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最初に変調をきたした百貨店に続いて、この異常現象は高速道路の左右にそびえるビル群すべてに伝播していった。
まるで竜巻に巻き込まれたかのように、見えざる力によって建物の表層がひび割れ、引き剥がされていく。
ひしゃげて溶ける道路の防音壁。砕け散ったビルの窓ガラスもろともに吸い寄せられ、この瞬間に生まれたあらゆる瓦礫は、ある一か所へと集積されていった。
元凶は、巨漢の頭上で旋回を続ける翼竜型ファンタズマだ。翼竜たちが宙に描く軌跡が、いつしか巨大な魔法円をつくり出していた。
引き寄せられた瓦礫はすべて大魔法円に吸収され、やがてそれは円から球に形を変える。
「何が起こってるの、あれって――――」
複雑怪奇に描かれた大魔法円が立体化し、あわせて幻想的な青の燐光を放つ。やがてそれは、ある一つの輪郭を象り始めた。
「――――――さあ、憐れな子羊の諸君。魔女狩りの時間の始まりだ!」
観客の喝采を前にした指揮者気取りで、インディゴが両手を広げてみせる。
ふざけていたが、それが確かに合図となった。
周辺一帯の景観をあらかたかすめ取り、天上に現出した謎の球体。さながら巨大な卵を思わせるそれが、遂に内にある本質をさらけ出す。
「なんじゃ……………………あの塊の中からなにか出てくるというのか!?」
輝く球体の殻が十字に割れて、内部から想像だにしなかったものが吐き出された。
それは何と形容すべきだろう。不均衡な紡錘形をした何か。流線型をした表面をときおり脈動させているけれど、生物ではなく機械のように無機質で、しかも宙に浮かんだまま。それにサイズも桁違いで、大型トレーラーなんかよりも遥かにデカく見える。
「なんなんだよ、あれ……クジラ……いや、潜水艦? 飛行……船か?」
表情をしかめつつ呟いた九凪君が、あのデカブツをそれらしく喩えた。
「それだよ、まるで飛行船みたいな形だ……でも、あれもファンタズマの一種なんじゃ」
あのデカブツが何なのかはわからないけど、輪郭から放つ青い光や、表面をのたうってる幾何学的な紋様からして、これまで見てきたファンタズマと同質なのは明らか。
ただどう見ても「怪物」というよりは「謎の飛行物体」としか形容しようがないから、規格外の突然変異種が出現したってことになる。
特に異様なのが、デカブツのところどころから突き出した突起や長い筒みたいな器官。あれ、戦艦の大砲っぽくも見えるような……。
「フン、さながら神話の絵図で示される、天駆ける神様の戦車じゃの」
手のひらでひさしをつくり、唖然と見上げるⅣさん。
「かっこよさげな例え話してる場合じゃないですよ! あれ、絶対ヤバいやつですって!!」
しかもあのデカブツ、動いてる。低く不気味な唸り声を上げて、ゆっくりと空中を前進している――って、明らかにこっちを目指して侵攻してるんじゃないか!
「そう言えばあいつ――インディゴっていうスーツの方が、前にも奇妙なこと言ってました。確か『奴を魔女狩りに狩らせる』だのなんだのって」
この「奴」とは、おそらくⅣさんを指してる。つまりあのデカブツは――
「それどころじゃねえぞ二人とも。転移魔法が完全に無効化されちまってる……最悪だ」
どこにも逃げ場がないこんな膠着状態のさなか、九凪君がそう耳打ちした。
「……気付いておる。ふん、ダアトどもめ、妾たちの退路を断つ術すら心得ておるか」
「笑い事じゃねえんだよあんた。俺ら、まんまとイ界に閉じ込められたんだぞ! あんな連中に構わずさっさと撤退してたら、あとで仕切り直しができたってのに――」
「――わかったから、落ち着いてよってば九凪君も」
業を煮やした九凪君を制止して、思惑の読めない表情を浮かべるⅣさんと向き合う。
「ねえ、これってどうしようもないの? まさかファンタズマのノイズがどうとかで、現実界に戻れなくなるってやつなの?」
いつかの駅での一件。ファンタズマの大群が一種のノイズを生んで、現実界への帰還を阻害することもあるって先輩は言ってた。
「イ界に繋ぎ止められるのは魔術師の意識じゃ。その意識を現実界へと揺り戻すのもまた魔法。退路を断ち、あのデカブツに妾たちを襲わせる。フッ……さっきまでの戦闘なんぞただの茶番、あのデカブツを召喚するための時間稼ぎじゃった。ダアトらしい、実に陰険なやり口じゃ」
前方から迫り来る馬鹿デカいファンタズマ。
かといって僕たちには、どこにも逃げ道が残されていない。巨大ファンタズマを生み出す素材として周辺地形を軒並み持ってかれたせいで、百メートルほど先の路面は崩落し、橋げた部分だけが無残に残っている始末。高架下道路との高低差なんて、リアルだったら確実に肉塊と化すレベルだ。
頭上に差しかかった巨大ファンタズマの艦首部分が陽光を遮り、地面に陰を落とす。胴体のあちこちから生える砲塔が蠢いている。それはまるで標的を探しているようにも――。
「――――いかん、避けろっ!」
Ⅳさんに肩を掴まれたと思ったら、ものすごい力ではるか遠くまで吹っ飛ばされていた。何回転も路面を転がって、何か柔らかいものに頭をぶつけてようやく止まる。
あちこちが擦れて、血のにおいと味とが滲んできた。
それでも呻き声をかみ殺して起き上がる。離れたところで立ち尽くすⅣさんとの間の路面に、ゾッとするほどの大穴が口を開けているのにここでようやく気付いた。
「走るのじゃダーリン――――協会のも早くッ!!」
僕の巻き添えで倒れていたのは九凪君だった。まさかあの人、僕たちを庇って……。
「走れって、一体どこにだよっ! それにⅣさんは――」
僕たちには一瞬でも迷う時間すら与えられないのか。
巨大ファンタズマの下部にあるハッチみたいなのが突然口を開ける。どこかグロテスクかつ神秘的な臓腑がさらけ出され、奥からさらに奇怪なものが姿を現した。
それが大地へと降り立った。ちょうどⅣさんを、周囲から包囲するように。
どん、と地鳴り。落下エネルギーで窪んだアスファルトに、そいつらが膝折っている。数は四体。うやうやしく頭を垂れる、甲冑の騎士にも似た姿の異形たち。
Ⅳさんを完全に包囲したそいつらは、そう、さながらファンタズマの騎士だ。身の丈三メートルは軽く超える巨躯から、あの中に人間が入っているとは到底思えない。
ファンタズマ製の甲冑から軋み音を上げ、四体同時にファンタズマ製の剣を抜いた。
【さあて、どうかイ界にさまよえる彼女ら仔羊たちに、劇的な結末を――――】
突然頭に響いてきたインディゴの声。さっきの隙に逃亡したのか、奴らの姿はもうない。
ふざけるな。
湧き起こってくるのは、憤りとない交ぜの恐怖心、そして焦燥感ばかり。今この瞬間、僕はどんな行動をすればいいのか、何てあの人に呼びかければいいのか全然わからなくなっていた。
穿たれた大穴の対岸で、肩を落として佇む銀髪の魔女。その顔に諦念のような表情を浮かべていたのか、それもここからでは離れすぎて知ることもできない。
四体の騎士が同時に、精巧な動きで剣を構え、そして魔女を刺し貫いた。
目を背けたかったのに、一部始終に釘付けだった。
溢れ出る彼女の血が飛沫を上げ、淡色の着衣を紅く染め上げてゆく。なのに彼女は僕を見て、何か言った気がした。
僕は叫んでいた。言葉ですらない、意味をなさない絶叫。こんな声、今までに上げたことないってくらいに。
何なんだよ……一体何だっていうだよ、こんなのって。
「われは…………我は裁き……斃し……屠る……もの…………」
枯れ果てた声で、僕がヒーローになる呪文を唱える。
中二病だっていい、なのに僕の力は何も答えてくれない。先輩がいてくれなければ何もできなかった。歯を食い縛って、腰を上げて駆け出すことすらできなかった。九凪君に羽交い締めにされていたから。
またあの砲塔が僕たちを狙っている。三連の砲身がまるで生きてるみたいに蠢いて、それ以外の無数もこちらを照準していた。
そうか、僕もここで死ぬんだな、って悟った。




