第五章:教室の影
教室の空気が、少しだけ重たく感じたのは、気のせいだろうか。
アオイは自分の席に座りながら、周囲の視線をそっと探る。誰も特別な反応をしていない。いつもの朝。黒板には日直の名前。教科書を開く音。チョークが黒板をこする音。
けれど、それが“演技”に見えてしまうのは、アオイの心が変わってしまったせいだ。
(昨日の音楽室……夢じゃないよね)
隣の席のヒロが、いつものように無表情で席に座った。彼はアオイに目を向けるでもなく、カバンを机に置いて教科書を取り出す。その仕草が妙に整いすぎていて、アオイは少しだけ違和感を覚える。
「……アオイ」
不意に呼ばれ、びくりと肩が跳ねた。
ヒロは小声で言った。「今日、旧校舎……立ち入り禁止になったってさ」
「……うん。知ってる」
「……行った?」
アオイは答えられなかった。 視線をそらし、教室の前方を見つめる。
ヒロはそれ以上何も言わなかった。ただ、その沈黙が、問いかけよりも重くのしかかる。
「なあ、旧校舎の音楽室って、オレ、行ったことないんだけどさ」 前の席のツバサが、振り返ってひょっこり顔を出した。「何かあんの? 昨日さ、取り壊し前に入った奴いたんじゃね?って噂になってたんだけど」
「さあ……」とアオイは曖昧に答える。
「おばけ出たとか、そういうやつ? 授業サボって肝試しかよ、マジで面白いよな〜」 ツバサは楽しそうに笑っていた。でもその無邪気な笑顔が、今はなぜかとても遠い。
すると、教室の後ろのほうから声がした。
「空、ちょっと変だと思わない?」
それはリオだった。 彼女は窓辺で空を見上げながら、独り言のように呟いた。
「青いけどさ……本当に、これって“空の青”なんだっけって、たまに思うのよ」
誰も返事をしなかった。
アオイの中で、何かがふるりと揺れた。
(リオ……いまの……)
視線を向けると、リオはふっと笑って、こちらを見ていた。
「なんでもない。変なこと言ったね」
笑顔は柔らかかったけれど、目の奥には何か光るものがあった。
授業のチャイムが鳴る。 その音が、まるで何かを打ち消すように響いた。
教室は、いつも通りのふりをしていた。 でも、アオイはもう気づいていた。
“どこかが、違う。”
そして、その違いに気づいたのは、きっと自分だけじゃない。
——かもしれない。