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星穹のラクスシャルキ  作者: くるまえび
第1章 巡り合わせ
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窓辺のマルシャ

 ある日の昼過ぎ。金纏こんてんきゅうの右翼殿、三階。


 ある窓辺に、ぼんやりと外を眺めるマルシャがいた。

 そばには小さな一本足のテーブルがあり、紅茶と菓子が置かれている。シンプルな陶器のポット、カップ、小さな壺入りの赤砂糖、黒イチゴとバターを練り込んだ焼き菓子「クック」。王宮暮らしなら誰でもたしなむ、ごく一般的なティータイムの組合せだ。


「サフィ…………どこに行っちゃったんだろ」


 クックを一口(かじ)りながら、マルシャは呟いた。

 居室から眺めるのは、変わり映えのない庭園の景色。少なくともマルシャが物心ついた頃から十年間は変化がない。ナツメヤシの葉は噴水のように伸び、大理石を敷きつめた広い遊歩道プロムナードは、真ん中を型抜きしたような長方形の庭池がキラキラと輝いている。砂漠を吹き渡ってくる熱風も、地上五階の高さをほこる「王の額」に遮られて吹きつけてはこない。

 今日の手伝い仕事は午前中に終わって、今夜は踊り子として出演する酒宴もない。

 うとうと午睡でもしたくなる長閑のどかな午後。

 それでも、マルシャの胸中は穏やかではなかった。

「駄目よ、『どこに行った』とか。誰かに聞かれたら」

「うん…………そうだけどさぁ」

 ベッドに腰かけたネフリムが、渋みのある紅茶を一口(ふく)んだ。


 三日前の夜に別れたのを最後に、同室の仲間――――サフィを見ていない。


 もともと、サフィが一人で深夜に練習しに行くのは珍しくない。それが本番の舞台で踊ってきた直後であっても。しかし、夜明けには勝手にベッドに戻っているのが普通だった。つまり二日目の朝の時点で、二人は異常事態に気づいていたのだ。


 そして二人は、サフィの失踪を誰にも明かしてはいなかった。


 もちろん事故か何かという可能性も考えた。王宮内で疑わしい場所は二人で探し回り、それとなく聞き込みもした。常に話題に飢えている王宮の界隈で、もしも人身に関わる事故や事件があれば耳にしないはずはない。

 他の可能性としては人攫いだが、「王の額」の鉄壁ぶりを考えると可能性はゼロに近い。ただ壁を越えて侵入するだけでなく、少女一人を抱えて脱出しなければならないのだから。


 つまり。

 一番ありうる可能性が――――「サフィ自らによる脱走」になってしまう。


 今日までの三日間、二人はどうにかサフィの不在を誤魔化してこられたが、そろそろ限界が近い。三日も姿を見かけなければ当然(いぶか)しむ者も出てくる。そんな状況で「同室の二人すら行方を知らなかった」とバレれば、すぐさま王宮中に伝わって大騒ぎになるだろう。

 脱走した女官カルファに下される罰は――――当然、二人も知っている。

 

「でもさ…………大饗宴、もう三日後なんだよ?」

「そうね」

 マルシャは砂糖入りの紅茶を一口飲み、追憶する。

 目に浮かぶのは、いつか手を差しのべてくれたサフィの笑顔。


 幼い頃、マルシャは落ちこぼれだった。

 踊り子だった母親からの強い勧めもあり、六歳の時点で踊り子になることを選ばされたマルシャ。運動が不得意なうえに同世代よりも発育が遅かった彼女にとって、稽古の時間は苦痛でしかなく、こっそり抜け出しては好きな物語を読んで時間が経つのを待った。

 踊り子の世界なんて一生知らなくていい。

 そう願い、ひたすら踊りから逃げ、隠れ、無関心を貫いてきた。

 そんな時、「もったいないよ!」の一言で、稽古場の裏庭からマルシャを引っぱり出したのが二歳上のサフィだ。

 どんな言い訳で逃げようとしたか、どんな不平不満を垂れながら引っ立てられたかは記憶にない。覚えているのは、サフィが心底から楽しそうに踊る顔だ。そんなサフィの姿に憧れるようになり、次第にマルシャは踊る楽しさに目覚めた。遅れを取り戻そうと猛稽古を重ね、秘められた才能を花開かせ、ついには「瑠璃組(エル・ラズリ)」の一人としてサフィと同じ舞台に立つまでになった。

 マルシャにとって、サフィは恩人であり、親友であり、今でも一番の憧れだ。

 

 だからこそ、マルシャは思う。

 踊ることに人生を捧げていたサフィ。あのサフィが、大した事情もなく「脱走」を――――踊り子としての地位を失いかねない禁忌タブーを犯すとは、どうしても考えられない。

 だから、マルシャとネフリムには根拠もない確信があった。


 三日後の大饗宴の舞台までに、サフィは必ず戻ってくると。


「そうは言っても、手は打たなきゃね」

 三つ目(・・・)のカップに注いだ紅茶を飲みほし、ネフリムは一息つく。テーブルには、厨房の管理人であるトルマリアに用意してもらった紅茶とクックが残っていた。

 ネフリムは思考を巡らせる。

 サフィの不在を誰にも悟らせず、今から大饗宴までのゆうを確保するための策を講じる。


「そうねぇ、あれの使い時かしら」

「??」


 ネフリムの目には、小動物よろしくクックをほおばる同居人が映っていた。

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