第三章:青の証明
次の日も、その次の日も、アオイの視線は教室のどこか、廊下の向こう、人の隙間を彷徨っていた。
誰かが見ている。けれど、その「誰か」が敵か味方かもわからない。
疑心暗鬼な毎日——それでも、あの手紙の「味方」の文字が、ずっと胸に残っている。
ただのいたずらかもしれない。罠かもしれない。証拠は何もない。けれど、
誰かが“空の色”を知っているなら——それだけで、繋がりたいと願ってしまう。
(私を見てる“誰か”が、本当に敵じゃないなら……)
そんなある放課後。図書館での自習を終えたアオイが廊下に出ると、
窓辺に寄りかかるようにして立つ女生徒が目に入った。
西日に照らされて、制服の名札がほのかに赤く光っている——けれど、彼女はまるで気づいていない様子だった。
(……名札、エラー?)
顔立ちは整いすぎていて、まるで造られたようだった。
光の加減のせいだろうか、肌の透明感がどこか無機質にも見える。
彼女はアオイに気づくと、小さく笑った。
一瞬、時が止まったような感覚。
「こんにちは、アオイさん」
「え……私の名前……?」
「うん。知ってる。あの日の朝、名札にエラーが出たでしょ?」
「……なんで、それを」
「名札はね、いつも中央のシステムに繋がってて、異常が起きるとすぐに“統制側”に記録されるようになってるの。先生たちはもちろん、いわゆる“監視者”にも通知が行く仕組み」
「……監視?」
「うん、今の学校も社会も、全部そう。ちゃんと見張られてる。でも、それだけじゃない。わたしたち、“カラフル”にも、そういうエラー通知が届くようにしてあるの。裏ルートだけどね」
「……“カラフル”?」
「あなたが“本当の空”を見たって報告を聞いたとき、すぐに動いた。あなたを一人にしないようにって」
「……じゃあ、私、今……」
「見られてる。でも、私たちも見てる。守るために」
その声には、機械的な印象とは裏腹に、微かだけれど確かな意志が宿っていた。
アオイは制服の胸元を押さえる。赤い表示はもうない。けれど、消えたのは表面だけで——あの日からずっと、何かに記録され、見られている。
少女がそっと手を差し出す。
「私はミナ。アオイ、あなたに会いたかった」
名前を呼ばれて、アオイは戸惑いながらもその手を取った。
冷たい。けれど、不思議と心が落ち着く。
「私たちは、この世界の“嘘”を正したいだけなの」
「“嘘”って……?」
「あなたが見た空の色。それが、始まり」
そのとき、不意に窓の外——
朱に染まった夕空が、ほんの一瞬だけ、“青く”揺らめいた。
アオイは息を呑む。ミナの目が、同じものを見ていたことを告げていた。
だが次の瞬間、廊下の奥から硬質な靴音が響き、ミナの表情が引き締まる。
「……ここじゃ、もう話せない。続きが知りたかったら、明日の放課後、旧校舎の音楽室に来て」
それだけを言い残し、ミナは踵を返した。
すれ違いざま、アオイは彼女の名札から、出席番号の表示が一瞬エラーを起こし——そして、音もなく消えていくのを見た。
(……今、消えた?)
名札のエラーを、自在に操作できる存在。
不思議と怖さよりも、確かさを感じていた。
そして夕暮れの音楽室で、世界の秘密に触れる扉が、静かに開こうとしていた。