あなたを選ぶ
翌日――大広間には、村の有力者たちが集まっていた。
上座には族長が座り、傍らには側近であるガンジュが。もう一方には、ハクロの父ヒサメが控えている。名族らしく華美だが品のある衣を纏い、手中で扇子を弄んでいる。下座には、それぞれの派閥に属する手下衆が並び、みな一様に張り詰めた面をつき合わせていた。
「さぞや楽しみでしょう、父上。今日、あなたの息子が族長になるのですから」
ハクロは口元を扇子で隠しながら、隣の父に言う。
「これ、然様なことを言うでない」
ヒサメは、満座の目を気にしてか息子を窘めてみせる。しかし、声には押えきれない得意が滲んでいた。
ハクロの不遜な振る舞いに、誰も異を唱えない。みな、婿に指名されるのはハクロだろうと思っていた。ユキの婿とは形式上のもので、この場は、あくまで次期族長を選ぶためのものであると。
「族長、ただいま参じました」
ユキが広間に入っていくと、集まった猛者たちが一斉に頭を下げた。いつ見ても、おれのような若造には、身に余る敬意だ、とユキは思う。なればこそ、次期族長としてみなの献身に応えられるよう、頑張って来た。
(だが……これから先は、おれの婿となる方がみる光景だ)
悔いはない。
この光景に、だれよりも相応しい方に、おれは託すのだから。
ユキは顔を上げて進みながら、広間に想い人の姿を探す。列席者にハクロがいることに気づき、げっとなる。向こうは、通りすがりざまに目を上げ、意味深に微笑している。ユキはふいと顔を反らした。
(先生……)
視線を巡らせると――広間の奥に探し人はいた。ソンロウは、会議には加わらず警備の任についているらしい。岩壁を背に、腕を組んで立っている。周囲を警戒しているのか、目は合わなかった。
「――ユキよ、心は決まったか」
「はい」
父の対面に座り、ユキははっきりと頷いた。
「これより花嫁のユキによって、婿の指名を行う」
族長が、重々しい声で告げる。ユキは、床に両手を揃え……静かに声を張る。
「私が、婿に指名するのは――……」
ユキは言葉を止め、ソンロウを強く見つめる。黄褐色の瞳が、怪訝そうに揺れる。――勘の良い方なのに、おれが何をしようとしているか気づいておられない。それほど思いもよらないのだろうと思うと、胸が痛んだ。
(先生、ごめんなさい)
幼い頃から、自分を見守ってくれた師範。
母亡き後、父や弟たちを守ろうと、必死になっていたユキの味方でいてくれた。あの岩場で、「泣きたいときは泣け」と涙を拭ってくれた人。
たとえ、憎まれても――おれは、どうしてもあなたを愛している。
「……ソンロウ殿を、婿に望みます」
ユキは、凛と宣言する。
「な……!」
広間がざわ、と大きくどよめく。みな、予想もしていなかった答えに戸惑い、顔を見合わせている。
「ソンロウ殿を!?」
「なんと……では、次期族長は」
くちぐちに騒ぎ、困惑気に床を叩く。静かな顔をしているのは族長と、宣言したユキだけである。ユキはじっと、床に揃えた自分の指先を見つめていた。
宣言した途端、肌がひりひりするほどの威圧を感じていたからだ。……自分をこれほど震わせるたった一人を思い、顔を上げることができなかった。
「ありえぬ!」
杯を蹴とばし、ハクロが立ち上がる。端麗な白い面は、怒りからか紅潮していた。
「この私よりも、あの者が次期族長に相応しいと!? ありえませぬ!」
俊英と呼び声高いハクロの怒声に、広間が静まり返る。
ヒサメもまた、息子の非礼を詫びるどころか、渋い顔で扇子を握りしめている。勝利を確信していただけ、屈辱は大きかったのだろう。黒い目をらんらんと光らせ、ソンロウを睨んでいる。
「辞退せよ、ソンロウ。おぬしは、己の身分を弁えているはずじゃな?」
ヒサメの優し気な声音に潜む毒に、満座が固唾を飲んだ。ソンロウは如何するのか、と不安げに斑の狼を見つめている。
しかしソンロウは、ヒサメもハクロも、誰のことも見てはいなかった。
その黄褐色の眼は、広間の中央に伏している小さな狼だけを捉えていた。情熱と呼ぶのも生易しい眼差しに、族長の傍に控えていたガンジュは息を飲む。
「――静まれ」
そのとき、族長の威厳に満ちた声が響き渡る。水を打ったように静まった広間を、族長はみまわし、静かに言う。
「ハクロよ、花嫁の意思に背くか」
「……なれど!」
「黙るがよい。花嫁の決めた婿に異を唱えるとは、神聖な儀式を邪魔することと同義である。ヒサメも良いな」
族長の厳しい瞳に、父子は悔し気に口を噤んだ。
「して、ユキよ。婿はソンロウが良いのだな」
静かに問われ、ユキは言葉もなく頷いた。顎から、冷たい汗がぽたりとつたい落ちる。
族長は目を伏せ、威厳に満ちた声で宣言する。
「花嫁の意思が花婿を選んだ。ソンロウが次期族長じゃ。みな納得し、支えるように!」
尊敬される族長の号令に、反射的ではあるかもしれないが「おう」と歓声が上がる。賑わいを取り戻す広間に、ヒサメとハクロは不快そうに黙り込んでいた。
「……は」
ユキは、遠のきそうな意識の中で息を吐いた。承認された、良かった――そう安堵したときだった。
ぐい、と腕を掴まれる。
「あっ……!」
顔を上げると、表情の窺えないソンロウが傍らに立っていた。いつのまに、と思ったときには、肩の上に抱えあげられていた。
グルン、と視界がまわり、ユキはえづいてしまう。
「来い」
静かな――どろどろとした感情を煮詰めたような声で、ソンロウは言う。そのまま、大股に広間を出て行く。
「ま、まて、ソンロウ! 何をするつもりだ!?」
狼狽するガンジュが止めるが、ソンロウは振り返りもしない。
逞しい腕に抱えられ、ユキは慌てて声を上げる。
「先生……!?」
問いに答えはなく、歩む速度だけが増す。ユキは振り落とされぬよう、熱い背にしがみついた。




