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猿真似で小説が書けるくらいには空想力豊かだから、当然こうなるかもって想像くらいはしてた。万が一アクシデントが起るとしてもポジティブ方向にしか捉えてなかったし、あえて積極的にリスク回避しなかったわけ。
僕は重大なミスを犯した。現実界はイ界ほど優しくなかった、ってこと。
「――――ぎゃばぶうぅッッ!」
明け方の五時ちょうど、ベッドで上げた目覚めの第一声である。
疲れて爆睡中だった僕の腹部に恐るべき荷重がかかり、ベッドがギシリと軋んだ。
寝起きの意識が覚めるほどの絶景。なんと目の前が美女のどアップで埋め尽くされているではないか。しかも生まれたまんまの肢体をまざまざとこちらに見せつけている。
僕の視界おっぱいに広がる山脈、渓谷、山脈。
けれどもたゆゆんと弾む肌色の双丘に目を奪われるとかそんな余裕なくて、とにかく今は気持ちよさそうに眠る七月絵穹(全裸)の膝がクリティカルに我が腹部へとめり込んでいる。や、やめて。すうすうと寝息を立てる七月絵穹(全裸)の右肘と左肘のクロスチョップが華麗且つ鮮やかに喉首へとキマっている。だ、だから昇天しちゃう。
「うぶぐげげ…………にゃ、なにゃつきにゃん……ど、どどどどどうて……」
どいてください、死んでしまいます。
とにかく、リアル十八歳女子がこんなに重いなんて思いもしなかったんだ。たしかに七月先輩は僕よりも背が高いし、出るとこ出てるから、よくよく考えてみれば不思議でもなんでもないけれど。
で、頭上にお星さまが回り始めたあたりで、ようやく姫君がお目覚めになられましたよ。
「んんっ…………あら。おはようございます宇佐美くん」
眠たげに目をこすりながら言った。
そしてナチュラルな身のこなしで、僕の上から体を退かす。それから猫みたいに伸びをして、思い出したように互いの視線がぶつかる。
「ぜえはあ。おはようございます、七月せむぱい」
ネイキッド七月プレス喰らって、危うく脳内ストレージがOS諸共すっ飛ぶところだった。
あ、これって「悲鳴→引っぱたかれる→宇佐美くんのえっち! 嫌いよ!」のテンプレ三連コンボ確定? 平常心ですみたいな表情だけ取り繕って、制裁に身構える僕。
結論から言えば、昨日あのあと自宅まで連れて帰ってきた例の黒猫さんの正体は案の定、七月絵穹そのひとだった。
僕んちには、クラスメートから里親として託された子猫たちがすでに三匹いたから、増えた黒猫さんも家族の目をうまく誤魔化せたみたい。
あとはどうしたらいいかわからなかったし、とりあえず冷房の効いた僕の部屋で一夜を明かしたんだ。当然、四匹ともとね。
「あら、諸君らもおはようございます」
先輩が、またしても何の動揺も見せずに挨拶した。視線の先では三匹の真っ黒な子猫たちが、床に転がり落ちてた抱き枕の上でお目覚めだった。
おかしい、先輩はこんな状況でも平静。
先輩の汗と髪の毛のにおいに、妙な背徳感。まだ目覚めそうにない目覚まし時計の針だけが、他人事のようにチクタクを刻んでいる。
ならばプランB。視線が外れた隙に、タオルケットで先輩の裸体を覆って差し上げる。
「………………元の姿に戻れるなんて思ってもみなかったわ」
そしたら、どこか遠い目をするような口ぶり。
「猫になってたときも意識があるの? 昨日あったこととか、覚えてる?」
「覚えてるのは、わたしと九凪静夢の間に宇佐美くんが割って入ってきたところまでよ」
タオルケットに包まれた七月先輩の横顔は、思考がすっ飛ぶくらいに綺麗だった。いつの間にか例の両眼違いなカラーコンタクトは外していたらしく、茶色い瞳が、長い睫毛の奥で物思う視線をつくっている。
「そこから先は、見える世界がガラリと変わって、宇佐美くんの言葉がうまく理解できなくなって。代わりにこの子たちとコミュニケーションをとっていたような気もする」
子猫たちを優しく撫でてから、片方の手でくしゃくしゃの癖っ毛をかき上げる。途中でその手をビクンとさせる先輩。僕もそれに気付いて絶句した。
「何、それ……ネコミミ?」
なんと、先輩のウェーブがかった髪に埋もれるように、黒いふさふさの三角耳が二つ生えていたのである。
先輩がそれをわさわさと撫でると、反応してぴょこんと跳ね上がった。
「驚いた。感覚があるわ、この耳。ちょっとくすぐった気持ちいい」
僕が指と指の隙間からその様子をのぞき込んでたのに気付いたようで、先輩は思い出したようにタオルケットを羽織ってくれる。
だが直後、またぴくんと身構えちゃった。
「……はっ!?」
珍しく驚いた顔を見せたかと思ったら先輩、自分のおしりに手を伸ばして触りだした。
「驚いた、尻尾まで生えてるわ……」
裸体を覆うタオルケットの隙間から飛び出てきた黒いふさふさは、どう見ても尻尾だ。
「わっ、ふりふり動いてる。これってどういうことなの先輩」
先輩は机に並べてあった先輩の落とし物一式から手鏡を取り出すと、異変の起きた自分をまじまじと観察し始めた。尻尾を見ようと、なんだかえっちな体勢になったりしてる。
一呼吸おいて、彼女が奇妙な横文字を口ずさんだ。
「ミューシア・神無月・リヒテンシュタイン」
そしたら僕の直感が、ごく自然にその謎かけの答えを導き出した。
「ミューシア・神無月・リヒテンシュタイン。煉獄の魔女が使い魔として従えた常夜の猫の眷属を始祖に持つ、半人半獣の少女。隠密行動に長けた諜報役で、幼少期より慕ってきた兄のような存在・神叢木刹刃をサポートする。ミューシアはシュヴァルツソーマのサブヒロインだ」
あれから何年もたった今でもこれだけ諳んじられるなんて、自分でもびっくりだった。
「うひゃあ、こうして声に出すと、つらくて自分の過去から目を背けたくなるよね……」
中二病っぽい「痛さ」を散りばめて突っ込みを誘うように仕向けたのは、当然「ミューシア」の創作者である僕だ。そんなの暴露したら、先輩に嫌われちゃいそうだけれど。
さて、今この七月絵穹の身に何が起きたのか。
これだけのヒントがあれば、本当に実在した「魔術師」とやらの事情を知らない僕でも、答えは容易に導き出せる。
「……空想魔術が暴走したんだ」
「宇佐美くんのせいじゃないわ。わたしが悪いの」
「僕が先輩をこんなにしたんだ。先輩をそんな姿にした犯人は、僕の空想だ」
「宇佐美くんのせいよ。わたしのことちゃんと責任とって」
「そうぜんぶ僕のせい……ええっ!?」
途端、表情を崩してクスクス笑い始めた先輩。
「でもヘンだなあ。ミューシアは妹キャラのポジションなのに、どうして先輩にそんな妄想を向けちゃったんだろう。先輩ってどう見ても姉キャラなのにね」
遂には堰を切ったように噴き出して、ベッドの上でバタ足。
そして満面の笑顔で向き合う。初めて見る彼女の顔だった。
ひとしきり笑いこけてから、あらためて教えてくれる。
「素晴らしいわ。わたしたち、あんな窮地だったのに、協力して無事に脱せられたのよ」
「僕も、なんだかすっごく不思議な体験をした気がするよ。でも、そもそも先輩はどうしてシュヴァルツソーマなんて知ってたの? あれってもう消しちゃったから、ネットには残ってないはずのに……」
そもそもの疑問の筆頭を、今ようやく口にできた。
「まさか先輩って、連載当時の読者さん……だったりするのかな……」
動揺して脂汗が出てきそうだった。ただでさえネット戦士だったあのころの記憶なんて思い出したくないのに。最低なクズ野郎だった自分の所業は、今の僕にとって拭い去れない罪そのものだから。
「そうね、まあそんな感じかしら。ええと、シュヴァルツソーマはね、リアルタイムでは読んでいなかったのだけれど、連載が完結したあとで偶然知った作品だったの。とても気に入ったから、いつでも読み返せるようにデータを全部保存してしまったわ」
「あはは…………黒き歴史は記録されてしまいましたかあ」
グッと親指立てた彼女に、頭を掻くしかなかった。
「それはよかったけれど、これからがいろいろとまずいわね」
「えっ……もしかして、そのネコミミと一生お付き合いしなくちゃならない、とか?」
僕的にはカワイイで済む問題だけど、本人からすれば日常生活的に支障をきたすレベル。
でも、先輩の言った「まずい」は、そんなのはるかに上回るレベルだった。
「わたしたちの空想魔術とは、あくまで魔術の一体系よ。そして魔術が引き起こす現象を、いわゆる〈魔法〉と呼ぶの」
開幕の合図然として、部屋の遮光カーテンが開け放たれる。
「よく見なさい。現実に魔法が起きたの」
二階から見下ろした世界。
家の前を通り過ぎるスクーター。鳥たちの囀り。遠くの鉄道高架は、昨日の駅まで続いている。
登り始めた太陽に、目覚めた町が照らし出されていく。
「宇佐美くん。ここは現実界よ。もうイ界じゃない」
先輩がそう言って、ようやく事態の異常さを理解した。
僕の空想が七月先輩に魔法をかけてしまった。半人半獣、ミューシアみたいになる魔法。
でも、その魔法は本物の「魔法」で、そして現実のこの世界で起きてしまったんだ。




