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 もうどのくらい目の前を眺めていただろうか。

 どんよりとしたままの意識で、ただ無為に「視る」だけの存在と化していた。

 視界に映るのは、淡い橙色の照明のだだっ広い部屋。一見してホテルの一室にも見えたけど、だとしてもやたらと物が多くて、ちょっと見慣れない雰囲気の奇妙な空間だった。

 壁面という壁面は全て、奇怪な紋様の描かれた布で覆われている。それに窓がひとつも見当たらない。敷かれた多種多様な絨毯はつぎはぎのコラージュを思わせ、その狭間に渡された歩道のように、剥き出しのフローリングが光沢を返している。

 壁際に置かれた机は、この空間にはどうにも場違いな、児童が使うような本棚一体型のものだ。なのに天板に並べられたものも、その学習机に似つかわしくない品々ばかり。

 積み重ねられた古めかしい装丁の本。カラフルな液体で満たされたフラスコや実験器具。どこかアンティークな雰囲気を醸し出すそれらとまったく調和のとれていない、パソコン用の液晶ディスプレーにヘッドホン、それに飲みかけのペットボトルまで置いてある。

 花瓶から生える植物の花弁がぼんやりと発光している――いや、違う。光を放っているのは、その花弁に乗っている、翅の生えた小人みたいな何かの方だった。

 ――妖精?

 他にもいた。空っぽのビーカーから顔をのぞかせる、なにやらファンシーな顔つきをしたキノコっぽい奴。椅子の上では、もふもふとした毛むくじゃらのお饅頭みたいな生物が、鼻ちょうちんを膨らませながらたまに身じろぎしている。どう見ても犬や猫じゃない。

 でも怖くはなかった。それどころかこの不思議な世界に触れてみたいとさえ思った。

 ぎしり、と足元で音がした。

 ベッドの上だとようやく気付く。あらゆる感触が抜け落ちているみたいだ。その証拠に、鏡台の上で焚かれていた香炉から立ちのぼる煙を全く嗅ぎ取れていない。

 ベッドにはこの不思議な部屋の主に似つかわしくない、どこか可愛らしげなデザインの布団や枕なんかと一緒に、ぬいぐるみのウサギやクマが鎮座していた。

 と、どこからともなくこんな歌声が聞こえてきた。


 

 

 ――――London Bridge is falling down,

     Falling down, falling down.

     London Bridge is falling down,

     My fair lady.

 

 


 聴き馴染みのある童謡のメロディ。それにとても流暢な発音の英語に聞こえた。

 さて、突然の来訪者か、それともこの部屋の住人なのか。

 視界に現れた人影は、随分と背丈が低かった。光源が限られているせいではっきりとしないけれど、体つきはどう見てもまだ子どもだ。


【――――おどきなさい、オアイーヴ。そこはおまえの座っていい席じゃないよ】


 この部屋の住人らしき誰かが、別の誰かに話しかけた。女の子の声だ。でもその声色も奇妙で、TVの二重音声みたいに、日本語と英語、二つの発話が混ざって聞こえた。

 部屋の中央でくるりとダンスのステップを踏んでみせた女の子。翻るスカートと影、そして背丈ほど長い髪が背中を追って円を描く。ふわふわの巻き毛が宙に荒波を形づくって、その海原を航海する白銀の髪留めが跳ねた。まるで波間をジャンプするイルカみたい。

 女の子はダンスついでに陶器製の香炉に蓋をしてから、軽やかな足取りで学習机に辿り着くと、さっき話しかけたもふもふ生物を突っついた。


【ねえねえ、おきてオアイーヴ。よい知らせよ。あのね、あたしのエイトがあたらしいイマージュを見せてくれることになったの】


 あどけないながらも、興奮に浮き立った声で呼びかけた。

 迷い込んだ部屋がこの小さな女の子のものだったことよりもまず、話し始めた内容に驚かされた。だって、その名前は〝僕〟のものだもの。


【あたらしいイマージュはね、きっと最高傑作よ。いまのエイトのすべてを叩きつけた、エイトの集大成になるわ。彼がまたペンをとってくれるなんてすごくうれしい、いまからムネがワクワクする! それも、このあたしのためによ】


 もふもふ生物が「みゅー」と愛らしく鳴いて、その子の胸に飛び込んだ。どこが顔なのかもわからない謎生物。それを愛しげに抱き上げてから腰かけると、女の子は慣れた手つきでキーボードを叩く。

 パソコンの電源が入り、暗がりに点灯したディスプレーが真実を照らし出した。

 ――妖精?

 妖精さんだ。声を聞いたのに気付けなかったのはどうしてだろう。この女の子はまさにエソライズムエンジンの中で語りかけてきた、あの宝石色の妖精さんそのひとだったんだ。


【二年前とは違うあたらしいヒロインを登場させたいんだって。エイトにどういう心変わりがあったのかしら。うーん、やっぱり気になる……あたしのなかでも賛否両論だわ……】


 ほとんど下着みたいな真っ黒のワンピースがコントラストになって、この子の肌を病的に白く描き上げている。思わず妖精と形容してしまったあの不思議な長い巻き髪が、銀とも赤ともつかない複雑なグラデーションに彩られて、床の絨毯まで伸びすさんでいる。

 画面の映り込んだ宝石色の瞳が、表示されたSNSの情報を機械的に読み取っていく。


【まあ、でもあっちは順調よ。それよりこっちは状況が悪くなる一方。ついに()()()まで魔女狩りのやつらに狩られたかもしれない。やつらがあたしのところまでたどりつくのも時間の問題かな……】


 椅子の上で体育座りになり、膝に顔を埋める。頭に乗っかった謎生物が、相づちのようにもう一度「みゅー」と鳴いた。


【でもだいじょうぶ、七月絵穹ならきっとうまくやってくれる。彼女は世界でただ一人の空想魔術師。彼女は最強、誰にも負けない。協会にもあの女にも、絶対に邪魔させない】


 どうしてそこでその名前が出るんだろう。君はあの人と知り合いなの?

 それにどうして君は、ここにいる〝僕〟の存在に気が付かないのだろう。

 とにかく事情を聞こうと、妖精さんに近づこうとして、ベッドがもう一度ぎいと軋んだ。


【――――だれっ!?】


 妖精さんが肩を震わせ、こちらに振り返った。絶対に怖がられたと思う。部屋で突然物音がしたら、幽霊か何かと勘違いされたって不思議じゃない。

 ――でも、君は〝僕〟を知ってるから怖がらなくてもいいよ?


【なにものよ、おまえ。くらやみから来たの? あたしのこと、どこからのぞいてるの】


 ――えっ、でも君は〝僕〟と何度かお話ししたじゃない。お互いに顔だって知って……。

 でも、気付いてしまったのは〝僕〟の方だった。

 広げてみせた自分の手が真っ黒だったんだ。まるで〈叛神半魔の義腕〉みたいに。

 それだけじゃない、〝僕〟自身が実体のない、黒いもやみたいな煙の塊だった。鏡台に映り込んでいた自分の正体にゾッとする。どす黒い闇で全身くまなく覆い尽くされた化物。

 じゃあ、一体〝僕〟は誰なの? こんなにも禍々しい化物、〝宇佐美瑛斗〟じゃない。


【ここはあたしのたいせつな工房よ。おまえのようなやつがほしがるものなんてなにもないわ。まちがって迷いこんだのなら、すぐに去りなさい!】


 年頃に不相応の剣幕で言い放つ妖精さん。なのに釈明できない。それどころか、自分の姿に怯えて上げた呻き声は、獣が吼えたみたいな野太く知性のかけらもないもの。


【おまえはここにいていいやつじゃない――――かえれっ!】


 彼女の放った強い言葉が、〝僕〟を辛うじて繋ぎとめていた最後を押しやってしまった。

 途端、全身に燻っていた闇が痛烈なまでの熱を帯びた。四肢から炎が雫となって落ち、ベッドのシーツを瞬く間に焼いて、壁へ天井へと瞬く間に燃え広がっていく。

 やめろ――――。

 これも魔女の呪いなのだろうか。抗おうとしても止めることができない。火の手はいとも簡単に部屋全体を包み、取り残された妖精さんの逃げ場までも奪い去ってしまった。

 なのに妖精さんの表情は変わらない。毅然とした視線のまま胸をつんと張り、そこで〝僕〟を見ている。〝僕〟に対峙している。

 そして死をもたらす炎が、遂に妖精さんの身体まで届いてしまった。

 やめろ――――――――ッ!

 声にならない声で絶叫した。でも、今度はあの時みたいに止められない。何の力もない、誰も守れない。それどころか触れたあらゆるものを傷つける〝僕〟が、少女の体躯を紅蓮で飲み込んでゆく。

 それでも彼女は、服を、皮膚を、髪を焼かれても苦痛に顔すら歪めずに。いまや灼熱の奔流と化した工房のさなかに、それをものともしない意志の宿るまなざしで〝僕〟を見据えたあと、


【――――そう。そんなにあたしがほしいんだ?】


 虚空を睨めつけて、不敵にそう言った。


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