、技術の無駄遣い……)
アレスが感心と安堵のため息をついていると。
その「彼女」は、アレスの正面に進み出て、まるでバレリーナのように優雅に、帝国式の完璧なカーテシー(礼)をとった。
<<……中央インターフェース・ボディへの、AIコア転送、完了。システム、オールグリーン>>
その声は、紛れもなく地下神殿で聞いた、あの「合成音声」だった。
だが、目の前の完璧な美貌を持つ「彼女」の、桜色の唇からそれが発せられると、恐ろしいほどの「生命感」と「威圧感」を持って響いた。
<<——管理AIヘスティア。これより、管理者アレス・フォン・シュテルンの、物理的サポートを開始します>>
「……あ、ああ。よろしく、頼む。ヘスティア」
アレスは、その人間ならざる「美」に圧倒されながらも、なんとか言葉を返した。
ガンツと護衛兵たちは、ただ呆然と、その「鋼鉄の聖女」の受肉の瞬間を見つめていることしかできなかった。
……同時刻。
領都スラム街『錆の底』。
シエラは、貴族の娘として生まれて初めて足を踏み入れる、そのあまりの惨状に顔を青くしていた。
錆びた金属板で無秩序に組み上げられたバラック小屋。
漂う汚水と、正体不明の化学薬品の悪臭。
(……ひどい……。これが、アレス様が治めるべき、領民の街……)
彼女は、貴族のドレスの裾が汚れるのも構わず、老執事ゼバスの心配そうな護衛を受けながら、ヘスティアが示した座標……一軒のガラクタ屋の前へとたどり着いた。
「……ここ、ですわね」
店の奥……というより、ガラクタの山の中から、何かがガサゴソと動く気配がした。
「……ニャにやってんだ、お貴族様が!」
ガラクタの山からひょっこりと顔を出したのは、油とススで真っ黒に汚れた、小さな少女だった。
歳の頃は、アレスと同じ十歳か、そこそこか。
だが、その頭にはピクピクと動く猫の耳が生えていた。
猫型異星人……獣人の少女。
「こんな臭いとこ、来る場所じゃニャいぞ! さっさと帰った、帰った!」
少女……ミミは、貴族を心の底から警戒し、信用していないという鋭い目つきで、シエラを睨みつけた。
シエラは、一瞬、そのあまりの「場違い」な空気に怯みそうになった。
(……ダメ! アレス様に任された、初めての『仕事』……!)
シエラは、貴族の令嬢としてのなけなしのプライドを全てかなぐり捨てた。
彼女はミミの前に進み出ると、その汚れたドレスのまま、深く、深く頭を下げた。
「……っ!? ニャ、ニャにを……!?」
ミミが、貴族のあり得ない行動にギョッとする。
「……ミミ、さん。ですね? わたくし、アレス・フォン・シュテルン男爵閣下の、第一秘書官を務めております、シエラと申します」
「……あ、アレス……? あの、『神童』の……?」
ミミの警戒の色が、ほんの少しだけ和らいだ。スラムにまで、アレスの噂は届いていた。
「……はい。本日は、あなたをスカウトしに参りました」
「スカウトだぁ? ニャにを? この、あたしを? ガラクタ集めでもさせる気かニャ?」
ミミは、フン、と鼻を鳴らした。
彼女は、その「獣人」という生まれと、「感覚だけで機械をいじれる」という奇妙な才能のせいで、これまで何度も大人たちに騙され、利用され、酷い目に遭ってきたのだ。
シエラは、そんな彼女の心の壁を感じ取りながらも、アレスから、そしてヘスティアから託された「切り札」を取り出した。
データパッド(端末)だった。
「……これを、ご覧ください」
シエラは、ミミの目の前にその画面を突きつけた。
そこには、ミミがこのスラムのガラクタだけを組み合わせて、秘密裏に作り上げていた、旧文明規格の「通信増幅器」の設計図……ミミが自分の「感覚」だけで描きなぐっていたメモが、完璧にトレースされて表示されていた。
「……っ!?」
ミミの大きな猫の目が、これ以上ないほど見開かれた。
「ニャ、ニャんで……!? あたしの、秘密の……! まさか、盗んだのかニャ!?」
「いいえ、違います!」
シエラは強く首を横に振った。
「……あなたには、『才能』があります。……それは、この惑星の誰もが失ってしまった、『旧文明の技術を理解できる』という、奇跡的な才能です」
「……さ、才能……? あたしの、これが……?」
ミミは、自分の油で真っ黒になった手を見つめた。
「……はい。わたくしたちは今、この惑星を立て直さなければなりません。ですが、わたくしにも、アレス様にも、その『技術』がない」
シエラは一歩踏み込んだ。
彼女は、アレスが自分にしてくれたように、相手の心の、一番奥に届くように言葉を紡いだ。
「……あなたにお願いしたいのです。……あなたを、シュテルン男爵領の、『開発工廠長』として、正式にお迎えしたい」
「……こ、こうしょうちょー……?」
ミミが、呆然と、その聞き慣れない大層な「肩書き」を反芻する。
「……アレス様が海賊から鹵獲した全ての資材を投じて、今、宇宙港に、あなた専用の『ラボ(研究所)』を建設しています。……この星で一番すごい設備を用意すると、アレス様は約束されました!」
「……あたし、専用の……ラボ……?」
ミミの大きな瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
油とススで汚れた頬に、涙の筋がくっきりと描かれていく。
生まれて初めてだった。
自分の、この「訳のわからない、感覚」を、誰かが「才能」と呼んでくれたのは。
自分を、「ガラクタ拾い」や「気味の悪い獣人」としてではなく、「技術者」として、心の底から「必要だ」と言ってくれたのは。
「……う……う……ニャ……」
ミミは、その場にへたり込み、子供のように声を上げて泣いた。
シエラは、そんなミミの前にそっとしゃがみ込むと、自分の高価なレースのハンカチが汚れるのも構わずに、ミミの涙と油を優しく拭ってやった。
「……お願いします。あなたの、その『力』を、私たちに……いいえ、この星の未来に、貸してください」
「……うニャ……」
ミミは、何度も、何度も頷いた。
「……わかった、ニャ……! やる! やってやる、ニャ!」
「……あたし、アレス様のラボで、世界一の『魔改造』をしてやるニャ!」
シエラは、この時、知らず識らずのうちに、アレス(サラリーマン)の交渉術の真髄……「相手の承認欲求を満たし、Win-Winの関係を築く」という、高等テクニックを完璧に実践していた。
こうして、惑星再建の二つの鍵。
「鋼鉄の聖女」となった最強の「頭脳(AI)」と。
「スラムの天才」という最高の「技術」が、アレスの旗の下に集うこととなった。




