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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
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願わくば、叶わずとも ③

翡翠組エル・ヤシムが、ですか……⁉」


 サフィは戸惑った。

 あの翡翠組エル・ヤシムが――――ジェッダが、何の為にそんなことを。


「うむ、だから少しばかり時がある。しかと身を整えるがよいぞ」

 パイラ皇女は胸を張って、安心せよとばかりに腰に手をやった。

 その時、御付きのムッタが遠くの曲がり角からサフィを手招きした。早くも蒸し風呂(ハンマーム)の準備ができたらしい。

 パイラ皇女の真意はともかく、今は厚意に甘えるしかなかった。

「皇女殿下…………その、ありがとうございますっ!」

 小さな恩人に謝意を述べて、サフィはムッタが呼ぶ方へと駆け出した。


「あ、あっ…………そなたよ」

 皇女は小さな手をかざし、サフィを呼び止めた。

 サフィが振り向くと、皇女からは今までの尊大そんだいな雰囲気を感じなかった。どこか落ち着かない様子で、両手の指をもじもじと絡ませている。

「こ、これは臣下へのおんちょうだからの。気兼ねは要らぬ。ただな…………その…………代わりにではないのだが」

 言い淀んでいた皇女だが、踏ん切りをつけたようにサフィに駆け寄ると、そっと耳元でささやいた。


「――――――今度、踊りを教えてくれんかの?」


「……………へ?」

 皇女の頬は、わずかに赤かった。

「その、母上がな…………優しいひとなのだが、踊り(シャルキィ)に関しては観るのも許してくれぬのだ……。今日の大饗宴とて、舞台が始まる前に帰されてしもうてな」

 可愛らしい皇女の顔が、夜中の向日葵ひまわりみたいにしぼんでいた。


 サフィは思い出した。

 この小さな姫君が、ときどき稽古場に忍びこんでは、踊り子たちの練習をのぞいていたのを。とりわけ、サフィが踊るのを見つめ、母譲りの蒼い瞳をきらきら輝かせていたことを。


「パイラもな、一度でよい………そなたのように踊ってみたいのだ。…………駄目、かの?」

 皇女は、いつの間にか床のカーペットを見つめてしまっていた。

 サフィはひざまずくと、皇女の目線をすくい上げるように見つめ、小さな手を握った。


「――――――必ずや!」





 マーハ郊外、とある赤土の荒地。


「ジュニ坊よぉ! まだ上がんねえのかぁ⁉」

 荒野にぽっかりと空いた竪穴たてあな。その近くでは、数人の男奴隷が一本の縄を握りしめ、穴の奥から何かを引き揚げようとしていた。

「うるさいっす! 黙って引けないんすか⁉」

「いっ…………⁉」

 先頭で縄を引いているジュニが一喝いっかつし、ずっと大柄な中年奴隷を黙らせる。

 ジュニは、兄貴分と交わした約束を遂行していた。

 夕刻の鐘が鳴ってから数十分待ち、それでも帰る気配がなければ――――――万が一の場合を考え、この命綱を引き揚げるという約束。

 じっとりかいた手汗が縄を滑らせる。ジュニは胸騒ぎを必死にこらえていた。


「しかしよぉ、あの牛野郎、こんな暗ぇ穴に一人で降りるたぁな」

「孫娘ちゃんが大事なもんを落としたってんだろ? あの子に頼まれたらよ、そりゃ俺だって地獄の底でも行っちまうぜ」

「がはははは、その孫娘ちゃんは帰っちまったみてえだぜ? 良いように使われてんだよ、あいつも俺たちも」

 奴隷たちが軽口を叩きながら、節くれ立った手で麻縄を引き寄せる。彼らはジュニの方便うそを信じ、わざわざ奴隷小屋から駆けつけていた。


 その時、いきなり縄が竪穴へと引きこまれた。全員が前につんのめり、ジュニの片足が落ちそうになる。

 どうやら、穴の底にいる誰かが縄を頼りにい登っているようだ。

「………………!」

 曇っていたジュニの表情が晴れる。一分もせずにランタンのが見えて、人影が上がってきた。


 穴から這い出て、シドルクが地面にへたりこむ。

 ずぶ濡れで全身が冷えているが、無事には違いなかった。


「遅かったっすね、兄貴」

 寒いわけでもなく鼻をすすり、ジュニは声をかけた。

「ああ…………ジュニ、心配かけたか」

「……⁉ い、いや、別にぃ……?」

 ジュニを襲ったのは強い違和感。無理もない。穴に潜っていく以前とは、明らかに何かが違っている。かつてのシドルクなら「他人が自分を心配する」いう発想が湧かなかったはずだ。


「シドルク! 孫娘ちゃんの落とし物ってのは見つかったのか⁉」

 奴隷の一人が尋ねた。ジュニは彼らの死角で、こっそりとシドルクの右手に何かを握らせる。

 穴に降りる前に預けられた、ラピスラズリの首飾りだ。

 ジュニに目くばせされて状況を察すると、シドルクは目の前にそれをかざす。その神秘的なあおさに、奴隷の面々はどよめいた。

「な、なんだそりゃあ……? それ、孫娘ちゃんに返すんか……?」

「バカ、そりゃそうだろ! こんなもんネコババしてみろ、手足どころか首までサヨナラだぜ⁉」

 口々に奴隷が言い立てる中、事情を知る二人だけが無言だった。



 やがて、奴隷がぞろぞろと帰路を歩いていく。その列の最後尾に、シドルクとジュニの姿があった。

 夕刻前に仕事を抜け出してきたので、明日には二人そろってヒマールの鞭が待っている。それでも、二人の顔色に曇りはなかった。


「…………姉さんは、帰ったんすね」

「ああ」


 前を歩く奴隷たちに聞こえないよう、二人は声を落とした。

「何かあったんすか、兄貴」

 人の顔色に敏感なジュニは、シドルクの変わりようが気になった。それは好ましい変化ではあったのだが、今までの無骨で頓着とんちゃくという印象が強いせいで、どうにも違和感から抜け出せない。

「なあ、ジュニ、教えてくれるか」

「はい?」

 シドルクは遠くの空を眺める。

 真夜中をくり抜いたようなくろい瞳に、おぼろな月が映っていた。



「王宮に入るには、どうしたらいい?」

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