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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
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ラピスラズリの首飾り ④

 マーハ市街地から北東に離れた、なだらかな高台の上。まばらに草が生えるだけの赤土の荒地に、サフィは立っていた。


 その足元に、ぽっかりと竪穴たてあなが空いている。

 直径は、ちょうど大人一人が通れる程度。地下深くまで垂直に掘ってあり、奥には暗闇が満ちている。穴の側面はすべて石積み。つまりは土木工事の産物だ。

 ふたになっていた石の円盤はどかしてある。竪穴の存在を隠すため、蓋はもともと赤土の下に埋めてあった。


 竪穴のそばに、三人の人影があった。


「これが…………そうなの?」

「そうみたいっす。つっても噂で聞いただけで、見るのは俺も初めてっすけどね」

 サフィとジュニが、深淵しんえんをまじまじと覗きこむ。


「これが『王ののど』なんすね、兄貴」

「…………ああ」


 「カナート」という種類の地下水路がある。

 まず、地底深くの帯水層たいすいそうに届くまで垂直に穴を掘りぬいて「母井戸」にする。帯水層までの深さを測ったら、水が欲しい目的地から母井戸に向かって横穴を掘りぬき、水路として開通させる。

 母井戸から目的地まで、カナートを流れる水は太陽にさらされることがない。地上の河が干上がってしまう地域では、カナートこそが集落の生命線になる。

 カナートの真上には管理用の竪穴が、まるで縦笛の穴のように点々と空いている。サフィの足元にあるのも竪穴の一つだ。

 

「十年くらい前だ。マーハの国王の命令で『王の喉』が造られた。奴隷が何千人も駆り出されて、工事を一年で終わらせた。…………俺も、そこで働いていた」

「シドルクが、ここで?」

「俺がおぼえている入口はここだけだが、間違いなく王宮の下まで通じている」

 しかし、話を聞きながらジュニは首を傾げた。

「でも兄貴、これって『水路』なんすよね? 王宮の井戸までつながってるのは良いっすけど、おぼれないっすか?」

「いや、井戸までは行かない。それに空気は通っている」

 シドルクは、サフィの方を向き直る。


採風塔バードギールが立っている家に、出口がある」

 こくり、とサフィは首肯した。


 採風塔バードギールというのは砂漠の家にしばしば見られる設備で、煙突に似ている。上部に空いた穴から風を取りこみ、室内からのぼる熱気を逃がす仕組みをもつ。

 そして採風塔バードギールは、カナートと組み合わせることで真価を発揮する。

 家の地下までカナートを引いて、床から竪穴を通すと、地下水と一緒に流れてくる冷気が竪穴から吹きあがる。採風塔バードギールの排気機能が加われは、家の中に絶えずカナートの冷気が流れる、というシステムが完成する。

 もっとも、ここまで設備を整えられるのは一握りの富裕層に限られる。

 そして、王宮には一箇所だけ、採風塔バードギールを備えた屋敷がある。


 王族一家が生活する大邸宅――――通称「銀盤邸ぎんばんてい」。


 作戦は至ってシンプル。

 この竪穴から「王の喉」に潜り、銀盤邸の真下まで歩いて到達し、穴からい上がる。


 この作戦を果たすのに、条件は二つあった。


 まず、カナートの暗闇を越えるための道具。

 照明となるランタンはもちろん、万が一の場合に引き揚げてもらうため、体には命綱を結んでおく。市場バザールでありったけの麻縄を買って回り、昨日の夜、三人がかりで結んで一本にしたのだ。

 もう一つは、作戦決行の時刻。

 首尾よく銀盤邸の真下まで着いたとして、地下から這い上がるのを誰かに目撃されるとまずい。だから、サフィは今日の夕方を待った。今夜は年一度の大饗宴。王族はもちろん、御付きの従者たちも大多数が金纏こんてんきゅうの方に出払っているはずだ。



 すでに太陽は赤みを帯び、西に傾きつつあった。


 水路を歩いても間に合う時間は確保したが、そこまでの猶予はない。

「う、わ………………っ」

 だが、サフィは竪穴に満たされた闇を見つめ、ひるんでいた。

 奥を流れているはずの水の音も聞こえないほど最深部は遠い。ランタンがあるが、この暗闇に立ち向かうには心許こころもとなく、そもそも地下まで無事に降りられる保証もない。

 腹をくくったはずだが、生理的な恐怖は思った以上に足を重くした。


「あ…………そうだ、『お願い』! 二人ともまだだったよねっ⁉」

 恐怖をまぎらわすため、サフィは明るく振り返った。

 今日まで二人は約束どおりに手を貸してくれた。今度はサフィが彼らの願いを叶える番だ。

「はいはいはぁい! 俺からいいっすか⁉」

 ジュニが溌溂はつらつと手を挙げる。この能天気な明るさが、今は後押しになってくれる。

「よぉし、ジュニ君! このサフィ様が叶えてしんぜよう!」

 おとぎ話の魔人ジンよろしく腕を組んでみる。

「いやもう滅茶苦茶に悩んだっすよ。十番目くらいまで候補があって。でも一番は決めたっす!」

「うむっ! その願いを言うがよい!」


「おっぱいを揉ませてください!」


 ざしっ、とサフィのかかとが少し沈んだ。

「きっ、聞き入れた……! けど一応、二番目も聞いとこうか!」

「尻を揉みたいっす!」

「…………その次は?」

「二の腕っす!」

「待って待って、どういう順?」

「どうって、肉がついてる順っすけど」

「ちょっと⁉ そんなについてないからね⁉ ほらっ! ほらぁっ!」

 二の腕をつまんで必死に訴える。だがそれより、十番目までの間に「脇腹」や「背中」が入っていないか、怖いながら聞いておきたい気もしていた。

「………………時間が無い」

 後ろのシドルクが二人をうながす。故意なのかどうか背中を向け、サフィの革袋から道具を出して準備を進めてくれている。

 シドルクの言うとおり、刻限は迫っていた。

「いやぁ、姉さんのこと近所に怪しまれて毎回大変だったなぁ~? 兵士に通報チクられそうになって、その度に上手いこと誤魔化したのは誰だっけなぁ~?」

「くっ…………よしわかった!」

「おおおお!」

「でもっ!」


 ずばっ! サフィは豪快にローブを脱ぎ捨てた。

 あの夜に着ていた踊り子衣装が露わになる。


「お願いは『一つ』だから、どっちか片方ね!」


 ぐっと胸を張って、仁王立ち。

 その立ち姿だけは女傑じょけつと呼んでも良かった。

「片方って、左右どちらかっすか⁉ うぐ………それは決めてない……‼」

 両手の指をわきわき動かしながら、大秘宝を目前に迷っている。

「ほらほら、もうすぐ店じまいだよ! 引っこめちゃうぞ!」

「くっ……なら、右手で揉みやすい方……? いや、そもそも左右で均等か……? 感触が違うとか……⁉ ううぅ、間違えたら一生後悔する……! イヤだ、ここで後悔したくないぃ……っ!」

 最低すぎる葛藤を始めるジュニ。一方、サフィは品定めの時間だけじょくが長引くことに今さら気づいた。下手に出し惜しみしたことを少し後悔している。

 限界まで悩み抜いた末――――――少年は刮目した。


「これ、どっちがデカいんすか?」

「……………………!」

 

 ジュニの手首が掴まれ――――――吸い寄せられた。

「ふわ………………………………!」

 耳を赤らめ、酸欠の魚のように口を開閉する。

 生涯で初の、生涯忘れないであろう感触。

 ほんの数秒が永遠にまで伸びる。時間が過ぎ、手を離しても、ジュニは石像のように硬直していた。


 そこへ、準備を終えたシドルクが近づいてくる。

「もういいのか?」

「…………約束…………今のは約束だから」

 ローブを拾って羽織りながら、サフィは何となく気まずくなって顔を伏せた。

「用意はできた。ランタンにも火を入れてある。縄は、あの岩に縛っておいた」

「あ…………うん、ありがと」

 サフィは道具入りの革袋とランタンを受け取る。そのかたわらで、ジュニは魂が抜けたまま直立していた。

「……………………今の、見てた?」

 顔を伏せたままサフィは尋ねる。伏せなくとも、どのみち二人の身長差では目線は合わないのだが。

「いや、見てはいない」

「そっか…………」

「ああ。でも考えもしなかった」

「…………? 何を?」

 シドルクは、自前の大胸筋をぺたぺたと触った。

「左右で大きさが違うのか、これ」


 スパァン!と、少女の平手打ちが胸板を鳴らした。




 サフィは、革袋を抱えながら中を探った。

 革袋には、道具の他にも、あの夜に身につけていた装飾品が入れてある。もともと大小合わせて十数点あったが、二つは換金済み。王宮に着いたら、それらは紛失したと説明するしかない。サフィは装飾品の一つを取り出した。


 涙の形をした、ラピスラズリの首飾り。


 それを、シドルクの右手に渡した。

「これは…………?」

 泥汚れが染みついたてのひらの上で、海色のラピスラズリが鮮やかに光った。サフィの顔と首飾りを交互に見て、シドルクは疑問符を浮かべている。

「だって、どうせ言うでしょ?」

 シドルクの顔を見上げて、にっこりと微笑む。


「お願いなんて何もない、って」


「…………どうして分かった?」

「顔に描いてあったから?」

 サフィは、シドルクの性分を分かっていた。ジュニみたいに素直に欲望に従えばいいものを、シドルクはしない。硬派気取りでもなく、とにかく何に対しても欲や執着がないのだ。

 そしてそれは、サフィにとって喜ばしいことではなかった。


「受け取ってよ。こうでもしなきゃ心残りになっちゃうし」

「…………わかった」

 シドルクの大きなてのひらが首飾りをそっと握る。だがシドルクは、それをとなりで硬直しているジュニの手に持たせた。

「ちょ、ちょっ、それは…………!」

 予想外の行動に、彼女らしくない弱弱しい声が漏れる。

「その、それはさすがに、シドルクに持ってて欲しいな……って」

「ああ。帰ったら受け取る」

「…………帰ったら?」

 サフィが首を傾げた。シドルクは地面に横たえた縄を拾うと、自分の胴体に巻き始める。その縄は、サフィの身体に結ぶはずの命綱だ。


「俺も行く。ランタンと荷物は持ってくれ」


 言うと、シドルクはサフィを肩に担ぎあげた。

「え、えええええ⁉ き、聞いていないけど⁉」

「ジュニ、頼んだ」

「ひょ…………りょぉかいっす…………」

 ふやけきった頼りない声。それでもシドルクは信頼した顔でうなずくと、サフィを背負ったまま竪穴のふちに足をかける。


 岩に結びつけた命綱を頼りに、みるみるうちに穴の底へと降りていく。

 


 帰還期限まで、残り2時間。

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