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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
22/39

渾天に昇る ①

 サフィが到着した時、麦畑のそばには野次馬が群がっていた。


「…………なに、これ?」

 人混みの隙間を抜け出ると、風に乗って、鉄の臭いが鼻をついた。

 ふと、いつものうが積まれている辺りを眺める。


 そこには、一人、二人————三人の男が、動かずに横たわっている。


 一人は、白目を剥いて泡を吹き、

 一人は、何かに殴られたように頭の形がゆがみ、

 一人は、切り裂かれた脇腹から赤黒い――――――


「―――――――――ぅぷッ!」

 すぐさま彼らに駆け寄る…………ことも出来ず、ひざから崩れる。胃の中身を止められない。

「奴隷が暴れたんだとさ、おっかねえ」

「あそこで泡吹いて死んでる奴だろ? しつけ役がシメてんのを見たぜ」

 野次馬が見物している中、四つ目の死体が運ばれてきた。

 奴隷が二人がかりで、遺体の両手足を持って運んでいる。四人目は、頸椎けいついが折れている以外は無傷で、そっくりした死に顔がむしろ生々しさを際立たせた。


 遺体の運び手のうち、一人はシドルクだった。


「…………報告に行ってくる。いいか、いつもの場所に埋めておけ。日が暮れる前にだ」

 監督役のヒマールが奴隷に命じた。

 いつも奴隷に鞭を打ちすえる役目だが、その瘦せこけた顔には悲愴感が表れている。一方、他の奴隷たちは意外にも平気そうな様子で、それどころか、離れた場所では黙々と「塩掻き」が続けられていた。


「なぁおい、ありゃ嬢ちゃんのもんじゃねえよな?」

 不意に、野次馬の一人がサフィに声をかけた。

「…………?」

 質問の意味が分からないサフィをよそに、ずかずかと死体置き場に歩いていく男。遺体の一つを見下ろすと、ナイフを取り出し、死体から一つかみの赤茶けた頭髪を切り取った。

「へへ、思ったとおり赤毛だぜ。そこそこの値で売れるな」

 その振る舞いを見て、周りの奴隷は全く反応しない。黙々と自分に与えられた作業をしている。

「…………しかし汚えなぁ。ああ、昼メシの後で良かったぜ」

 男は死体の顔を踏みつけて押さえ、また髪を刈ろうとした。野次馬の中からも続こうとする者が出てくる。


「う…………ああああああああああぁぁぁぁぁああああああああああああッッ!」


 瞬間、場にいた全員が一斉に振り向いた。

 髪剥ぎ男に向かって吶喊とっかんし、ナイフをもつ手首を掴む。

「な、なんだァ……!?」

 その手は、男に比べて小さく、弱く―――—しかし全霊を込めて、振りほどこうとする男の腕力にあらがっていた。


「………………サフィ姉さん……?」


 土集めをしていたジュニが、激昂するサフィの顔を見た。

 まっすぐに相手を睨んでいた。灰色の瞳が陽炎のように揺らいでいる。鼻の先が色づき、フゥー…フゥー…と熱い息を漏らす。

「わ、悪かったよ、嬢ちゃんのなんだな? ほら、返してやっから――――」

 髪の束が差し出されるが、サフィはその手を叩き落とした。地面に落ち、ぱらぱらと風に散っていく。

「こ、このガキ、何しやが――――」

 逆上しかける男だったが、目の前にいる少女の怒りの方が格段に強いと察したのか、捨て台詞を吐いて野次馬の方に帰っていく。

 サフィは、その場でへたり込んでしまった。


「ああ…………孫娘さん」

 頭上から声をかけられる。声の主はシドルクだった。

 ぷっつりと糸が切れ、力なく項垂(うなだ)れたサフィに、彼は告げた。


「今夜の飯は四人分少なくていい。たぶん明日には替えの奴隷が――――」

「…………ッッ!」


 ほとんど無意識だった。

 振り向かないまま、サフィの右手の甲は、彼の左ももを叩いていた。

 その一発は、大の男にとって児戯じぎにも等しい――――はずだったが、シドルクのきょはよろめき、わずかだがもんの声が漏れた。

「ぐ………っ」

「…………⁉」

 サフィは驚いて見上げた。裏拳が当たった部分には、木片で切り裂かれたような痛々しい擦過傷。それだけでない。まぶたの上から流血し、二の腕と左肩にも同じような傷がある。

 さっきの死体運びの時には後ろ姿しか見えず、こんな状態とは気づかなかった。

「うそ……っ! ご、ごめんっ! てっ、手当て――――」

 狼狽うろたえるサフィを見下ろしつつ、シドルクはあくまで穏やかに言った。


「…………どいてくれないか。そいつらを荷車に積みたい」




 ――――――やがて、夕刻の鐘が鳴った。


 奴隷小屋に敷かれた一枚布に、夕食のマナイシュが置いてある。

 様々な具材をのせて焼く、円盤型の大きな発酵パン。ただ、定番の具材であるはずの羊肉が欠けている。通常は大人数で切り分けて食べるものだ。

 今日、それを食べる人数は減った。

 それでも昨日と何も変わらず、奴隷たちは口々にありがたがって晩餐ばんさんを愉しんだ。


 その食卓に、晩餐を用意した人物の姿はなかった。


 奴隷小屋の近くにある地下物置。

 がらんとした薄暗い空間に、ひざを抱えて座りこむ少女がいた。

 夕食を終えて帰ってきたジュニが室内に降りてくる。夕陽が射しこみ、ジュニの影が室内に伸びた。


「………………傷、もういいの?」


 背を向けたまま、サフィは話しかけた。

「ん? 全然平気っすよ、ちゃんと水で洗ったし!」

 ジュニの右上腕には浅くない切り傷があった。昼間の事件の時、あの奴隷のすぐ近くで作業をしていたらしい。へし折れた木製シャベルは切れ味の粗い凶器となり、ジュニの右腕を斬りつけた。それでも軽傷で済んだのは、駆けつけたシドルクが盾になったからだ。

「…………にしても姉さん、昼間のアレはまずいっすよ」

 土間に座ると、ジュニが切り出した。

「ほら、あの髪剥ぎのオッサン。そりゃネコババは駄目っすけど、姉さんが怒るとこじゃなかったでしょ? 危ないし、あんまり目立ったら兵士だって来るし」

「……………………ごめん」

 謝りはしても、奥底ではサフィ自身にも分からない感情がくすぶっていた。

 これが怒りに近いのは理解できる。でも、ジュニは怒るべき対象ではない。それなのに、ジュニの言葉に苛立っている自分がいる。


 と、ここで気づく。

 地下物置のもう一人の住人が、一向に入ってこない。


「………………シドルクは?」

「ああ、兄貴なら一緒にメシ食ってましたけど、出てったすよ」

「出てった? どこに?」

「えーっと…………今日みたいに奴隷が死んだら、埋めにいく場所があるんすよ。夕方までに荷車で運んだんすけど」

 サフィはハッとした。昼間の一件の後、すぐに調査の兵士が来てしまうからとサフィは帰され、その後のことを見ていなかった。

「ただ、さすがに一緒の穴には埋められない死体が一個あって。みんなは『犬にでも食わせとけ』とか言ってたっすけど」

「その一人って…………」

「ああ、まあ、そういう事っす。兄貴、あれで結構アマいっすから」


 サフィは、今やるべきことを理解した。

 まぶたを閉じ、開く。

 塞ぎこんだ姿勢を解いて、夕陽の射す方を向いた。


「…………ジュニ。その場所、教えてくれる?」

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