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白狼の一族

 これは、とある獣人の一族にまつわる、婿入り騒動のおはなしである。


「何ですと!それは真にございますか」


 白狼の一族の長が叫んだ。驚愕のあまり、白い尾が着物の裾を跳ね上げた。

 族長の邸である。巨大な岩壁をくり抜き造られた白狼の集落……その最奥こそが、族長の住居だ。そのさらに奥まった私室に、ひとりの老女と顔をつき合わせていた。

 その人物――村の巫女であるババ様(御年八百歳)が、重々しく頷いた。


「むろんじゃ。わしの占いに万が一……億が一の外れもない!」


 ババ様は、白狼の一族の最古参の雌狼だった。強い占いの力を持って、みなに敬われている。この一族は、今日に至るまで、幾度となくババ様の占いに救われてきたのだった。

 燭台の火に照らされるババ様の厳しい顔にもその自負が滾っている。族長は、生唾をのんだ。


「それでは……やはり、我が息子が!」

「さよう。――百年に一度の婿入り。こたびの花嫁は、そなたが息子のユキじゃ!」


 ババ様の重々しい声が、岩間に轟いた。



***



 白狼の村は、深い森の中にある。

 人里から遠く離れたそこは、いかにも人ならざる者のすみかという風情だ。背の高い木が群生し、広い空をも覆いつくしている。おまけに、四六時中霧が立ち込め、視界が全く利かない。人間や他の動物などが、ひとたび足を踏み入れれば、すぐに方向を見失ってしまうだろう。

 まさに、優れた嗅覚を持つ白狼たちならではの棲家であった。

 その深い霧の中を、一匹の白い狼が駆けていく。

 華奢な体つきの、年若い狼だ。つやつやとした毛並みは見事に白く、深い霧のなかにも眩しいほどだった。

 背に一匹の兎を乗せ走る様は、白い風のようである。

 

「うさぎさん、もうすぐ出口だよ!」

「ありがとう、白狼の若ぎみさま」

 

 彼は、森の中で迷っている兎を見つけ、出口まで案内していたのだった。

 

「ほかの狼に出会っていたら、あたしは食われてたに違いありません。このご恩は必ずや」

「大したことじゃないって。今度は迷わないようにするんだよー!」

 

 拝むように礼を言い、兎は去っていく。手を振って見送る狼の顔には、すがすがしい笑顔が浮かんでいた。

 小さな狼――ユキは、今年十八になる若者だ。族長の息子であり、父と同じ立派な白い毛並みを持っている。立派に成人しているものの、あどけなさを残した面立ちで、特に黒曜石のような瞳は大きく、子犬のような愛嬌がある。

 その容姿に似つかわしく、荒くれものの多い一族のもののなかでは、かなり柔和な気性だった。

 

「お母さんうさぎだったみたいだもんな。元気に帰っておくれ」

 

 森に迷いこんだ小動物を逃がしてやることは、彼にとってはよくあることだった。白狼の一族は、普通の狼とは違う。森と共存するために、無益な殺生はしてはならぬ……そう父である族長に教わり、自分もそう信じている。

 ほのぼのした気分で、村へ帰ろうと踵を返したときだ。

 

「――ん?」

 

 ユキは、ふと足を止める。ぴくりと鼻を動かして、眉をしかめた。

 風の匂いが変わった気がしたのだった。

 

(何だ?)

 

 と――ひと際、背の高い木の枝が揺れる。がさがさ、と木の葉が擦れる音がし、大きな黒い影が落っこちてきた。

 

「なっ⁉」

 

 ユキは咄嗟に後ろに飛びのいて、距離をとる。

 落ちてきたのは、小山のように立派な体躯を持った狼だった。白と黒と、斑に混じった毛並みを持っており、その顔には歴戦の戦士を思わせる、大きな傷跡があった。

 

「ソンロウ先生!」

 

 ユキは目を丸くし、それからぱっと破顔した。

 

「よう。相変わらずだな、坊」

 

 ソンロウ先生と呼ばれた斑の狼は、軽い調子で手を上げた。日に焼けた精悍な面差しに、懐っこい笑みが浮かぶ。ユキは満面の笑みを浮かべ、彼に駆け寄ると――鋭い蹴りをくり出した。

 

「やあっ!」

「おっと」

 

 斑の狼は、軽々と身を躱す。ユキはすかさず踏み込み、追撃した。――ひゅん、ひゅん、と風を切りつま先が旋回する。ソンロウは、そのすべてを軽々避けると、ぱしりと足首をとらえた。

 ユキは「参りました」と動きを止め、笑う。

 

「先生、お久しぶりです!」

「おおよ。元気にしていたか?」

「はいっ」

 

 足を下ろし、かたく握手を交わす。さっきの戦闘は、二人にとっては恒例の挨拶だった。ソンロウはユキの父である族長の従弟であり、ユキの戦いの師匠なのだ。

 ソンロウは満足そうに頷く。

 

「俺がいない間も、鍛錬は怠っちゃいねえようだな」

「もちろんです。おれも十八。いつでも、一族を率いて狩りに出る心づもりですから!」

 

 白狼の一族は、群れで狩りをする。すみかである森の近辺に出る魔獣を狩り、その身から出る希少な鉱物を、またはそれらの身から生成する薬などを売って生活していた。狩りは、群れの長である族長が指揮をとる。

 ユキは未だ、父のもとにつき戦闘の経験を積んでいるところだが、そろそろ単独で指揮を任せても良いと言われている。

 

「感心なこった」

 

 ソンロウは笑い、ユキの頭を撫でた。がっしりとした手に揺さぶられ、小さな体がガクガクと左右に振られた。ユキは、「わあっ」と声を上げ、後ろに飛びのく。

 

「先生! 子ども扱いはやめて下さいっ」

「はははっ。ちっこいのは相変わらずだなぁ!」

「なにをっ……これでも伸びたんですっ」

 

 言って、ユキは唇を尖らせる。先生は、幼い頃から自分を知っているせいか、すぐにおれを子ども扱いをする。

 

(おれは、もう大人なのに……)

 

 ユキは己の小さい手を見下ろし、ため息を吐く。白狼の一族の中でも、かなり小柄なことを、実は気にしていた。三つ年下の弟狼よりも、頭二つは小さい。よく食べ、鍛錬も怠っていないのにどうしてなのだろうか。

 しょんぼりしていると――いきなり視界がぐんと高くなる。

 

「ぎゃっ! 先生⁉」

「おっ……たしかに。ちっとは重たくなったかぁ?」

 

 突然、両脚をさらうように抱き上げられて、ユキは驚愕した。

 見上げていた先生の顔が急に下にあり、懐っこい笑みを浮かべているではないか。

 

(こ、子供じゃあるまいし!)

 

 恥ずかしさに、頬がかっと火照った。慌てて下りようともがいても、太くたくましい腕にがっちりと腿を挟まれ、動けない。

 

「な、何をするんですかーっ」

「照れんなって。昔っから、こうして抱いてやったじゃねえか。お前、しょぼくれるとすぐに、「先生、だっこして」って甘えてきてよぉ」

「ななな……っ」

 

 幼い頃の戯言を持ち出され、二の句が継げなくなる。口をパクパクさせるユキを抱き直し、ソンロウは大笑いする。

 

「……子ども扱いは、やめてくださいってば!」

 

 真っ赤な顔で、きっと睨みつけた時だった。――激しい足音が聞こえてきた。

 

「ユキ様!」

「ガンジュさん?」

 

 現れたのは、父の右腕であるガンジュだった。全身から滴るほどに汗をかき、息を切らしている。

 

「ガンジュさん、どうしたんですか?」

 

 ユキはソンロウの腕から下りて、尋ねた。すると、ガンジュは声を詰まらせつつ、応える。

 

「族長から、「とにかくすぐ戻れ」とのお話でございます。村の命運を決める大事な話があるから、と」

「大事な話? わかりました、すぐ戻ろう」

 

 首を傾げつつ、ユキはすぐに頷く。父の右腕が、ここまで慌てるほどの事態だ。ともかく、早く戻るのがいい。

 

「よお、ガンジュ。何があったんだ?」

 

 ガンジュを脇に抱え、邸に向かいながら、ソンロウが問う。全力で駆けるユキについて行くには、体力を使い果たしていたので、ソンロウが運んでいる。

 

「久しいな、ソンロウ……ゴホッ、それが、本当に一大事なのだ。ユキ様にとっても、村にとってもだ」

「ほう?」

「ゲホン! 詳しい話は、わしの口からは出来ん。族長が話すだろう」

「……」

 

 ソンロウは少し考えこみ、飛ぶように駆けていくユキを追った。

 

 


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