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「ぐっ……い…………痛つつっ…………」
全身に走る激痛のあまり、急激に意識が揺り起こされた。
どのくらい気絶してたのかな。背中やお尻がすごく硬いものの上に乗っていて、逆に頭はなんか柔らかい感じが。それに灰色の空が見えて、雲がゆっくりと風に流されていって。
そして、そんな曇り空によく似た雰囲気をした女の人の顔が僕を覗きこんでいた。
「ひっ…………」
僕の喉が鳴った。誰。
「…………ひ?」
その人が小首を傾げた。謎のおねーさん。それどころか、ものすごい美人だったので絶句するしかない。さっきまでの痛みがすっ飛んで、口を閉じるのも忘れてしまう。
明らかに年上だけど、この人、顔つきからしてどう見ても異国の方だ。というか人種の違いを超えて、筆舌に尽くしがたいオーラみたいなのを彼女は放っていた。
真っ白な肌。曇天の空よりも深い陰影を落とす、銀色の髪の毛。ぼーっと眠たげにこちらを眺める瞳は、淡くオレンジがかった紅玉。今までに見たこともない色彩の組み合わせで、なんだかアニメからそのまま飛び出してきたみたいなイメージのお姉様だった。
あまりにびっくりした僕は、このお姉様の太ももからすぐ離れなきゃって、ビクンとのけ反るみたいに上体を起こしてしまった。そしたら。
「ひ、ひざ、ひざまくっ――――りゃっ!?」
ごちん。強打。僕を介抱してくれていたらしい、面識のないお姉様の鼻っ柱を、である。
「―――――てめ$☆&痛#◇☆殺ッッ%*■!!」
ぶつけたおでこから星ひとつ、しわがれた魔女の断末魔みたいなのが聞こえてきた。
「……ッ、妾に受けた恩を仇で返すつもりか、こにょタダ乗りDV夫!」
そしたら何語なら通じるのか一瞬悩んだ僕が馬鹿みたいに、流暢で奇怪な日本語の罵倒文句が返ってきたではないか。
慌てて飛びのいた僕。周囲を見渡すと、ここはどこかの雑居ビルの屋上だろうか。雨ざらしで風化したコンクリート製の地面。あたりに階層の低い建物が立ち並んでいる。
遅れてお姉様も立ち上がる。不思議な結い方をした銀髪を逆鱗に振り乱して、鬼の形相でこっちを睨み付けてきた。でもあの、鼻血でおおむね台無しなんですけど……。
「いやあの、ごめんなさい鼻血については! ただDV夫の件はまったく身に覚えないんですけど! ……あれ、頭突きは不可抗力でもDV行為に入るのかな? かな?」
ゆるふわファッションで全身固めた銀髪お姉様は、どすどすと詰め寄ってくると、ジャラジャラした腕輪満載の腕を掲げ、僕にビシッと指先を突き付けた。
「妾は超怒ったぞ。そこに直れファック少年」
目に涙をためながら妾に超怒られた。
状況が全くわからない。膝枕されてたってことは、僕を助けてくれた恩人なのかも。
あ、思い出した。僕は蟹型ファンタズマの自爆攻撃に巻き込まれたんだ。そのあと記憶が飛んで――あれあれ、七月先輩は?
「して、さっきから何をきょろきょろとしておる少年。いずれにせよ妾に手を上げた罪は重いぞ。お主にはその身をもってじっくりねっとり手取り足取り償ってもらおうかの」
「えっ、だから僕ごめんなさいって謝ったし……」
まだ怒りが収まってないらしいお姉様。前髪を鬱陶しそうに振り払うと、バッグから真っ赤なスマホを取り出して突然電話し始めた。
違う、唱えてるんだ、呪文を。
「――魔女ストヴァリカーニャ・スルールカディアⅣ世の鍵名において妾が命ずる。肉慾と飽食の原祖エンドルの咢によってその少年の一物を喰い千切り/契りに代えて血潮と魂の儀式となすべし――」
詠唱が進む度に、銀髪お姉様の長いスカートがばたばたはためき出して。そしたら後光めいた巨大な魔法円を背に、旋風やら稲妻まで巻き起こり始めた。
やば、このお姉様ってばガチのプロ魔術師だ。しかもナニかを食い千切るとか、ヤバい意味の言葉まで聞こえてきたんですけど!?
「――さあ、スルールカディアの魔女をも恐れぬこの未熟者に、永遠なる童貞の呪詛を!」
「それ駄目えぇぇぇッッ―――――――!!」
僕は泣いた。平身低頭、人生最大の土下座をキメた。
お姉様の指先のネイルに、鮮血のような光が凝縮してゆく。〝変身〟が解けた僕にはどうすることもできない。
助けて先輩。僕、ここで大切な未来を喪失してしまいます……。
「きゃは――」
そしたら次の瞬間、お姉様によるノンストップの大爆笑大会が始まったのだ。




