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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
3/39

星が墜ちた日 ①



 ――――――――――————————



 ————————フィ、サフィ?」



 なんだろう。

 顔は熱いのに、手が冷たい。



 いま、誰かに呼ばれた気がする。


 あれ?


 月って、こんなに明るかったっけ。

 あんなに真っ暗だったはずなのに、こんな――――――


「サフィ。…………はい、五回は呼んだわよ」


 突然、うなじに冷たいものが触れた。


「ひゃうああっっ⁉」

 とんきょうな声が出て、肩が跳ねる。


「はあッ…………はぁ…………え?」

 うなじを押さえ、飛び起きた猫のように辺りを見回す。奇襲の犯人は、探すまでもなく悠然と後ろに立っていた。


「あらあら、ご機嫌うるわしゅう。サフィお嬢様?」

「くっ…………首筋はやめてったら、もうっ!」


 サフィと呼ばれた少女は、首の後ろをさすりながらうらみ言を漏らした。

 ふわっと肩口まで伸びた黒髪、ぱっちりした灰銀色の眼、雫をはじく小麦色の肌、ばねの効いた活発らしい体つき。着ているのは、亜麻の一枚布で縫われた粗末なチュニックだけ。


 意識が戻ってくると、周りが見えてくる。

 そこは、屋外に造られた「洗い場」だった。


 街一つほども広大な王宮敷地。南北を分けるこんてんきゅうを境にして北側にある、女官カルファの居住区だ。

 近くの炊事場から蒸かしたヤムの匂いが漂い、向かい合う二階建ての宿舎には、洗い終えた下穿き(シャルワル)を吊るす紐が渡してある。

 エレガントな宮殿というイメージとかけ離れた、人らしい生活感に満ちた場所だ。

 日陰になった一角で、腰をおろした褐色の少女が十人ほど、めいめいのはちで洗い物を揉んでいる。


 サフィの指先からも水がしたたっている。どうやら洗濯仕事をしている最中、物思いに耽るあまり手を止めていたらしい。


「で、あっちの世界は楽しかった?」

「…………もう一回行ってきても?」

 反省のない小娘の脳天めがけ、ずどっ!と重めの手刀が落ちる。

「痛ったい! 縮む、縮んじゃうからっ!」

 気つけを兼ねた一撃に悶絶もんぜつするサフィ。同年代に比べ、少し低めの身長を気にしていた。

「サフィ、また王妃様のこと思い出してたの?」

 今度はサフィの正面から、あどけない声がした。

 サフィより少し歳下で、栗色のくせっ毛が可愛らしい少女。純真無垢な彼女の問いには、皮肉や嫌味は一切含まれていない。最近小言が増えてきた暴力ノッポ女とは違うのだ。

「あんた今、失礼なこと考えてない?」

「ひょッ……⁉ そ、そんなことないですけど? ネフリム姉さま?」

 ネフリムと呼ばれた長身の痩せた女は、サフィを見下ろして溜め息をついた。サフィは姉貴分から許しをもらえたと独り合点すると、積まれた洗濯物に手をつける。

「ごめんねマルシャ。思いっきりサボっちゃった」

「んーん、大丈夫。ぼわぁ~って考えちゃうの、すごく分かるもん」

 栗毛の少女はマルシャという。サフィが追憶にふけっている間も、小さな手を動かして仕事に励んでいた。


 王宮は、王族以外にも女官カルファや衛兵、住みこみの下級官など千人以上が暮らす大所帯だ。日々生じる洗濯物の量はおびただしい。割り当ての量を夕方までに洗い終えるべく、作業に追われていた。


「わたしもね、たまに…………あれ?  あ、あっ……! ねぇこれ!」

 マルシャが汚れ物から何かを発見した。

 それは、ピンク色の胴巻きのように見えた。胴巻きそのものは珍しくもない。兵士がかわよろいの下に着用するほか、女性がシルエットを細くする目的で使うこともある。

 ありふれた衣類を引っ掴みながら、マルシャの瞳は、まるで異邦からの宝物を見つけたように輝いた。

「「あぁー…………」」

 サフィとネフリムは顔を見合わせるが、もう遅い。

 マルシャの心は跳ね馬になり、夢の荒野へと走り出す。

「この胴巻きってさ、たぶん兵士さん用だけど普通こんなカワイイ色じゃないよね? じゃあきっと若い衛兵さんがさ、ちょっと気になる子……あ、女官カルファの誰かかな!?  その子に何か贈りたいけど、でも首飾りとか花束とかは恥ずかしくって、新品の真っ白な胴巻きを一生懸命に染めて……! でね、さりげなーい感じで渡すの! 『身体、冷やすなよ』とか! でもね、その子はちょ〜っとぽっちゃり気味で、もらった胴巻きがピチピチでね? あてつけだ~!って最初は怒っちゃうんだけど、だんだん彼の気持ちにドキドキしてきて、それからというもの大好物のデーツもクックも喉を通らなふごあっ⁉」

 このままでは本気で仕事が終わらないと判断した年長者の二人。サフィがマルシャの手から「胴巻き」をかすめ取り、ネフリムにパス。ネフリムがそれをガボッ!と被せると、マルシャの頭は、胴巻きには存在しないはずの「底」を押し上げた。

「マルシャ…………これ袋ね。たぶん汚れ物入れてたやつ」

「…………………………………うん……」

 夢の荒野から連れ戻され、マルシャが口を尖らせる。さっきまで無限のロマンが詰まっていた汚れ物袋を、しぶしぶ頭から脱いだ。

「ほ、ほらほらぁ……マルシャ、元気だして?」


 その時、ネフリムの耳が何かを聞きつけた。

「あら、帰ってきたみたいね」

「えっ、誰が?」

 ボサボサになったマルシャの栗毛を手ぐしできながら、サフィは聞き返した。


「決まってるでしょ、皇子様よ」

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