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9/9

抗えぬ夜の罪と罰



翌朝、




雨はすっかり止んで、

雀がチュンチュンといつものように鳴いていた。





でも…



俺の腕の中にはーーー

少し微笑んだように目を閉じ、

冷たくなった夕顔がいた。




彼女の頬には涙の跡が一筋。

その白い顔が、残酷なまでに美しく、




昨夜の惨劇は

現実だったのだと、


静かに、突き付けてくる。




 


昨夜の恐怖、生霊の気配、


彼女の「たすけて」という掠れた声、


全てが夢ならどれほどよかっただろう。




でも。




腕の中のこの温もりを失った体が、

痛いほどに“死”を語っていた。


 




「……なぁ、嘘だろ、夕顔ーーー」





そうつぶやいても、返ってくる声はない。



ただ、雀の声が空気を切り裂くように響く。


 



ふと気づけば、


俺の掌には、彼女の細い指の感触がまだ残っていた。



冷たいその手を、俺はしがみつくように離せなかった。


 


「夕顔……ッ…!」


声に出した瞬間、

張り詰めていた何かがぷつりと切れて、

その場に崩れ落ちた。




俺は、彼女の亡骸を抱きながら

声を殺して泣いた。


泣いても、どうにもならないことはわかっていた。

でも、止まらなかった。


 


原作では死ぬと知っていた。

だから関わらないつもりだった。

でも、結局惹かれて、

そして何も守れなかった。


「また……俺は……」


 


どこで間違えたのだろう。

“抗えば救える”なんて、思ったのが間違いだったのか?


それとも……

“抗い切れなかった”ことが、罪なのか?


 


雨が上がった空は、

どこまでも澄んでいて、



その青の美しさと、


庭に咲いている夕顔の白のコントラストが、

やけに目に刺さった。






夕顔をここに置いていくことは

どうしても出来ず、

彼女の亡骸を腕に抱き、



京の町を

濡れた草を踏みしめながら、

足を引きずるようにして屋敷に帰った。




町はまだ目覚めきっておらず、誰にもすれ違うことはなかった。


 


ようやくたどり着いた屋敷の門が見えたとき、

なぜだかわからないが、酷く息が詰まった。

こんな姿で戻って、俺は何を言えばいい?




葵の上の顔が脳裏に浮かんだ。

だけど、彼女の怒声すら、今の俺にはもう届かない気がした。


 


門をくぐると、下女たちが目を見開いて駆け寄ってきた。

だが、その異様な光景に凍りつき、誰ひとり声をかけてこない。




邸内に入った俺の前に、やがて現れたのはーー


 


「源氏殿……?まだ朝帰りですの…?」


 


葵の上だった。


 


絹の寝間着のまま、

寝ぼけ眼で乱れた髪を片手でかき上げながら現れた彼女は、




まず俺の顔を見て、それから抱えられた“それ”に目を落としーー


 


「その女は……いったい……!? どうなされたのです!?」


 


目を見開き、声が震えている。

いつもは高飛車で、どこか冷ややかなその声音が、

今だけは、どこか震えていた。


 


「……ほんとに、ごめん。でも……何も聞かないでくれ」



葵の上は、

時が止まったかのように

そこでただ立ち尽くしていた。



彼女の脇を通り過ぎた時ーーー


膝から崩れ落ち、静かに、

唇を噛み締めて泣いていた。



 


 


夕顔を葬るための準備は、誰にも言わずに自分で行った。

着替えさせ、白布で包み、香を焚いた。


死してなお、彼女は穏やかな表情を浮かべていた。

まるで、俺の腕の中で逝けて、満ち足りていたとでも言うように。


 


それが、また、つらかった。


 


あのとき助けられなかった。

俺の知識では、どうすることもできなかった。

それが運命だったというのなら、俺は一体、何のためにこの世界に来たのか。


 


葬儀の間も、心は空っぽだった。

何を見ても、何を聞いても、涙すら出なかった。




ただ、手が震えていた。


 


そして、それから数日。

俺と葵の上は、ほとんど会話をしなかった。




廊下ですれ違っても、目を合わせない。

食事の場にも、姿を見せない。

代わりに使用人たちの視線だけが、痛いほどに突き刺さる。


 


その空気に俺は、ますます閉じこもるようになっていった。




毎夜、彼女のことを思い出す。

ふとした瞬間に、彼女の儚げな笑顔が脳裏に浮かぶ。




「……ごめん。ごめんな、夕顔……」




床に顔を伏せて、何度も繰り返した。

でも、彼女の声は、もう二度と聞こえなかった。


 


そして、ある日。


邸の外から戻った俺に、葵の上が不意に声をかけてきた。


 


「……そういえば」


その声は、いつもの彼女の調子に戻っていた。

けれど、その瞳の奥にあるものは、何かが違っていた。


 


「藤壺の宮が……

男児をご出産なされたそうですわ」


 


その瞬間。

世界の色が、スウッと消えたような気がした。


 


足元がふらつく。

息が詰まる。

何も考えられない。


 


「……あら? そんなに驚かれることかしら?」


 


葵の上は、にこりと笑った。


けれどその笑みは、まるで薄い氷のように冷たく、

刃物のように鋭かった。



そしてその笑顔が、次第に歪んでいく。


「まさか……ね。そんな、まさか」



少し狼狽えたようにつぶやき、

そして

目を逸らし、何も答えない俺を見て、



何かを確信したかのように、

彼女の目は、絶望に染まっていった。





それからの数日、邸は不穏な沈黙に包まれた。



夕顔の死の痛みは癒えず、

藤壺の出産の報は、まるでその上に塩を擦り込むようなものだった。




俺が抗えなかった夜の、


成れの果てーーー


これは罰だとでもいうのだろうか。  




俺は、自分の感情がもうどこにあるのかすらわからなかった。




ただひたすら、眠れずに夜を過ごしていた。


 


そんなある夜――


 


「殿。……今宵、お時間をいただけますか?」


 


寝所へ戻ると、そこに葵の上がいた。


薄い衣をまとい、化粧もいつもより控えめで、

それでも凛とした気品と、美しさが際立っていた。


 


「……どういうつもりだ」


俺はその場に立ちすくんだまま、問う。


彼女は微かに笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。


 


「わたくしとしても、気は進みませんけれど」

「正妻として、果たすべきことがございますわ」




その声音には、

あのいつもの高飛車なお嬢様口調と、

底の見えない静かな怒りが、同居していた。


 


「やめろ……葵、今は……俺には、そんな資格なんて……」




思わずそう呟いた俺に、彼女は一歩、近づいてきた。


 


「資格?」

「では、藤壺の宮とは、“資格”があったと?」


 


その一言に、心臓がひゅっと凍りついた。


何も言えなかった。

何も、言い返せなかった。


 


「言い訳など要りませんわ」

「今宵のことは、わたくしの“意地”でございますから」




そう言って、彼女は俺の手を取り、寝所の帳を下ろした。


 


 


ーーそして、夜が訪れた。


 


目を閉じた葵の上は、一切の言葉を発さなかった。


ただただ、義務を果たすように、静かに身を委ねていた。



俺は、どうしようもなく混乱していた。



拒もうとした。何度も。

だけど体は動かなかった。


そして、いつものようにぼんやりと

なくなっていく意識の中でーーー


 

あの声が、また頭の奥で響いた。


『抗っても、無駄だ……汝は、光源氏なり。運命ものがたりからは逃れられぬ』


 


「やめろ……もうやめてくれ……」


 


心の中で叫んでも、誰にも届かない。


この夜を終えることが、

また一つ、“原作の罪”を重ねることになると知りながらーー


 


俺は、抗えず、

また記憶のない夜を過ごした。

 


 


夜が明けた。


 


薄明かりの中、葵の上は背を向けて静かに眠っていた。

いや、眠っているふりだったのかもしれない。

彼女の枕が濡れていたから。


 


「俺は……誰も、不幸にしたくなかっただけなのに……」


 


俺の声は、虚しく天井に響いて消えた。

誰にも届かないままーーー



 






次回、

変えられぬ宿命の歯車ーー呪われた祭

ねぇーーーっ!!

このシリアスいつまで続くのぉおおお!?

いつものアホみたいなノリの地の文書きたいんだけどォオオオオ!?


どん底の主人公、これからどうなっていくのか!?

運命には抗えないのか!?

まだまだシリアス回が続きそうで筆者も鬱!!


密かに話追ってるよって方は、

ひっそりポチッとブクマとか感想くれると

続き書けそうな気がします…


筆者のモチベーションは限界よぉおおっ!

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