7
「――――それがこいつら、〈ファンタズマ〉よ」
聞き覚えのある響き。青き光帯びた未知の存在――あのホログラムの怪物たち。
僕たちの前に姿を現したのはさっきまでの蜘蛛ではなく、身の丈十メートルはある光の巨人だ。
やはりこいつも、青い血管みたいなのを、全身にのたくらせている。そして退化したかのように貧相な下半身に比べアンバランスに逞しい四本腕の持ち主で、さながらゴリラみたいな六足歩行を駆使して、ゆっくりと駅舎内に巨体をねじ込めようとしていた。
巨人が、持ち上げた片腕で掴みかかってきた。先輩が僕を庇うようにそれを引き付けて、軽やかに側転する。掴み損ねた腕が、勢い余って売店コーナーを破壊した。
「ファンタズマはイ界にはびこる危険な魔物。わたしたち魔術師に害をなす存在」
いかにも魔術詠唱っぽい構えをして、そのファンタズマとやらへと対峙する先輩の姿。
「ファンタズマ? あの怪物と戦ってるってことは、先輩って本物の魔術師だったの!?」
七月先輩から返ってきたのは、ごく短い首肯。
とにかく、僕にとっては驚愕の事実ばかりだった。この七月絵穹という不思議な女子の中二病がただのファッションや妄想などではなかった、という仰天事実も含め。
巨人は、僕たちを捕まえるのを諦めたのか、巨体を一旦建物から引き抜いた。
そうして開けた視界――巨人の背後には、おびただしい数の怪物が軍勢をなしていた。
「あんなにたくさん……ファンタズマが……」
自分で口にしてみて、まるで冗談みたいだって思った。こんなの冗談で済むもんか。
「……数が多すぎるわ。〈協会〉の連中め。奴らを仕留め損ねたの」
珍しく苛立ちを隠さない先輩の声に、この事態が尋常じゃないのだと悟る。
「ねえよく聞いて宇佐美くん。たしかにわたしは魔術師だけれど、専門は研究開発で、攻撃に特化した使い手じゃないの。だからこういう状況はね……完全にお手上げ」
「……ってナニ積極的に降参しちゃってんですかあなたってひとは!?」
「本来ならばそそくさと戦略的撤退してしまいたいところだけれど、ここまでの数のファンタズマに取り囲まれていると、ノイズが多すぎて現実界への転移もままならないわ」
あまりの怪物の多さに、洒落にならない窮地だってのはわかる。
「ねえ先輩。ここで怪我をしたり、その、死んじゃったりしたら……どうなるの?」
「イ界での肉体的ダメージは、現実界の肉体には直接影響を及ぼさないわ。ただ、精神の方はそうとは限らない」
「……つまり、ここであの怪物たちにやられちゃったりしたら、このままリアルに戻れても最悪目が覚めなくなったりする、ってこと?」
わずかに頷いて、先輩は否定しない。
「だから長い歴史の中で、魔術は一種の『呪い』、つまりオカルトだと認識されてきた」
どのみち無傷では元の世界に戻れないってこと? 絶望的な状況だった。
「そこで宇佐美くんに聞いてほしいの。幸運にもわたしたちにはファンタズマへの対抗手段がある。この窮地、まさにきみが空想魔術の可能性を証明する絶好の機会に違いないわ」
「可能性も何も、すでにとんでもない窮地に陥っちゃってるんですけどっ!」
ツッコミも平然と聞き流して、代わりに先輩が奇妙な行動をとった。首から下げてたペンダントの輪っかを一つ、指先でつまみ上げたんだ。
すると不思議なことが起こった。先輩がつまみ上げた金色の輪っかが外れたかと思えば、そいつがパズルみたいに分解して、ひとまわり大きな輪っかに変形したんだ。
「これは旧き魔女の力を込めてわたしが設計した魔導器。わたしはこれを〈エソライズムエンジン〉と名付けた」
「……エソライズム……エンジン? それ、先輩が『つくった』ってこと?」
やたら胡散臭いネーミングセンスに反して、輪っかが神秘的な光まで放ち始めた。
「そう。このエソライズムエンジンは、わたしたちジュヴナイルズが自分の魂に描いたイマージュ――つまり〈空想〉の力を、〈魔法〉という奇跡に変換する禁断の魔導器」
ファンタズマの軍勢を前に俄然ヒートアップし始めた七月先輩。
「すなわちこのエンジンこそが、空想魔術を実現するのに必須なアイテムなのよ」
大仰に手を振りかざし、ばばーんって宣言する。そのノリが初対面時の中二病スメル全開なままだったから、どこまでが本気と書いてマジなのか判断付かない。
そこで、胸の内にようやく整理がついたひとつを、僕は言葉にする。
「……七月先輩。ごめんなさい。昨日の放課後のこと、謝らなきゃって思ってた」
「えっ。突然きみは何を言い出すの」
先輩がこちらを振り向く。相変わらずなに考えてるのかわかんない、銀と赤の瞳。
「昨日は先輩の誘いをスルーして帰っちゃったからさ。僕、先輩が中二病だからって、関わりあいたくないと思ってしまった。だから『ごめんなさい』。でも先輩が本物の魔術師だったなんて――ううん、違う、本物かどうかの問題じゃなくって……ええと」
結局何が言いたいのかこんがらがって、最後には口ごもってしまった。
と、先輩は何も言わず、エソライズムエンジンって輪っかを僕に投げてよこしてきた。
「…………宇佐美くん。きみ自身がそれで証明してみせて」
何ら感情の読めない表情を見せる先輩。
渡された輪っかを掴むと、これまで感じたこともないオーラみたいなのが伝わってきて、非現実的な体験に疲弊しきっていたはずの僕に、思わぬ昂揚感をもたらしてくれた。
「僕に、いま何かできることがあるの?」
こくりと満足げに頷く先輩。そして、こう唱えた。
「空想魔術の管理者・七月絵穹は、宇佐美瑛斗を空想魔術の記述者であると認定します」
そんな呪文めいた言葉が吐き出されたと同時に、先輩が両手を天に掲げる。
手のひらにあったエソライズムエンジンが突然跳ね上がったかと思えば、空中で分解してまた大きくなる。すぐに落ちてきた輪っかが僕の頭を潜って、そして首を絞めた。
「わわっ――――」
輪っかに絞め殺されるのかと焦ったけど、痛みはない。首筋を指で突いてもいつもの筋肉の感触しかなくて、金属質なエンジンはどこに掻き消えてしまったのかわからない。
「これで魔導器が宇佐美くんを正規の契約者と認めたわ。次は宇佐美くんのターン」
「僕のターン……?」
「そうよ、次はきみがわたしに全てをさらけ出す番」
うっ、何だか厭な言い方だ……。
でも、いつも無感動に見えた七月先輩の昂ぶりのような何かが、首筋に宿るエンジンを通じて僕に流れ込んできている気がした。これは本当に魔法なんだって肌で感じ取れる。
ちょっと出来すぎた話なのに、僕がうんと素直になれたのは、だからなのかな。
「わかったよ七月先輩。僕はどうしたらいいの」
そしたら先輩、露骨に不敵な笑みを浮かべながらあれこれチュートリアルしてくれた。
「宇佐美くん。今のきみは空想魔術の発動フェーズに置かれている状態なの。空想魔術というのは、記述者――つまり術の使い手が思い描いた空想を、魔法という形でイ界に実体化させる、唯一無二の魔術体系よ」
「ええと……簡単に言えば、あのでっかい巨人を倒せるくらいすごいやつ……そうだな、『身長五七メートル、体重五五〇トンの巨大ロボット』とかを頭の中で妄想すれば、僕がそいつに変身できるってこと?」
「驚いたわね、空想魔術を『変身』にたとえるのは考えもしなかった視点よ。馴染みがない人にはそういう要約の仕方もありなのかしら」
さも腑に落ちた風に、うんうん首肯してる先輩。脳内ストレージに保存、フォルダを「カワイイ」に分類。子どもっぽい姉キャラという意外性、殺傷力高くないですか?
「ああ、でもさすがに巨大ロボットは無理。エソライズムエンジンはきみの空想を魔法に変える橋渡し役をしてくれる魔導器なのだけれど、実現できる空想には条件があるの」
「条件……例えばサイズが大きすぎるのや、人間の姿からかけ離れちゃ駄目ってこと?」
「ううん、外見上の制約ではないの。エンジンが変換できる空想には非常に高いイマージュが求められる。このイマージュとは、空想に迫真性を肉付けする〈世界観〉、緻密に構築された〈設定〉、空想に生命と躍動感を与える〈物語性〉なんかのことよ。そして――」
包囲する敵軍勢を背に、瓦礫の城で指差し演説する先輩。その前で尻込みし始めてる僕。
「――そして何より書き手の抱いた〈強い情熱〉が絶対条件。書き手の愛のない軽はずみな妄想なんて、わたしのエンジンが絶対に認めない」
そんな高レベルの空想パワーなんて無理だ。そもそも僕に創作趣味なんてないし。
「そんなぁ。強い情熱だなんて、僕みたいなのには無理ゲーすぎるよ……」
「大丈夫よ、わたしは宇佐美くんのこと始めから何も心配していないわ」
「えー。さすがにそれは買いかぶりすぎだよ。何を根拠にそこまで僕を信じられるの?」
なのに先輩ってば、急に僕の両手をとって、そして優しくこんなことを囁くんだ。
「わたしずっと見てきた。シュヴァルツソーマがネットの宇宙に現れて、そして一年かけて完結するまでの全てを。あの輝かしい物語を通じてきみというひとりの少年が何を悩み、誰を勇気づけ、そしてどうやって苦難に立ち向かっていったかを」
「えっ……それって何のことを言ってるの……」
何やらすごく大げさな褒め方をされているように聞こえて、逆にたじろいでしまった。
「きみはこれからより多くを知ることになる。さあ宇佐美くん。この七月絵穹が生み出した数奇なる魔術体系――空想魔術の比類なき力を、今ここに見せてみなさい!」
七月先輩からそれ以上の答えはなく、願いのように強い言葉をエンジンへと込める。
そうして掲げていた両手を折り、自ら胸元を抱き唱えた。
「――――――君よ我が胸に記述せよ、〈僕達の降り立つ未来〉」