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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
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アジ・ダハーカの吐息

 金纏宮、右翼殿の三階。

 その廊下では、ちょっとした騒動が起きていた。


「く、臭っさい……! 何のニオイなの……⁉」


 漂ってくる異様な悪臭に、住人である女官カルファたちが騒ぎ始める。

 三階には、専門職である上級女官アーラ・カルファ、とりわけ踊り子の居室が多い。そのうちの一室から、少女がひとり廊下に飛び出してきた。


「ああ、だめ……! サフィ、負けないでぇ……!」


 踊り子隊「瑠璃組エル・ラズリ」の一人、マルシャ。

 異臭の発生源は、マルシャが飛び出してきた瑠璃組エル・ラズリの居室だった。続いて、同じ隊の仲間であるネフリムも部屋から現れる。

 二人とも、まるで掃除中のように鼻と口に布を巻いていた。

「こ、このニオイは何なの⁉ あんたたち、その部屋で何して――――」

 部屋をのぞきこもうと近づく女官カルファ。マルシャはその腕に必死ですがりついた。

「近づいちゃ駄目です! この中で倒れたら、誰も助けられません……っ!」

「ちょ…………何なの⁉ どきなさいって!」

 涙ながらに訴えるマルシャ。無理に振りほどくわけにもいかず、その女官カルファは足を止める。


「よく聞きなさい。じゃないと死ぬわ」


 ネフリムが凄みを利かす。舞台さながらの女帝ぶりに、集まった面々は思わず一歩下がった。

「今日のお昼は、パン一個と玉ねぎのアーシュでしたよね………?」

 突然、マルシャが幼い少女らしからぬ低い声で語り始めた。

「でも……そんなのじゃ、サフィには全然足りなかったんです。最近練習ばかりしてたから、きっと何も考えられないほど空腹で…………そんな時、厨房で、たくさんのヤムがかしてあったんです」

「ヤム? ヤムって、あの芋のヤム?」

「そう言えばトルマリアさん、ヤムがごっそり消えたって言ってなかった?」

 女官カルファたちが口々に言う。その反応を見ながらマルシャは語り続ける。

「わたしたちが部屋に帰ると、サフィはもう、無我夢中でヤムをほおばってました。一個や二個じゃないのは明白でした。だって…………サフィのお腹はもう、蛙みたいにパンパンでしたから」

「な、なんで………?」

「食べ過ぎて胃袋が…………って最初は思ったんです。そうだったら、どれだけ良かったか……。ヤムを食べながら、サフィは言うんです…………『なんだか身体が軽くなってきた』って」

 気づけば、廊下に集まった女官全員がマルシャの語りに聞き入っていた。

「ヤムをいっぱい食べると、ほら、その、溜まってきますから……………あれはもう手遅れでした。お腹は膨らんで、膨らみきって…………そして限界を迎えた瞬間、それは炸裂しました」

「さ、炸裂って、まさか……!」

「はい、それはもうてつもない、まるで地獄の瘴気……! 伝説に聞こえた悪食竜アジ・ダハーカの吐息……! その凄まじさは……ケホッ! このとおりです……っ!」

 マルシャが咳こんでみせる。部屋から漂う悪臭は、なおも強まっているように感じた。

「そして悲劇は終わりません……! いつまた二発目がくるか予測不能……! 部屋をのぞこうとした瞬間、その一発が顔面に直撃、たちまち失神! そうなったら、もう誰にも……!」

 ひっ……!と悲鳴をあげ、女官カルファたちが部屋から遠ざかる。

「そういうコトだから、しばらく部屋に近づくのはお勧めしないわ。それと、わたしとマルシャの分の仕事を数日やってくれると助かるわ。このニオイ、食材とか洗濯物につくと嫌でしょ?」

「いっ………わ、わかったわよ……!」

 集まっていた野次馬が蜘蛛くもの子を散らすように引いていく。しばらく、食事ではヤムを残す女官カルファが続出しそうだった。


 十秒もしないうちに、廊下には二人だけが残された。


「ネフリムぅ………本当にこれで良かったの?」

「落ち着いて考えれば分かるはずよ。ヤムを食べたくらいであり得ない、って」

 マルシャを不安がらせないよう、ネフリムは努めて悠然としていた。

「あとでコレを見せて種明かししましょ。『ぜーんぶズル休みのための嘘でした』ってね」

 ネフリムの後ろ手には、液体の入った二本の瓶が握られていた。

 一本は火山地帯でとれる硫黄いおうから、もう一本は動物の死骸から精製された代物。どちらも、いわゆる「錬金術」と呼ばれる研究の副産物だ。

「これをくださった『えいの門』の術師様に教えてあげなきゃね。ちゃんと使い道がありましたって」


 しばらく待っても、異臭のする部屋に近づく者は現れなかった。

 マルシャの語る「虚構」だけでは足りなかった。嗅覚に訴える圧倒的な「現実」が決め手となって、サフィの存在証明アリバイがここに完成したのだ。


「…………ところでさ、ネフリム」

 マルシャは、部屋の片隅に置かれたかごを見た。

「あのたくさんのヤム、盗んできちゃったけど、どうするの?」

「当分、おやつには困らないわね」

「うへぇぇぇぇ、ここで食べるのぉ……?」


 部屋にはまだ、限りなく「本物」に近い香りが充満していた。

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