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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
28/39

ラピスラズリの首飾り ①

「孫娘ちゃんよぉ! これ、ちーっとしょっぺえぞ?」


 時刻は正午過ぎ。

 マーハの街はずれの麦畑では、奴隷たちが昼食のピタに食いついていた。

 ポケット状の薄い生地に、岩塩と香辛料で炒めた羊肉を詰めたもの。市場バザールで買った塩漬け肉を使ったはいいが、初めてなせいで塩抜きが足りてなかったらしい。

「お、お前ら……こんな美味えもん食ってたんか? 天罰が当たるぜ……?」

「ぎゃははは! 奇遇だな、そう思うぜ!」

 ピタを一口食べて困惑しているのは、今日から現場に加わった奴隷。

 ヒマールが昨日の事件のことを奴隷主に報告したところ、すぐに補充の奴隷が調達され、さっそく今日から投入された。そのヒマールは、もらったピタを一人で食べながら脇腹をさすっている。奴隷四人という損失で、奴隷主はヒマールに罰を加えたらしい。


「はいはい! しょっぱいって人! これも飲んでくださいね!」

 孫娘ことサフィは、運んできた鍋から野菜出汁(だし)のアーシュをすくって、素焼き《テラコッタ》の器に注いでいく。

「かああ~っ! やっぱ美味えぇっ!」

 器の数が足りないので、飲み終えた器を返させては次の者に与える。順番を待ちきれない一人が「直接口にくれ」とせがむので流し込んでやると、案の定アーシュでおぼれ、打ち上げられた魚よろしく転げ回った。それを見て、新たな顔ぶれも含めて腹の底から笑った。

 あんな事件の後だというのに、奴隷たちに気に病んだ様子はない。

 まるで、似たような惨劇を何度も見てきたかのように。


 一通りアーシュを配り終えると、サフィは二人分の昼食を持って、土嚢が集められている畑の片隅に歩いていく。そこにシドルクが待っていた。山積みの土嚢に並んで腰かけて、ピタを同時に一口かじる。

「美味いな」

「…………あのさ、なに食べてもそう言ってない?」

「…………?」

 シドルクは深くしゃくしながら、羊肉が詰まったピタの断面を見ていた。どうにも、初めて食べる物や見る物をまじまじと観察する癖があるらしい。

「いや、婆さんの時は言ってないと思う」

「ふぅん…………本当かなぁ」

 サフィはまた一口ピタを食べた。じゅわっと出てくる肉汁と塩気を味わいながら、さっき「しょっぱい」と文句を言った奴隷がいたことを思い出す。

 以前の彼らは、このくらいの塩辛さは美味い美味いと言ってたいらげていた。ここ数日の食事で、舌が肥えた――――というより、人間としての味覚が徐々に戻ってきている。

 世話焼き婆さんが、奴隷主から預かった食費を中抜きするために、どれだけ粗末な食事を与えていたかは想像がつく。それと比べれば美味しいのは当然だ。

 だから、褒められたところで大して嬉しくは――――


「すまん、忘れてた。あの時もジュニから言われたな」

「…………? 何を?」

 シドルクはピタから目を離すと、左に座ったサフィの瞳を見つめた。


「美味かった。最初の夜から全部」

「えっ、や…………その…………ありがと」


 ――――――心臓に悪いよ! とサフィは思う。

 これが女(たら)しの口説き文句なら辟易へきえきするが、シドルクの言葉に裏がないのはサフィが一番理解していた。



 一方、ジュニはそこから少し離れた斜面にいた。同い年の少年奴隷・リダの横に座りこんで、しきりに話しかけている。

「リダっち頼むよぉ! お前だって好きじゃんかぁ?」

「だから嫌だってば………見るだけ見とけばいいだろ、今のうちに」

 陽気な少年ジュニに絡まれて、うんざりした顔をしている陰気な少年リダ。石に腰かけて体育座りのような姿勢をし、布きれを貼った板をひざに抱えている。粗末だが、それは立派なキャンバスだ。炭の削ったペンを擦りつけ、みるみるうちに一枚の絵を描きあげていく。

 描きあがったのは、ネコの顔だった。

 縦に長い瞳孔どうこうから、耳の中に生えた産毛まで、炭一つで見事なほど表現している。まだ頭だけなのに、首から下の出来栄えは約束されていた。

 リダは絵描きの卵だった。一家離散して奴隷になるまで、名の知れた絵描きの末っ子であり、最も才能のある弟子だった。

「ほらぁ! やっぱりリダっちしか居ないって! 頼むよぉ、今日の晩飯、半分やるからさぁ!」

「そんなに食べないよ……。ていうか、いつもローブ着てるだろ。見えないじゃんか」

 ネコの絵に加筆をしながら、リダは少しだけ目線を上げた。

 畑をはさんで反対側に、ジュニとつるんでる青年奴隷シドルクと、数日前にいきなり現れた「孫娘さん」が並んで座っている。


「いやいや、俺は知ってるんだよ。あのだぶだぶの服の下に、すっげえ秘宝が隠してあるって」

「秘宝……?」

「ああ、そりゃもう、大秘宝」

 ここぞとばかりに勿体もったいつけて、ジュニがしたり顔を浮かべる。


「孫娘ちゃんな、背はあんま高くないけど…………デカいぜ」


 リダの手が、ぴたっと止まる。

「で……デカいって何がだよ……⁉」

「おいおい、とぼけなくて良いんだぜ? 同志リダくん」

「み、みみみ見たのか……⁉ ……! お前、まさか……!」

「いひひ、安心しろよ。抜け駆けなんて野暮なことしねえって」

 正確には、野暮なことをしたくても出来ない。

 同じ場所で、石でなく筋肉で造られた守護獣スフィンクスが寝ている限り。


 リダの慧眼けいがんは、すでに「孫娘ちゃん」のローブの胸元に向いていた。


「想像してみろよ。あおけに寝てるとさ……でっかい島が二つ、寝息に合わせて浮いて、沈んで、また浮いて……」

「………………!」

「夜になると濡れ布巾で身体を拭くんだけどな? その時はあっち向くんだけど…………背中越しに聞こえるんだよ。衣ずれっていうか、こう、あちこち拭こうとゴソゴソしてんのがさぁ」

「……! …………!」

「なあ、孫娘ちゃんは今日でお別れなんだぜ? 描いてくれよ、リダ先生」

 リダの右手は猛烈な勢いでペンを走らせ――――――そして止まっていた。


 毛の一本まで描かれた写実的なネコ

 ――――――の首から下が、やたらと豊満な女の裸体になっている。


「…………ごめん、思ってたのと違う」

「…………知ってる」

 少年たちは、自らの欲望が生み出してしまった獣を埋めて、記憶から葬った。

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