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夕陽から飛び出して来い   作者: 木畑行雲
第四章『あ』と言ったら『うん』と応えて!?
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第八章

 しばらくして、「あのクソじじい」と、やはりまた店長と喧嘩をして帰ってくる日があったが、喧嘩という形で話し合いが進んで、否が応でも折り合いだしたようだった。いつしか華子からバイトが楽しいと言う言葉を聞くようになっていた。

 こうした姉の話に触れるのは金曜の夜か週末が多くて、一頃の思い出になるほどバイト先の様子を聞かされた。話す時はたいてい緑茶のペットボトルを側に置いて、化粧を落したり干し芋を食っていた。ドライマンゴーの時もあった。

 クッションの上で立て膝をして干し芋を食べてる姉の姿はさながら野武士のようで、若く勇ましい活力に溢れていた。

 人や世間に対する見識は、この引かない怒りっぽい個性から会得したんだろうか。だんだんと、もしかしたら、華子の方がよっぽど人間を知っているのではないかと考えるようになっていた。自分の感情に走りがちな人間だと思っていたけど、それでいいんじゃないだろうか。そうじゃないと、生きている事を本当に知ることは出来ないんじゃないだろうか。

 怒鳴らないし、衝突を避ける自分は優しい方だと思っていたが、その実人の本音も自分の気持ちも控えさせてしまって、よく見えないように仕向けているのかもしれない。そうしたかったのかもしれない。

  

 土曜の夕方、晶は買ったばかりの青い絵具を使ってみた。店で受けた説明に反して、思った通りの青みが出ない。

 決して安い買い物ではないし、課題を仕上げる為の予定もズレてしまう。晶は至急なんとか解決しなければならない緊張で、気が立った。

 しかし、自分は冷静に対処してみようと考えた。落ち着いて事情を説明すれば、店の人もすぐに分かってくれるだろし、話がつきやすいのではないだろうか。自分は自分の性質を活かしながら、本当の事をしてみたい。そうやってこの世界を渡ってみよう、そう思い立った。

 晶は早速、絵具を購入した画材店に電話した。レシートをギュッと握って、ドキドキしながら誰かが応答するのを待った。

「はい、文化堂です」

 電話に出たのは、若い男性で、どこか気の抜けた感じのある声だった。

 晶は考えていた通り、冷静に丁寧に、誰にでも分かるように経緯を説明した。しかし、期待していた反応とは違い、相手はただ「はぁ、そうですか」と、聞いている。「困ってる」と言っても、「はぁ、そうですか」が返ってくる。

 晶はその他所ごとのような態度と、伝わらない事にだんだん苛立った。ただでさえ慣れない緊張で神経過敏になりがちな時に、相手の無関心がグッとのしかかってくる。そしてついに、

「何を聞いているんですか?話が違うんじゃないですか?」

と、詰め寄るような口調に変わっていた。

 すると、電話越しの相手がハッとしたように、

「あっ、すいません。交換しますからお持ちいただけますか」

と、慌てて答えたのだった。

 一番避けたいと考えていたやり方が一番効果的で、晶は納得がいかない気持ちになった。結局の所、落ち着いた態度よりも感情の方が伝わるんじゃないかという疑念が膨らんだのだ。しかも平和的に解決してみようと試みた結果、不快になった。


「うん。それ外れ店員あるあるだね。まぁ、あんたの言うことも一理ある。でも、人にもよるんだろうね」

華子は、夜、晶の青絵具の話を聞いて言った。自分だったら親切なお客さんで良かったなって、すぐに交換を申し出ると言う。そして、冷静なまま対処出来るのも大事な能力だからそのまま残しておいた方がいいと言う。でも、やっぱり要望を明確に伝える方法は覚えた方がいいと締めくくる。こういう事はテクニックも必要なんだと、また別の話しに変わりながら、華子は講釈を続けた。

 自分に関係ない話は聞いていなかったが、晶は痛い所を突かれたような顔をして思った。

『確かにそうだ、それだ』

間抜けな顔をしながら鏡を覗き込んでメイクを落とす華子の姿が、師匠のような貫禄を持って晶に響いた。隙だらけの姿からは想像もつかないたった一言の知恵で、妹の頭上にあった疑問に満ちた雲を吹き飛ばしてしまった。

 その瞬発的な理解と答えは晶に衝撃を与えた。絵が上手いとか、勉強ができるとか、機械に強いとか、そういう事とは違う才能、目に見えないものを自分のものにする能力。これまでなんとなく感じていた靄のようだった華子の中の能力が、彼女の見方や言葉にはっきりと浮かび上がって見える。感じる事で存在が認められる能力は、返って晶の内側に直接触れてくるようで、避けがたい物体のような気がした。姉の存在が大きく感じられて、まるで自分が小さくなったようだった。

 晶は華子から顔を逸らして眉根を寄せた。そんなにすごい事じゃないと抗いたい競争心が顔を出して、彼女は咄嗟に自分を自分の心の動きから守ろうとした。だけど、どうも上手く出来ない。ハッとするような姉の言葉からの閃きは高校生の胸の中でまだ淡い発光を続けていた。それを塗り潰すには、強い偽りの影が必要で、潰そうかと考えると胸に詰まるような苦しい予感が近づいてくるのだ。

 晶は華子の姿をもう一度見た。自分よりも大人っぽい顔付きをしている。しかし焦らなくて良いと立ち上がってくるものが己を鎮めていくのを感じた。彼女の若者らしい羨望はまた、姉の感性と成長を格好良いと思わずにはいられなかった。

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