嫁御殿
東の村には、いくつも煙が上がっていた。
「くそ、忌々しい鳥め! あたしらの村に近づくんじゃないよ!」
雌狼たちが唸り声をあげ、火種に薬草をくべている。魔獣の嫌う臭いを発するそれで、子どもたちを守る囲いを作っているのだ。
非戦闘員の多いこの村は、襲われた時は味方がくるまで、ひたすら耐えねばならない。村の統治者が、長閑なこの場所に、人員を裂くのを嫌うがためである。
いまも、空から礫のように降ってくる黒い影に、少ない雄たちが立ち向かっていた。
「おらぁ!」
長い槍を振り、若い狼が魔鳥を差し貫く。魔鳥は耳障りな悲鳴を上げ、ぼたりと地に落ちた。子牛くらいの大きさの胴体についた六枚の巨大な翼が、ばたばたと地面を打つ。
魔鳥は二つある尖った嘴から夥しい血を噴き、事切れた。
「よし……!」
若い狼が息を吐いたときだ。上空から、凄まじいスピードで下降してきた一羽が、彼の足を掴んだ。
「うわあああっ!」
高い空に攫われ、若者は悲鳴を上げる。
「レキ!」
仲間が悲痛の声で叫んだ。魔鳥の巣穴に持ち帰られては、いかに白狼と言えども彼らの子達の食料となる定めだ。
そのとき――見えない壁に当たったように、若者を捕らえた魔鳥が止まった。
暴れながら、地に落下する。
その腹には、小刀と弓矢が突き刺さっていた。
「皆、無事か!」
「族長、ユキ様!」
土を盛った塀の上に姿を見せたのは、族長とユキである。その後ろに手練れの狼たちが続き、弓や小刀で魔鳥たちに攻撃を仕掛けていた。
「おお……!」
現れた救いに、村人たちは目を輝かせる。
「状況はどうだ?」
「良くありませぬ。巣穴をついたように、現れます……警護隊に救援を頼みましたが、断られてしまい……」
「ヒサメめ……」
村長の言葉に、族長が唸る。ユキは怒りを堪え、小刀を放り、近くの敵を数羽撃ち落とす。
「族長、いまは討伐しましょう! 数が増えてきました」
「うむ……」
族長も迷いを捨てたように、迎え撃つ。上空には、ご馳走にたかる蠅のように魔鳥がひしめいている。非戦闘員を小勢で守りながら、戦わないとならない。
長い戦いになりそうだ、と思ったときだ。
……ザンッ。
熟した果実の爆ぜるような音を立て、青空が鮮血に煙る。
村人を囲んでいた魔鳥が両断され、赤い血を噴きだしていた。化け物鳥たちは飛ぶことも出来ず、ばたばたと落下する。
「なんだ!?」
みな、驚愕する。
村に群がっていた魔鳥たちが、次々に切り伏せられていた。それは、凄まじく鋭利なつむじ風にあったように――。
……ザンッ。
赤い血の軌跡を描きながら、何者かが奴らを肉塊に変えているのだ。
ギャアアア……!
天をつんざく悲鳴がこだました。魔鳥達は、形勢の悪さを悟り、必死に逃げを打とうとする。
しかし、彼らの目には黒い靄がかかっているかのようだ。飛ぶ方向を失い、味方同士で無様にもつれ合う。
ユキは目を凝らした。切り伏せた一羽を踏み、空高く跳躍した風の主が、刃を撓らせ別の一羽を切り裂いている。
(――あれは!)
鋭利な音が響くたび、大地に亡骸が積み上がった。
「……ふう」
いつしか、村の上空に青空が戻る。空を覆っていた魔鳥で、無事に帰れたものは殆どいないようだった。夥しい血で、赤く汚れた大地に――軽やかに着地した巨大な狼に、皆がわっと歓声を上げた。
「おお、ソンロウ殿!」
「さすがじゃ……!」
村人たちの歓呼の声に、血だまりに立っていたソンロウが振り返る。撓る刃を振り、血を払いながら、よく通る声で訊ねた。
「みな、無事か?」
斑の毛並みが血に汚れ、雄々しい。怪我人の手当てをしていた雌たちが、押し殺したような悲鳴を上げている。
「先生……!」
ユキは、感動に震えていた。
(なんという速さ、力強さ。弓も投擲も行わず、刃一本であのような……)
ソンロウの恵まれた体躯、そして鍛え上げられた膂力でなければかなわない。憧れに胸が焦げつくようだ。族長をはじめ、歴戦の戦士たちに労われているソンロウに、駆け寄ろうとしたとき……ざ、と地を踏みしめる音が響いた。
「なんと、これは荒々しいことじゃな」
白い衣をなびかせ、扇子で口を覆いながら現れたのは、ヒサメである。ぞろぞろと武装した手下たちを連れ、嫌そうに魔鳥の亡骸を見回した。
「汚いのう……ここまで我が土地を汚す事なかろうに」
「ヒサメ。そなた、今まで何をしておったのか!」
族長が厳しく問い詰める。すると、ヒサメは心外であると言うように、目を見ひらいた。
「何とは。もちろん、村の惨状を何とかせんと、手勢を集めておりました。来てみたら、無駄足だったようですがな」
言いながら、ちらとソンロウに嫌みに笑って見せた。
「ソンロウ殿は花婿になると言うので、ずい分張り切っておるようじゃ。よい心がけをお見せいただき、恐悦至極」
「な――!」
ソンロウを当て擦る言葉に、ユキは気色ばむ。
(先生がいなければ、犠牲が出ていたかもしれないのに!)
族長も厳しい顔で、ヒサメに何か言おうと口を開く。しかし……その前に、ソンロウが立ちはだかった。
「お役に立てて何よりです、ヒサメ殿」
静かに言い、頭を下げる。その毅然とした態度に、ヒサメは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「……黒狼の呪術など、邪道じゃ」
忌々し気な呟きを拾い、ユキの耳がピクリと動く。しかし、ソンロウの静かな横顔を見て、ぐっと堪えた。ヒサメは誰も挑発に乗らないと見るや、
「汚いものの片づけをするように」
そう手下に言い置いて、去っていく。あまりに傲慢な態度に、ユキは腹を立てるより呆れた。
(なんて偉そうな……ハクロが嫌なやつになるわけだ)
族長がソンロウに目配せをする。
「すまぬな」
「いいえ。どうってこたぁありませんよ」
鷹揚に頷いたソンロウに、待ち構えていたように雌たちが近づいた。
「ソンロウ様……!」
「とっても素敵でしたわ!」
彼女たちは華やいだ声を上げ、ソンロウの周りを取り囲んだ。さきまで命の危機に瀕していたと思えない、活力に満ちた雌たちに、ソンロウも大らかに笑っている。
「怪我はねえか、嬢ちゃんたち」
「はい……守ってくださいましたもの!」
「ソンロウ様、毛並みが血に汚れてるわ。手拭いをどうぞ」
「いいえ、私のを使って!」
美しい雌たちは、嬉しそうにソンロウの世話を焼こうとする。その見慣れた光景を、ユキは遠巻きに眺めた。
(いいな……)
本当は、駆けよりたい。けれど……形式だけの花嫁である自分が、割って入って良いものかとも思う。どんな形であれ、大好きな師匠が慕われていることは、嬉しいのだ。
胸が痛むのは……ただ、自分の過ぎた願いのせいなのであって。
「……」
悶々としていると――ふと、渦中のソンロウと目が合った。
どき、と鼓動が跳ねる。ユキのことを、黄褐色の目でぴたりと見据えたまま、ソンロウが言う。
「ありがたいが、手伝いには及ばん。花嫁殿を妬かせるわけにいかんからな」
「――!?」
どこか挑むような、愉しげな声音にユキは赤面した。
雌狼たちが、残念そうに声を上げる。それでも、儀式は絶対だと弁えているため、大人しく引き下がる。
「そういうことでしたら……ユキ様、お願いいたしますわ」
「……ちょ、えっ?」
狼狽し、立ち尽くすユキにソンロウが手を差し出す。
「さて、嫁御殿。世話を焼いてくれると嬉しいが」




