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知らぬは彼ばかり

 朝もやの漂う森の中を、ユキは沈んだ気分で歩いていた。

 

 (たしかに、おれは不純だ……)


 ハクロに「儀式」を軽視するなと言ったことが、自分自身に跳ね返っていた。

 ユキは、決して儀式を軽んじているつもりはない。それでも、ソンロウへの恋心があり、自分の為に婿を選んだことは事実だった。


「――えい!」


 ユキは、バチンと音を立てて自分の頬を叩く。


「今さらじゃないかっ。それでも、おれはソンロウ先生が良かったんだから」


 ソンロウを指名したときから、わかっていたことだ。この婿入りは、全てユキのエゴなのだと。

 

 (いちばん愛する人に嫌われる危険を冒してるんだ! ハクロの野郎に嘲られるくらい、どうってことないさ)


 そう開き直ると、足取りが軽くなる。てふてふと大股に歩いていたユキは、ふと足を止めた。


「――」


 白い耳がピクリと動く。――白い空のどこかで、キイキイと鳥が囀り飛んでいくのを捉えていた。


「やっ!」


 ユキは空に向かい、小刀を鋭く放つ。

 数瞬の後、数歩離れた大地に丸々太った鳥が、ぼとぼとと落ちてくる。三羽すべてに、小刀が見事に刺さっていた。


「わあ、美味そうな鳥だなあ」


 ユキは仕留めた獲物をみて、目を輝かせる。一見、普通の鳩だが、翼が六枚あるそいつは、魔鳥の一種だ。森で共生している鳥たちを脅かすため、白狼たちは彼らを狩り、食料にする。

 ユキはさっと羽をむしり処理をすませてしまうと、背に負っていた袋にしまった。家で腹を空かせているだろう、家族の朝食にするのだ。


「どうしようかな。まず甘辛く炊いて……よく太ってるから、丸焼きもいいかな」


 鼻歌を歌いながら、ずっしり重い袋を背負う。愛しい家族に食事を振舞うのは、狼にとって大きな喜びなのだ。


「そうだっ」


 ユキの心に、ソンロウの顔が浮かんだ。

 ソンロウは、今朝も鍛錬場に向かい、鍛錬をするはずだ。そこに弁当を差し入れるというのはどうだろう。いかにも番らしいではないか。


「ふふふ……番らしいところ、さっそく見せてあげますよ、先生!」


 ユキは意気込んで、住処へと駆けだした。


 *


 朝餉の支度を終え、ユキは鍛錬場に向かう。腕を焦がしそうなほど熱い包みからは、甘く香ばしい匂いが漂っている。


「先生は、もういらっしゃるだろうか?」


 独り言ち、鍛錬場のある村の外れまで行くと、威勢の良い掛け声が届いてきた。


「――だあっ!」

「とう!」


 狼たちの気合の声と、拳を合わせる鈍い音、地を踏む音が響いている。

 鍛錬場は、四方が切り立った岩場になった広い平地である。岩場の上には、若い狼たちがしゃがみ込み、広場の中央で睨み合う二頭の狼に、ヤジを飛ばしていた。


「おらおら、いつもの威勢はどうしたロウジ!」

「ソンロウ殿相手に、びびってんのか!?」


 やいやいと騒ぎ立てる周囲に、年若い方の狼、ロウジが荒く怒鳴り返す。


「うるせえ野次馬ども! 黙って見てやがれ!」


 重心を低く構えるその横顔は、滝のような汗が伝っている。彼に対する狼――ソンロウは、ゆったりとした構えを崩さない。汗ひとつかかず、笑みさえ浮かべている。


 (へえ。ロウジとソンロウ先生が、組み手をしているのか!)


 ユキは岩の頂上から広間を見渡し、目を丸くした。

 見れば、鍛錬場に集まっているのは、ユキの部下たちのようである。次期族長の配下として選ばれた彼らは、一族のなかでも武芸にたけているものばかり。そのなかでも、ロウジは頭一つ抜けているのだが……。


「どうした。そう遠慮せず、かかってこい」

「……言われずとも!」


 ひょいと片手を振って、挑発したソンロウに、ロウジは飛びかかった。ダン!と地を踏み切る音が、大きく響く。風のようにソンロウに挑みかかったロウジは、拳を放つ。


「うおおおお!」


 凄まじい猛攻に、ヤジを飛ばしていた連中も歓声を上げる。――しかし、目にも止まらぬ速さの拳の全てを、ソンロウは軽々いなしていく。

 ゆるりと半歩踏み込み、ロウジの拳を下に弾いた。


「く……っ!?」


 体勢が乱れた、そう悟った瞬間にはロウジは地に伏していた。

 ソンロウが地面の調子でも見るように、片手をロウジの背に押し付けている。たったそれだけの圧で、ロウジは身動きも出来ないようだ。


「くそっ……!」


 悔し気にもがいていたロウジは、力つきたように項垂れた。

 

(勝負ありだ)


 ユキはほうと息を吐く。うおおお、と歓声がわれんばかりに響くなか、ソンロウの大きな背を見つめる。ロウジは、ユキの右腕であり、もっとも信を置いている部下である。その彼を、子どもを相手にするようにいなしてしまうとは。


「やはり、ソンロウ殿はお強いな!」

「これでは……われらも、婚姻を認めざるを得んか……」


 わいわいと部下たちが話しているのを聞き、ユキはハッとした。


「どういうことだ?」

「うおお、ユキ様ッ!?」


 背後から声をかけると、彼らは飛び上がった。「まずい」と顔に書いてある彼らの様子に、ユキは首を傾げた。


「認めるとは、なんのことだ? 婿入りのことで、なにか思うところがあったのか?」

「ええと、それは……俺らにもいろいろとありまして……」

「それならば、ソンロウ殿ではなく、おれに言うてくれればよいものを」


 ソンロウを巻き込んだのは、ユキの意思だ。何か気に入らないことがあれば、ユキにぶつけてくれればいい。今まで、彼らは配下として、族長息子のユキにも遠慮せず、意見を言ってくれたのに。

 へどもどと大汗をかいている部下の言葉に、ユキは眉を下げる。


「いや、それは……」

「俺が”次期族長”に相応しいか、試してみたかったのさ」


 すると、慌てた部下が弁解する前に、低くつやのある声が割って入ってくる。


「先生!」


 とん、と軽い着地音を立て、目の前の岩にソンロウが立った。ユキも、部下たちも勢いよく振り返る。


「そ、ソンロウ殿……」

「ユキ様にとって、部下は家族同然だろう? こいつらも同じで、主の”夫となる雄”の腕試しをしたかったのさ。なあ?」


 ソンロウに笑いかけられ、小さくなった部下たちに、ユキは感激した。仮初の族長(予定)だった自分を、そこまで慕ってくれていたなんて。


「お前達、ありがとう」


 明るく笑ったユキに、部下たちは顔を赤らめる。すると、つっけんどんな声が割って入る。


「当然です」

「あ、ロウジ」


 岩を揺らし、着地したロウジがむっすりと頷く。凛々しい顔立ちは砂に汚れていた。ロウジは、ガシリとユキの手を掴み、ソンロウを睨んだ。


「負けは負けですから、認めます。ですが、俺達の想いを背負っていくこと、お忘れなく!」

「どうした?! 態度悪いぞ、お前」


 年長のソンロウに対し、不遜な態度のロウジに目を剥いた。


 (普段は、礼儀正しい奴なのに。一体、どうしてしまったんだ)


 おろおろするユキをよそに、皆は得心顔で頷いている。ソンロウでさえ、大らかに笑っている。


「罪な狼だな、ユキ様は」

「え??」


 ユキは知らない。自分の部下が皆、彼に懸想しており、婿に指名されたソンロウに勝負を挑んだということを。

 そして、その勝負をすべて受けて立ち、ソンロウが勝利をおさめたことを。


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