表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
34/39

壊れない道具

 夢を見る。

 

 月のない夜は、決まってあの夢だ。


 真っ暗闇だった。目が潰れたかと思うほど。光はひとかけらも見えない。

 動かない。首も、足も腕も、指の関節まで動かない。

 右腕がじくじく痛む。背中に石が食い込んでる。ひびの入った脚がめりめりうなる。


 死にたいほど痛いのに――――――生きてる。


 右手の指先が、少し、ほんのり温かい。

 ほかの誰かの指が触れてるんだ。誰かいる。そこに誰かが居てくれてる。


 真っ暗闇がずっと続く。痛い。暗い。冷たい。おかしくなりそうだ。

 でも、最後に光が見える。

 石がぼろぼろ落ちる。ずるっと引っ張られて、太陽の下に帰ってくる。


 首が動いた。足も腕も、指の先まで自由だ。

 痛かったのを忘れた。

 生きてるのが嬉しくて、自分の手をじっと見る。


 小さなてのひらに――――――潰れた指があった。



「………………………………ゔッッ!」


 十年も前になる。

 あの日もずっと、穴を掘っていた。

 この国の王様が言ったらしい。カナートを造れと。水ならテブリス川があるのに、王宮のためだけの水を欲しがった。

 奴隷が何千人も集められた。大人、年寄り、歳の近い子供までいた。

 太陽を見るのは朝と夕方。ずっと穴の底に潜って、大人の砕いた岩を掻き出す。


 同い年の奴隷がいた。

 少し珍しい、栗色の巻き髪だった。


 喋るのが好きなやつで、こっちが何も言わなくても話しかけてきた。きっと寂しかったんだ。こんな真っ暗で狭苦しい場所、居るだけで狂いそうになる。

 色んな話を聞いた。故郷で降った雪のこと。奴隷に売られた時のこと。いつか見たい景色のこと。

 この穴掘りが終わったら、次はどんな景色を見に行けるだろうと、いつも目が輝いていた。


 ――――――あの日の落盤で、十二人が埋まった。


 真っ暗だ。息が苦しい。右腕は完全に折れた。両脚は落ちてきた岩に挟み潰された。

 指先に温度を感じた。あいつが近くにいる。

 あいつは生きてる。俺たちは生きてるんだ。

 大丈夫。痛いのは耐えられる。穴から出たら、あいつは不幸自慢が一つ増えたなと笑うだろう。

 ずっと待って、耐えて、待って――――――反対側から掘り進んできた奴隷に見つけられた。


 あの落盤は、もう七日前のことだと言った。

 

 気がつくと、指の切れはしを握っていた。

 あいつを掘り出した。もう人間の形じゃなかった。顔が潰れて、絡まった栗毛だけが証だった。


 俺は生きてたのに――――――あいつは死んだ。

 げらげら笑ってたオヤジ、子供嫌いの爺さん、他にいた同い年、みんな潰れて肉になった。

 みんな死んだのに――――――俺は生きてた?



(――――――どうしてだろうな)



 帰った次の日、また穴に潜れと命令された。

 胃汁を吐くほど嫌だったのに、鞭で打たれて蹴り落とされた。


 そうして一年後、「王の喉」は完成した。

 あの日のことも、あの闇も、ふたをして永遠に忘れようとした。


 穴掘りが終わって、次の仕事場に売られた。

 そこでも、次の場所でも、周りの奴隷が次々に死んでいく。

 事故で死んで、病気で死んで、日の悪魔で死んだ。

 死んだ翌日には、代わりの奴隷が補充された。

 

 どこかで聞いた。奴隷は「しゃべる道具」だと。


 奴隷は、道具。その考え方は、すんなりと理解できた。正しいと思った。道具はいつか壊れる。壊れやすい道具と、壊れにくい道具があるだけだ。


 壊れにくい道具なら、壊れるまで使えばいい。


 人の何倍も働いた。背骨が折れそうな重さを担いで、毎日毎日走って運んだ。

 でも、何年経っても壊れない。忌々《いまいま》しいほど頑丈だった。

 

 だから、壊れるまで休みなく使うことにした。

 みんな寝静まった夜、遠くの土捨て場まで荷車を牽いた。次の日に誰かがやる仕事だ。


 一睡もせず続けていたら、限界は数日で来た。

 真夜中、何でもない路上で前のめりに倒れた。額の皮が裂けて、血が出た。


 やっと壊れた、と思った。でも不思議だった。


 痛いはずが痛くない。

 動かす力はあるのに、手足を動かせない。

 立ち上がれるはずなのに、立ち上がれる気がしない。


 壊れない外側より先に、中身が壊れてくれた。



 ―――――――何がしたかった?



 ふと思い返してみた。

 何かをしたい、と最後に思ったのはいつだろう。


 あいつは言っていた。食べたい物、行きたい国、見たい景色、帰りたい場所。

 夢があるから、壊れそうでも耐えられると。

 夢がなくても、壊れないし耐えられた。

 だから何も欲しくなかったのか?

 壊れたい、楽になりたい――――それが望みだったのか?


 でもいい。終わった。中身が壊れたなら、あとは動くしかばねだ。そんな奴隷を何人も見てきた。


 星空でも眺めて終わりにしたい。

 望みがあるとしたら、きっとそれだけだ。



 ――――――――…………………




 ……………………?




 ひら……と、何かが動いた。


 仰向けの視界に、近くの城壁が映りこむ。

 夜空にそびえる壁の上で、なにか揺らめいた。


「…………………………あ…………」

 声が漏れる。


 人影が一つ――――――踊っていた。


 月の光を浴びて、神々しく。

 その人影は女だった。

 黒い髪が揺れて、灰色の瞳が見える。

 しなやかな手が、泳ぐような軌跡を目に残す。

 

 見たことのない光景だった。汗と砂ばかりの記憶に、鮮烈に描き込まれていくのが分かる。

 

 彼女の瞳は下を向かない。

 どこまでも空の彼方かなたを見つめ、心底楽しそうに見えた。


 まるで、踊れるなら――――明日も、その先も踊れるなら、もう何も望まないと言うように。


「……………………あ………………あぁ……!」


 喉奥から何かが漏れる。

 いつしか大地を踏み、月を見上げていた。

 時が経つのも忘れ――――――壊れたはずの中身がこぼれて落ちた。

 



 次の日の深夜。

 気づけば、また昨日の場所に立っていた。

 ここは宿舎から離れていて、他の奴隷や顔なじみもいない。


 だが、壁を見上げても彼女の姿は無かった。


 次の夜も、また次の夜も出向いた。よくりもせずにと自分でも思う。それでも、夜になると同じ場所に足が向かっていた。


 二十五日目の夜、彼女は再び現れた。

 月の精霊だ。そう思うほど、ただ美しかった。

 踊りのことは分からない。それでも、あの人が踊りにどれだけ心血を注いできたかは伝わってくる。歳は自分と変わらなく見えるのに、尊敬と憧れが湧いてきた。


 六十一日目の夜、また見ることができた。

 その姿を目に映すたび、記憶と一緒に蓋をした感情が、少しずつ蓋を押し上げるのが分かった。


 そして、九十日目の夜。

 あの人は突然、壁から転落した。


(………………⁉)

 何が起きたか分からない。何かが前触れもなく壁を砕き、足場を奪った。

 

 思考するより早く、脚は動いていた。

 一直線に真下に向かう。

 でも、理性は告げていた。間に合うわけがない。


 落下なんて瞬きほどの出来事。人間の脚力でどうこうなる話ではない。

 ただ、それは脚を止める理由にはならない。

 

(………………! ……………………!)


 そして、理性の見立ては誤っていた。

 

 足の指で土煙が爆ぜる。

 壊すために酷使した脚は、自分ですら信じがたい速度を叩きだした。

 


 地面まで、残り一階分。



 ――――――――差しだせ、全部。

 腕を出せ。割りこませろ。

 どこでもいい。脚でも内臓でもくれてやる。


 いくつ奪ってきた?

 いくつ失ったと思ってる?

 今だけでいい。一度くらい許してくれ。

 

 だから、だからどうか、この人だけは――――――




 ――――――そして、願いは届く。

 差し出した両手には、生きた少女が抱かれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ